第十話 逃走開始
玄関のドアを荒々しく叩く音で、ふたりは目を覚ました。
とっさに時計を見上げると、午前6時を示していた。
「徳山さん、警察です、開けてください」
昨日訪ねてきた中年刑事の声がドア1枚隔てた向こうから聞こえてくる。
──しまった、寝てる場合じゃなかったのに!
どうすればいい、どうすれば……。
勇斗が狼狽えていると、月雫が勇斗の腕を掴んだ。
「逃げよう、勇斗」
「……え?」
どこにそんな気力が残っていたのか、月雫は力強い眼差しで勇斗の瞳を真っ直ぐに見据えている。
月雫の瞳に宿る強靭な意志に気圧され、思わず勇斗は素直にうなずいていた。
玄関から靴を持ってきた月雫がカーテンを引き窓を開ける。
サッシを乗り越え、窓からアパートの裏庭に降り立つ月雫を追って勇斗も窓から脱出して靴に足を通した。
「裏口に回れ!」
ドアを叩いても反応がないことを怪しんだ警察官の怒号が直接耳に届いてくる。
「行こう」
月雫に手を引かれ、勇斗は詰まりながらも走り出した。
「いたぞ、徳山が逃げた!」
制服の警察官がふたりに気づいて叫んだ。
振り向こうとした勇斗を制し月雫が走り続ける。
太陽が照りつける夏の日、着の身着のままのふたりの逃亡劇がはじまった。
息を切らして月雫と勇斗は、まだ人通りもまばらな早朝の住宅街を疾走していた。
荷物はなにも持ち出していない。
スマホも財布も悟の骨壺もすべて部屋に置いてきてしまった。
ただ、あのまま捕まっていれば、勇斗の命の保障はなかった。
今はただ警察の網から逃れ身を隠す場所を行き当たりばったりで探すしかなかった。
早鐘を打つ心臓が限界を迎えはち切れそうなほどふたりは全力疾走した。
繋いだ手は汗ばんでいたが、決して離すことはない。
はあ、はあ、とお互いの荒い呼吸音と地面を蹴る足音だけが耳に響く。
無我夢中で走って走り続けて、アパートからじゅうぶん離れると、信号に捕まりようやく足を止め、月雫は両手を膝につき前かがみになると弾んだ呼吸を整えた。
隣では勇斗が額に浮かんだ汗を拭っている。
後ろを振り返るが、警察が追ってくる様子はなく、月雫は一安心しながらも、じりじりと信号が変わるのを待った。
気ばかりが焦り、迫ってくる恐怖に汗が冷や汗に変わって身体を冷やしていく。
見上げると、早くも太陽がさんさんと照りつけていた。
なにも考えられなかった。
歩行者信号が青に変わり、手を繋ぎ直して走り出す。
目的地はない、計画はない、作戦もない、スマホもない、ないない尽くしで見切り発車であることは認めざるを得ない。
それでも、警察に拘束されるわけにはいかなかった。
ふたりは防犯カメラを避けるため街の中心部へは行かず、ごみごみと込み入った裏路地を選んで進み続けた。
住宅と住宅が密集する路地を出て、大通りに差し掛かったときだった。
二車線の道路を走ってきた漆黒のワゴン車が急ブレーキをかけて、月雫たちのすぐ横で停車した。
なんだろう、と月雫がそちらに怪訝な視線を送ったところ、スライドドアが開き、中から黒ずくめの人影が降りてくることを確認し──。
身体の自由が奪われ、口元に柔らかいなにかをあてがわれた瞬間、月雫は意識を喪失した。




