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『聖なる鉄槌』  作者: 妃水
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第一話 初恋


 その男の子の左目は、宝石のような澄んだ青色だった。


 子どものころ、彼の片目だけ瞳の色が違うことが、不思議で仕方なかった。


『オッドアイ』というのだと、しばらくしてからやっと知った。


 その男の子の名前は徳山勇斗とくやまはやとという。


 無口で感情を表に出さない、どこか同い年の子どもに比べると大人っぽくて陰のある男の子だった。


 西洋の面影が差すくっきりとして整った美しい顔立ち。

 

 色素の薄い茶色のさらさらの髪。


 初めて彼と出会ったのは小学一年生のとき、入学式後の教室でだった。


 幼稚園を卒園して、新しい生活に希望を抱いてお気に入りのピンクのランドセルを揺らして登校したあの日、彼を一目見て、好きになってしまったのだと思う。


 けれど、彼を遠くからそっと眺めるばかりで、あまり友達も作らず大人しい彼と、なかなか話す機会に恵まれず、8回目の誕生日を迎えてしまった。


 クラス替えを経ても、同じクラスになったことで、赤い糸で結ばれているなんて一方的に運命を感じたりもしていた。


 恋に恋する年ごろだった。


 今日は、徳山くんの誕生日だな、なんて空を眺めながら考えていたとき、スカートの裾を引っ張られたので思考を中断して目線を下げると、虎太郎こたろうが無垢な瞳で見上げていた。


「なあに?

 虎太郎、どうしたの?」


 虎太郎はむぐむぐと口を尖らせながらたどたどしく説明した。


「つきねえ、おそらにとんでいっちゃいそうだったから、とめたの」


 つきねえ──笹垣月雫ささがきつきなは、苦笑するとしゃがみ込んで、4歳の虎太郎のつやつやの黒髪の頭をわしゃわしゃと撫でてやった。


「ありがと。

 でも、わたしは飛んで行かないよ」


「ほんと?

 とりさんみたいにとんでいっちゃったりしない?」


 虎太郎の不安そうな顔に、月雫は優しく笑いかけてやる。


「行かないよ。

 わたしは鳥じゃないから、飛べないの」


「そっか、そうなんだ。

 よかった、つきねえ、いなくなっちゃったらさびしいから」


 虎太郎が、ようやく安心した顔つきになったので月雫は幼子がぬいぐるみにそうするように、一切の遠慮なく虎太郎を抱きしめる。


「苦しいよ、つきねえ」


 月雫の腕の中で、虎太郎が小さな身体をよじらせて逃れようとする。


 すると。


「あー、虎太郎いいなあ、あたしも月姉つきねえにハグされたい!」


「ぼくもぼくも、虎太郎ばっかずるいよ!」


 月雫のもとに虎太郎と同じ年ごろの子どもが次々と集まってくる。


「じゃあ、みんな、まとめてぎゅーってしてあげる」


 月雫がそう言うと、子どもたちが無邪気な歓声を上げた。


「ほら、ぎゅー」


 円陣を組むように、月雫は両手を広げて小さな子どもたちをまとめて包み込む。


 きゃっきゃっと、嬉しそうな声を上げて子どもたちが月雫に抱きつく。


 子どもたちの笑顔を見ながら、月雫は自分が『ひまわり』の中でも年長の方になったのだと思い知らされた。


 本音を言えば、月雫は、まだまだ大人に甘えてハグをせがむ側でいたかった。


 だが、8歳の月雫は、年下の子どもたちから慕われるたびに、「自分がしっかりしなくては」と責任を感じるようになった。


「お前ら、月雫にばっかり甘えんなよ」


 そのとき、詰め襟姿の男の子が声をかけてきた。


伸治しんじ兄ちゃんだ!

 お帰り、一緒に遊ぼうよお!」


「駄目、おれ勉強あるから」


 寄ってくる子どもたちを素気なくいなしながら伸治が『ひまわり』の玄関に向かう。


「待ってよ、伸治兄ちゃん!」


 どたどたとやかましく自分を追いかけてくる子どもたちに、振り向いた伸治が一喝する。


「うるさい、おれは勉強するの。

 お前らも宿題あるだろ、早くやれよ」


「ええー、じゃあ、伸治兄ちゃんが勉強教えてよ。

 成績いいんでしょ?」


「お前たちの相手してる暇なんかないんだよ」


「伸治兄ちゃんのガリ勉!」


「……ガリ勉……。

 どこで覚えてきたんだ、そんな言葉。

 とにかく、おれは忙しいの」


 しっしっと、伸治が子どもたちをまとわりつく羽虫にするかのように追い払う。


 前髪をかきあげるのは、伸治がいらいらしているときの癖だ。


「なんでそんなに勉強するの?」


 バスケットボールを手にした年少のあゆみの素朴な質問に、伸治がぴたりと動きをとめる。


 その沈黙の意味を理解している月雫は、はらはらと子どもたちと伸治とのやり取りを見守っていた。


「お前たちも、今から勉強しとけよ。

 俺たちは、他のやつらみたいに学習塾へ行けない。

 自力で勉強して高校に入らなきゃならないし、大学に行くんだったらなおさら勉強して奨学金をもらわないといけない。

 働き口も確保しないと奨学金も返せない。

 俺たちは、マイナスからのスタートなんだ。

 知識で武装して社会で生きていくしかないんだよ。

 頼れる親は、いないんだから」


 吐き捨てるように言うと、伸治は『ひまわり』の玄関を開け、振り向きもせずに靴を脱いでスリッパに足を通した。


「月雫、お前最近成績落ちてるらしいな。

 子どもたちの相手をし過ぎだ。

 勉強は一度ついていけなくなると取り返しがつかなくなるぞ」


 冷淡に告げると、すたすたと廊下を歩き出した伸治の背中が階段を上り消えていく。


「なーんだ、冷たいの、兄ちゃん」


 伸治の台詞が理解できない子どもたちは不貞腐れて頬を膨らませている。


 伸治は、中学に入ってからというもの、帰ってから寝るまでずっと勉強漬けだ。

 

 少し気難しくなった気がする。


 月雫はその理由がわかる年齢になった。


 伸治の言う通り、この『ひまわり』にいる子どもたちは、『マイナスからのスタート』だ。

 

 スタートラインからすでに違っている。


 恵まれない境遇といっていい。


 『普通』の子どもと肩を並べるためには、人一倍努力しなければ追いつけないし、それを嘆いたところで、誰も助けてくれないのだ。


 『ひまわり』では、早く大人になることを求められる。


 18歳になったら、自立して自分だけの力で社会で生きていかねばならない。

 

 月雫は、それが薄々わかる歳であったし、伸治が焦る気持ちもよくわかる。

 

 伸治に振られた子どもたちは、彼のことなど瞬時に忘れてしまったように早々に機嫌を直して庭へ戻って遊びを再開した。


 遊びに加わる気になれず、月雫はぼうっと子どもたちが楽しそうにはしゃぐ様子を眺めていた。



 笹垣月雫は、生まれてまもなく児童養護施設『ひまわりのその』に預けられた。


 両親の顔も名前も知らない。


 『月雫』という名前をつけたのは両親であったと『ひまわり』の職員に教えられたが、名前の由来も顔も知らない両親のことも知りたいとも思わなかった。 


 しかし、思春期を迎えた施設で暮らす子どもたちがそうであるように、月雫は自分が親に捨てられたという現実を理解しつつあった。


──わたしは、いらない子なのかな。

 

 そんな考えがぐるぐると頭の中で渦巻き、鍋にへばりついた焦げあとのように払拭することができない。


 気がつけば周りに年上も年下の子もいる環境だった。


 年下の子どもはまだ赤ちゃんも同然で、歳を重ねるにつれ、『お姉さん』の役割りを求められることが増えた。 


 幼い子どもたちは月雫に懐いてくれたし、施設の中はいつも賑やかだったが、月雫の孤独と寂しさは日増しに募っていった。


──どうして、わたしたちは捨てられたんだろうね。


 施設内を走りまわる子どもの足音を聞きながら、やるせない気持ちになる。


──わたしたち、なにか悪いことでもしたのかな。


 両親を持つ子どもが『普通』なら、なぜ自分たちにはその『普通』が与えられなかったのだろう。


 どうして、なぜ、と疑問ばかりが思考のほとんどを占める。


 神様に、いじわるされているのかな。


──ここにいる子どもは、みんな良い子ばかりなのに、神様ってひどいよね。


「月ねえ、大丈夫?」


 5歳の由香ゆかの大きな瞳に顔を覗き込まれて、月雫ははっと現実に帰った。


 最近、こんなふうに考えごとにふける時間が多くなったな、と自分でも自覚する。


「大丈夫だよ、ほら、ご飯食べよう」


 月雫が微笑むと、由香はツインテールの髪を揺らして嬉しそうに「うん!」と笑った。


 食事の席は、いつも騒がしい。


 男の子は食事そっちのけで遊びはじめるし、それを注意する職員の怒号が飛び交い、それを聞いて泣き出す女の子もいる。


 小学校高学年にもなると、大人しく食事をすませるのだが、15人いる子どものうち、半数は幼稚園から小学校低学年なので、食事ひとつとっても手がかかる。


 月雫は年下の子どもの食事のサポートをしつつ、自分は施設の職員に迷惑をかけないようにしっかりしないといけないと、決意を新たにした。




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