第八章 ―― 祝福の裏側 ―― 一
十二月の第一道場は、いつもと違う空気をまとっていた。
壁際に紅白の幕が張られ、床には磨きをかけた板が新しく敷かれていた。観覧席には在校生だけでなく、保護者らしき人物や地域の剣士たちの顔も混じっている。格刀技大会は学校の一大行事らしく、普段の入れ替え戦とは比べ物にならない規模だった。
出場者は全学年から選抜された三十二名。全学年混合のトーナメント形式で、防具あり・木刀による一本勝負。優勝者には闘獣階への推薦権が与えられる。
俺はすでに闘獣階に入っているので、推薦権は関係ない。それでも理事長から「出場してほしい」と頼まれた。去断する理由もなかったので引き受けた。
蒼太たちは観覧席にいた。
「全部見てるからな」と蒼太が言った。「手ぇ抜くなよ」
「抜きません」
「本当か」
「本当です」
蒼太は疑わしそうな目をしたが、それ以上は言わなかった。
一回戦から準決勝まで、俺は淡々と勝ち進んだ。
対戦相手は全員、能力分析で事前に把握していた。三十二名の中で最も強い相手でも、六段・五百四十個。柊木戦の後の俺には、戦略を組む必要もない相手だった。
ただし今日は「完全犯罪」を使わないことにした。
手の内を隠す必要がある相手がいない。それに、格刀技大会という晴れ舞台で縮こまった剣を見せても、観客に失礼だ。
準決勝の相手は二年生の七段だった。この大会で最強の相手だ。
試合は五合で終わった。
相手の踏み込みに合わせて懐に入り、木刀を弾いて一本。シンプルな技だが、タイミングが完璧なら五合で十分だ。
観覧席から拍手が来た。
決勝の相手は三年生の六段だった。準決勝で別の強豪を破ってきた、堅実な戦い方をする生徒だ。能力分析で確認すると、得意系統は「守り」と「カウンター」。攻めてくる相手を待ち受けるタイプだ。
俺は決勝戦で、初めてじっくり間合いを取った。
相手が待っているなら、こちらも待てばいい。どちらが先に動くかの読み合いだ。
三十秒が過ぎた。
相手が動いた。カウンターを狙って、わざと隙を作る動き。誘いだ。
俺は誘いに乗らなかった。一歩外に踏み出して、角度を変えた。相手のカウンターの軌道から外れた場所から、斜めに踏み込む。
相手が対応しきれなかった。
木刀が胴を捉えた。
「一本、勝負あり」
道場が沸いた。
二
表彰式は試合の直後に行われた。
理事長が壇上に上がり、優勝者である俺の名前を呼んだ。俺が前に出ると、会場から拍手が来た。
理事長から賞状を受け取った。
その時、壇上の端に天羽学院長の姿があった。
天羽厳一郎。剣術学校の学院長だ。温厚で生徒思いの名物学院長として知られていて、入学式でも式辞を読んでいた。白髪交じりの頭と、柔和な目元が特徴的な人物だ。
天羽学院長は俺が壇を降りようとした時、歩み寄ってきた。
「斎藤くん、優勝おめでとう」穏やかな声だった。「素晴らしい試合だった。特に決勝の間合いの取り方は、学院長として誇らしく思う」
「ありがとうございます」
「これからも学校の期待を背負って、頑張ってくれたまえ」
天羽学院長は右手を差し出した。
俺はその手を握った。
温かい手だった。長年剣を握ってきた硬さがある。学院長になってからも、剣を続けている人物だとわかる。
「よろしくお願いします」と俺は言った。
天羽学院長は満足そうに頷いて、離れていった。
俺は賞状を持って、蒼太たちのところへ向かった。
三
年が明けた。
一月の最初の稽古日。
俺はいつもより早く道場に来て、一人で準備を始めた。格刀技大会から約三週間。年末年始は弟子たちとそれぞれの課題を確認して過ごした。今日からまた本格的な稽古が始まる。
木刀を構えて、「明鏡止水」を起動しようとした。
起動した。問題ない。
次に「直感」を起動しようとした。
起動した。
次に「縛気」を。
……起動しない。
俺は少し間を置いた。
もう一度試みた。「縛気」に意識を向けて、発動させようとする。
何も起きなかった。
俺は木刀を下ろして、スキルの一覧を確認した。頭の中に広がる、膨大な引き出し。その中で「縛気」のある場所を探した。
ある。確かにある。だが引き出しが、開かない。
他のスキルを試した。「双影」。起動しない。「乱拍子」。起動しない。「残影」。起動しない。
俺は静かに、一つずつ確認した。
「明鏡止水」は使える。「直感」は使える。「完全犯罪」は使える。「能力分析」は使える。「嘘発見器」は使える。
使えないものが、どんどん増えていった。
五分後、俺は結論を出した。
使えるスキルは、五個だけだ。
二千万を超えるスキルの中で、たった五個しか使えない。
俺は道場の壁を背にして、ゆっくりと座り込んだ。
静かに、状況を整理した。
これは封印だ。誰かが、俺のスキルを意図的に封じた。タイミングで考えると、格刀技大会の表彰式の後、天羽学院長と握手をした直後から始まっている可能性が高い。
あの握手の中に、何かがあったのか。
俺は天羽学院長の顔を思い出した。温厚な笑顔。柔和な目元。「素晴らしい試合だった」という言葉。「学院長として誇らしく思う」という言葉。
嘘発見器は、あの時起動していなかった。
あの言葉が本当だったかどうか、確認できていない。
俺は目を閉じた。
怒りはなかった。焦りもなかった。
ただ、冷静に問いが浮かんだ。
誰が。なぜ。どうやって。
三つの問いを頭に並べて、俺は静かに目を開けた。
蒼太たちが道場に来る前に、もう少し整理が必要だった。
五個のスキルで、今後どう動くか。
それを先に決める。
俺は立ち上がって、木刀を構え直した。
五個あれば、十分だ。戦い方を変えればいい。二千万のスキルが使えなくても、この体と、十年分の剣技と、五個のスキルがある。
それで足りる。
俺は素振りを始めた。
音が、静かな道場に響いた。




