第六章 ―― 手札は、少しずつ切る ―― 一
十月になった。
昇格戦の告示が出たのは、月の最初の月曜日だった。第一道場の掲示板に、白い紙が一枚貼られた。
【昇格戦のお知らせ】
挑戦者:斎藤誠(一年・十位)
対戦相手:月島颯(三年・三位)
白川蓮(三年・二位)
柊木暦(三年・一位)
日程:十月第三週、連日開催
掲示板の前に、朝から人だかりができた。
「一年生が三位から一位に連続挑戦」というのは、この学校では前例がなかった。廊下を歩いていると、視線が集まった。上級生の目には好奇心と、一部に懐疑の色がある。一年生が、それも十位になってまだ三ヶ月の生徒が、上位三人に挑む。無謀だと思うのは自然だ。
蒼太は朝から興奮していた。
「斎藤、本当にやるのか。三位から一位まで一気に」
「やります」
「勝てるのか」
「やってみないとわかりませんが」
「お前がそれを言うか」蒼太は頭を抱えた。「お前が言うと、絶対勝つに決まってる感じがして、逆に怖い」
凛花は静かだった。ただ俺を見て、「応援します」と言った。それだけだった。
霧島は何も言わなかった。
ひよりは「三人とも、強いですよね」と言った。
「そうですね」
「でも斎藤くんのほうが強いですよね」
「どうでしょう」
「わかります」とひよりは言った。根拠を聞く前に、話題を変えた。「お弁当、今日はたまごやきが三個入ってました」
俺は返事をしなかった。
二
初日。対三位・月島颯。
月島は長身の三年生で、手足が長い。リーチを活かした戦い方をするタイプだ。能力分析の結果は九段・六百九十八個。総会で確認した通り、「双影」を持っている。
道場は満席だった。昨日の掲示から一夜明けて、学校中の生徒が集まっている。教師たちも何人か観覧席の後ろに立っていた。
月島は試合前、俺に向かって軽く頭を下げた。
「一年生と戦うのは久しぶりだ。楽しみにしていた」
「ありがとうございます」
「遠慮はしないぞ」
「こちらもしません」
月島は少し笑った。
審判の合図。
月島は最初から長いリーチを使ってきた。大きく踏み込まずに、間合いの外から剣先を伸ばす。触れるか触れないかの距離で、こちらの動きを探っている。
俺は三合ほど受け流しながら、月島のリズムを読んだ。
打ってくる。
月島が踏み込んだ瞬間、俺は「縛気」を使った。
空気が変わる感覚。月島の動きが、コンマ数秒だけ止まった。
その隙間に、俺は踏み込んで月島の胴を打った。
道場が静まった。
「縛気」は総会で白川から奪ったスキルだ。この学校で、今まで白川しか使えなかった技を、一年生が使った。静けさの意味はそこにある。
月島が体勢を立て直した。今度は目が変わっていた。探る目から、本気の目に。
「……縛気を使えるのか」
「少しだけ」
「どこで覚えた」
「独学です」
月島は笑わなかった。代わりに、構えを深く沈めた。今度は本気で来る。
「双影」が展開された。月島の体に残像が重なる。二つの影が同時に動いているように見える攪乱技だ。初見なら迷う。
だが俺は総会で月島のスキル構成を全て見ていた。「双影」の動作原理も、習得済みだ。
残像の重心は左にぶれる。本体は右から来る。
俺は右に一歩踏み込んで、月島の木刀を外側から弾いた。そのまま月島の腕を内側から押し上げて、体勢を崩す。
月島が崩れた。俺は木刀の切っ先を月島の首元に向けて、止めた。
審判が「勝負あり」を告げた。
月島はしばらくその姿勢のまま、俺を見ていた。それから静かに言った。
「お前、双影も使えるのか」
「使えます」
「……強いな」
月島は素直に言った。怒りでも悔しさでもなく、ただ純粋な評価として。
俺は木刀を下げて、礼をした。
三
翌日。対二位・白川蓮。
白川は昨日の試合を観ていた。観覧席の最前列で、腕を組んで、じっと見ていた。俺が縛気を使った瞬間、白川の眉がわずかに動いたのを、俺は能力分析の視野の端で確認していた。
今日の道場は、昨日より人が多かった。廊下まで生徒が溢れている。
白川は試合前、昨日の月島と同じように礼をした。だが表情が違う。人好きのする笑顔だが、目の奥が静かに燃えている。
「昨日の試合、見たよ」と白川は言った。「縛気、俺から奪ったのか」
「総会で習得しました」
「……能力分析で見て、そのまま習得できるのか」
「はい」
白川は少し間を置いてから「なるほど」と言った。笑顔は変わらないが、目が変わった。今まで一位の柊木にしか向けたことがないだろう、本気の目だ。
審判の合図。
白川は最初から全力だった。
「縛気」の先制。白川が仕掛けてきた。俺の動きを封じようとする。だが俺も縛気を習得している。干渉し合って、効果が相殺された。
白川が目を細めた。
「縛気を縛気で消すか」
「同じスキルなので」
「面白い」
白川は次に連撃を仕掛けてきた。七段から九段まで積み上げた剣技の厚みがある。速い。力がある。月島より圧力が高い。
俺は受け流しながら、白川のリズムを読んだ。
連撃の三打目に、必ずわずかな隙がある。踏み込みの切り返しで、右肘の位置が高くなる瞬間だ。
俺は「双影」を展開した。
白川が一瞬止まった。月島が使う技を、俺が使った。
その一瞬で、俺は白川の右側に回り込んだ。肘の隙を突いて、木刀を弾く。白川の剣が弧を描いて流れた。体勢が崩れる。
俺は白川の胸元に木刀の平を当てて、止めた。
静寂。
それから道場が、どっと沸いた。
白川はゆっくりと俺の木刀を見て、それから俺の顔を見た。
「双影まで使えるのか」
「昨日の月島さんの試合で習得しました」
「……昨日の試合中に?」
「見ていれば覚えられるので」
白川は少し笑った。笑いながら、首を振った。
「お前、本当に何者だ」
「ただの剣士です」
「嘘だ」白川は楽しそうに言った。「ただの剣士が、縛気と双影を一日で覚えるか」
俺は返事をしなかった。
白川は礼をした。俺も礼を返した。
観覧席から拍手が続いていた。
四
二日間の試合が終わった夜。
蒼太がアパートに押しかけてきた。凛花とひよりも一緒だった。霧島は来なかったが、後で凛花から「霧島くんも来たかったけど、どう声をかければいいかわからなかったらしい」と聞いた。
四人で、狭い部屋に押し込んだ。
「二連勝だぞ!」蒼太が開口一番に言った。「しかも二位まで倒して! すごいだろ!」
「ありがとう」
「ありがとうじゃないだろ! もっと喜べよ!」
「これが俺の喜び方です」
蒼太は「わからん」と言いながら座った。
凛花は部屋の隅に座って、俺を見ていた。何か言いたいことがある顔だ。
「どうぞ」と俺は言った。
「縛気と双影」と凛花は言った。「どこで覚えたんですか。白川さんが初めて聞いたような顔をしていました」
「総会と試合中に覚えました」
「試合中に、ですか」
「見れば覚えられるので」
凛花はしばらく俺を見ていた。
「……私たちに教えてもらっていることって、ほんの少しなんですね」
「少しじゃないですよ」
「でも」
「今の四人に必要な分を教えています。それは少なくない」
凛花は少し間を置いてから、「わかりました」と言った。納得しきってはいないが、受け入れた顔だ。
ひよりが「あの技かっこよかったです」と言った。
「どの技ですか」
「白川さんの剣を弾いたやつ。最後に当てるとこ」
「ありがとう」
「あれ、私にも教えてもらえますか」
「そのうちに」
「いつですか」
「ひよりさんの剣が、あそこまで来たら」
ひよりは「じゃあ急がないといけないですね」と言って、弁当箱を取り出した。なぜ弁当を持ってきているのか聞こうとして、やめた。この子のことだから、特に理由はないのだろう。
蒼太が「俺はいつ教えてもらえるんだ」と言った。
「蒼太は力みがなくなったら」
「力みって、まだあるか?」
「あります」
「くそ」
蒼太は悔しそうに拳を握った。その手の力み方が、まさに問題の核心だった。俺は何も言わなかった。
その夜は遅くまで、狭い部屋に四人の声が続いた。
明後日、一位の柊木戦がある。
俺はそれを頭の片隅に置きながら、蒼太たちの話を聞いていた。




