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第五章 ―― 見せるのは、氷山の一角でいい ――

七月に入った最初の週末。

 入れ替え戦の会場は、第一道場だった。五月の観戦から二ヶ月。俺は今日、観覧席ではなく、挑戦者として道場の床に立っている。

 相手は闘獣階十位。名前を「堂島どうじま」。正面で見ると、体格がいい。肩幅が広く、手が大きい。腰の据わった立ち方をしている。

 開始前にこの前の能力分析では足りなかった部分を修正する。

 観覧席はほぼ満席だった。

 一年生が入れ替え戦に挑むのは珍しいらしく、朝から学校中で話題になっていた。蒼太たちは観覧席の前列に陣取っている。蒼太は落ち着きなく足を揺らしていた。凛花は腕を組んで真剣な顔をしていた。霧島は無表情だが、目が道場の中心を捉えて離さない。ひよりは「がんばってくださーい」と手を振った。

 俺は軽く頷いた。

 審判が両者を呼んだ。

「入れ替え戦、始め」


 堂島は最初の一歩が速かった。

 大きく踏み込んで、右から大振りの横薙ぎ。力がある。受けたら押し負けるタイプの一撃だ。

 俺は一歩右に外した。

 堂島の木刀が空を切る。その勢いのまま、堂島は切り返しに入った。左からの逆袈裟。連続して来る。

 俺は二打目も外した。足を使って、ただ外す。

 堂島が舌打ちをした。踏み込みを深くして、三打目。今度は縦に振り下ろす。

 俺はその軌道を見た瞬間に、一歩前に入った。

 堂島の懐に潜り込む。振り下ろしの軌道の内側、木刀が届かない間合い。そこから俺は堂島の右手首を軽く打った。力を抜いた、本当に軽い一打だ。

 堂島の木刀がぶれた。

 体勢を崩した堂島が立て直そうとする。俺はすでに離れていた。

 静かに、もとの間合いに戻って構えた。

 道場がざわついた。

 俺がやったのは、「踏み込みの軌道を読んで懐に入り、手首を叩いた」だけだ。能力分析も、明鏡止水も、直感も、使っていない。ただの読みと足捌きだ。五段相応か、せいぜい六段程度の動きに見えるように意識した。

 堂島が息を整えて、構え直した。

 目に怒りがある。だがその下に、困惑もある。「何をされたかわからない」という困惑だ。

 いい。それでいい。


 その後も、俺は同じ方針で戦い続けた。

 堂島の攻撃を外す。崩れたところに、小さな一打を入れる。追撃しない。離れる。また待つ。

 堂島は何度も体勢を崩されながら、それでも諦めずに攻め続けた。六百五十二個のスキルを使って、様々な角度から仕掛けてくる。「剛撃」の威力は本物で、何度か俺の木刀が弾かれた。意図的に弾かれたのだが、外から見れば「圧力に押された」ように見えるはずだ。

 十分ほど打ち合った後、俺は動いた。

 堂島が大きく踏み込んできた瞬間、俺は真正面から受けた。

 弾かれる、と観覧席が息を呑んだのがわかった。

 だが俺は弾かれなかった。

 堂島の力をそのまま流して、横に逃がした。剣先がすり抜けるように軌道を変える。堂島の体が前に泳いだ。その背中に、俺は木刀の平を当てた。

 軽く。ただし、確実に。

 堂島が前のめりに崩れた。

 審判が「勝負あり」を告げた。

 道場が沸いた。

 俺は木刀を下げて、堂島に一礼した。堂島はしばらく俺を見ていた。怒りではなく、もう困惑だけが残った目だった。

「……お前、何段だ」と堂島が言った。

「五段です」

 堂島は何かを言いかけて、やめた。それからゆっくり頷いて、礼を返してくれた。


 試合が終わった後、観覧席が一気に動いた。

 蒼太が真っ先に走ってきた。

「斎藤! やったじゃないか! すごかったぞ!」

「ありがとう」

「ありがとうじゃないだろ! もっと喜べよ!」

 蒼太は興奮で顔が赤い。俺の肩を叩いて、また叩いた。痛い。

 凛花が少し遅れてやってきた。表情が複雑だった。嬉しそうなのに、何か考え込んでいるような顔だ。

「斎藤さん」

「はい」

「あの試合、手を抜いてましたよね」

 俺は少し間を置いた。

「そんなことは」

「抜いてました」凛花は真っ直ぐに俺を見た。「途中で何度か、追撃できる場面がありました。でもしなかった。なぜですか」

 鋭い。

 凛花は感情系だと思っていたが、試合を見る目は冷静だ。感情と観察が、この子の中で別々に動いている。

「必要な分だけ勝てばいい、と思っているので」

「……それって、もっと強いということですか」

「どうでしょう」

 凛花はしばらく俺を見てから、「ずるいです」と言った。

「何が」

「強いのに、それを見せない。こっちはどこまで目指せばいいかわからない」

 俺は少し考えてから言った。

「俺の背中を見なくていいですよ。自分の剣を見てください」

 凛花は「わかってます」と言ったが、納得した顔ではなかった。

 ひよりがやってきて、俺の隣に並んだ。

「かっこよかったです」とひよりは言った。

「ありがとう」

「でも最後の一打、あれ技の名前はなんていうんですか」

「名前はないですよ」

「ないんですか」

「ただ流しただけなので」

 ひよりは「ふーん」と言って、何かを頭の中で考えているようだった。

 霧島が最後に来た。

 何も言わなかった。ただ俺の横に立って、道場の中心を見た。堂島がまだそこに立っていた。審判と話している。

「霧島さん」と俺は言った。

「なんだ」

「試合、どう見えましたか」

 霧島は少し間を置いてから答えた。

「お前が何をしたのか、半分しかわからなかった」

「半分わかったなら十分です」

「……半分しかわからなかったことが、悔しい」

 俺は霧島を見た。

 この男は、悔しいという言葉を口にするのに、相当なエネルギーが要るタイプだ。それを言った。

「じゃあ残りの半分は、自分で見つけてください」と俺は言った。「稽古でヒントを出します」

 霧島は無言で頷いた。


 入れ替え戦から三日後。

 闘獣階の総会があった。

 総会は月に一度、闘獣階のメンバーが集まって行われる会議だ。議題は学校運営に関することや、外部との交流戦の調整など様々だが、今月は新メンバーとして俺が初参加する回でもあった。

 会場は学校の奥、普段は立ち入り禁止の「評議室」と呼ばれる部屋だ。長テーブルを囲んで、闘獣階の十人が座る。

 俺は入室して、十人の顔を確認した。

 同時に、全員を能力分析した。

 一位。柊木暦。无刀流・十段。七百七十八個。

 二位。白川しらかわ。无刀流・九段。七百二十一個。

 三位。月島つきしま。无刀流・九段。六百九十八個。

 四位から九位。それぞれ八段から九段。習得数は五百九十から六百八十の範囲。

 そして十位が、今日から俺、斎藤誠。

 全員のスキル構成を、俺は一人ずつ丁寧に記録した。頭の中に、全員のスキル一覧が並ぶ。

 そしてその中に、俺の記憶にないスキルがいくつかあった。

 二位の白川が持つ「縛気ばっき」。相手の動きを一瞬封じる系統のスキルで、ゲームには存在しなかった。

 三位の月島が持つ「双影そうえい」。自分の動きに残像を重ねて攪乱するスキル。これもゲームにはない。

 四位から九位にも、それぞれ一つから三つ、この世界独自のスキルが混在していた。

 合計で、新規スキルが十四個。

 俺は総会の議題を聞きながら、その十四個のスキルの動作パターンを頭の中でシミュレートし続けた。能力分析で構成は見えている。あとは実際の動きをどこかで確認すれば、習得は難しくない。

 総会が終わった後、移動する皆の動きを観察した。

 廊下に出たところで、二位の白川が俺の隣に並んだ。

「斎藤、だったな」白川は人好きのする笑顔の男だった。「一年生が十位に入るのは、五年ぶりらしい。驚いた」

「そうですか」

「試合、見てたよ。なかなか面白い剣を使う」

「ありがとうございます」

「一つ聞いていいか」白川は声を落とした。「お前、本当に五段か」

 俺は少し間を置いてから、「書類上は」と答えた。

 白川は笑った。「正直だな」

「嘘をついても意味がないので」

「……まあいい。これからよろしく頼む」白川は手を差し伸べた。「困ったことがあったら声をかけてくれ」

 俺はその手を握った。

 白川の掌は、長年剣を握ってきた硬さがあった。


 総会の夜。

 アパートの部屋で、俺は今日の収穫を整理した。

 新規スキル十四個。全員のスキル構成。闘獣階の内部事情と人間関係。

 そして一つの判断。

 「限界突破」を使って、今日確認した新規スキルを全て習得する。

 ゲームで習得した七百八十個に加えて、さらに増える。この世界でしか存在しないスキルを手に入れることで、俺の戦い方の幅が広がる。

 目を閉じて、意識を集中した。

 「縛気」。動作原理を能力分析の結果から逆算して、体に染み込ませる。

 「双影」。残像を重ねるタイミングと重心移動の連動を、頭の中でシミュレートする。

 一つずつ、丁寧に。

 二時間かけて、十四個全てを習得した。

 窓の外では、虫の声が鳴いていた。夏の始まりの音だ。

 俺は目を開けて、天井を見た。

 十位には入った。次は一位から九位を全員越えなければならない。だが焦る必要はない。十月の昇格戦まで、まだ三ヶ月ある。

 その間に、弟子たちを育てる。

 四人それぞれに何が必要かは、すでに見えている。蒼太には力みを取ること。凛花には感情と剣を切り離す訓練。霧島には「読めなかった半分」を自分で掴む経験。ひよりには、あの均等なスキル分布を、本人が気づいていない強みとして引き出すこと。

 やることは多い。

 だが多いほど、面白い。

 俺は目を閉じた。

 夏の虫の声を聞きながら、静かに眠りについた。

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