第四章 ―― 強さの意味を、まだ知らないやつらへ ――
四月も半ばを過ぎると、学校の生活リズムが体に馴染んできた。
午前は座学と基礎実技。午後は各自の自主練習か、希望者向けの応用授業。夕方から夜は自由時間。規則正しいようで、実力差のある生徒が混在するせいか、授業の密度にはかなりばらつきがある。
俺の場合、授業そのものは正直なところ物足りない。八段の岩崎教師が教える内容でも、俺の現在の実力からすれば復習以下だ。だがそれは予想していた。授業で学ぶことより、授業を通じて観察できることに価値がある。
クラスメイトの癖。教師の指導方針。学校全体の雰囲気。闘獣階の生徒たちがどう扱われているか。
そういうものを、俺は毎日少しずつ積み上げていた。
蒼太とは毎朝、授業前に三十分の自主練習をするようになっていた。凛花は最初は遠慮がちだったが、三日目から自然と混ざってくるようになった。霧島は参加しない。ただ、毎朝同じ時間に道場に来て、俺たちから少し離れた場所で一人で練習している。
ひよりは、毎日昼に隣に座ってくる。
理由を聞いたら「習慣になったから」と言われた。
ある昼のこと。
ひよりが弁当を広げながら、ぽつりと言った。
「ねえ、闘獣階って知ってる?」
蒼太が「知ってる知ってる」と身を乗り出した。いつの間にか昼食の輪が五人になっていた。霧島だけは少し離れた石段に座っているが、耳は向けている。
「学校のランキング上位十人のことだろ。すごい権限があるって聞いた」俺が黙って聞いていると、蒼太は続けた。「道場の優先使用権とか、後輩への指導権とか、理事長への直訴権まであるらしい。あと遠征費用が全額学校持ちになるとか」
「入れ替え戦が毎年五月にあるんですよね」と凛花が言った。「闘獣階の十位に誰かが挑戦して、勝てば入れ替わる」
「一対一のトーナメント制で」ひよりが付け加えた。「今年は来月です」
俺は三人の顔を見回した。それぞれが違う情報源から集めてきた話を、自然に補完し合っている。面白い。
「斎藤は興味ないの?」蒼太が俺を見た。
「あります」
「じゃあ狙うの?」
「そのうちに」
「そのうちって……」蒼太は少し呆れた顔をした。「お前なら今すぐ狙えると思うけどな」
「焦る理由がないので」
蒼太は「お前は本当に何考えてるかわからん」と言いながら、飯を掻き込んだ。
石段の上で霧島が、静かに聞いていた。
二
五月になった。
入れ替え戦の当日。
試合は学校の第一道場で行われた。観戦自由ということで、生徒のほとんどが集まっていた。俺も蒼太たちと並んで、観覧席の端に座った。
挑戦者は二年生の男子生徒で、名前を「神代」という。三年生の闘獣階十位に挑む形だ。
俺は開始前に、両者を能力分析で確認した。
神代。无刀流・七段。習得スキル数五百八十八個。得意系統は「速度」と「陽動」。
闘獣階十位。无刀流・八段。習得スキル数六百四十四個。得意系統は「重圧」と「見切り」。
純粋な実力差なら十位のほうが上だ。だが神代の陽動系スキルは厄介で、実力差をひっくり返す可能性がある。これは接戦になる。
試合が始まった。
神代は最初から速い。踏み込みが鋭く、動きにリズムがない。わざとタイミングをずらして、相手の読みを狂わせる戦い方だ。
蒼太が「速っ」と呟いた。
「見切り」系の十位は神代の動きを冷静に追っている。崩されそうになっても体幹が強く、簡単には揺れない。
二分ほど打ち合った後、神代が大きく踏み込んだ。陽動から入って、切り返しの一撃。速い。十位が後退した。だがそこで十位が「重圧」を展開した。周囲の空気が変わる感覚。神代の動きがわずかに鈍った。その瞬間、十位が一気に間合いを詰めた。
神代が弾き飛ばされた。
審判が「勝負あり」を告げた。
十位の勝利だった。
道場に拍手が広がった。
俺は静かに、試合全体を頭の中で整理した。
神代が使った陽動系のスキルの中に、俺の記憶にないものが二つあった。この世界独自のスキルだ。動きのリズムを意図的に乱す「乱拍子」と、相手の視界に残像を生じさせる「残影」。
興味深い。
俺はその二つのスキルの動きを頭に焼き付けた。
三
試合が終わって、観覧席が解散し始めた頃。
俺の隣に、誰かが座った。
柊木だった。
蒼太たちはすでに別の方向へ歩いていて、その場には俺と柊木だけが残っていた。
「見てた?」と柊木が言った。
「はい」
「どう思った」
俺は少し考えてから答えた。「神代さんは惜しかった。『重圧』への対応策を持っていれば、結果が変わったかもしれない」
柊木は俺を横目で見た。
「能力分析、使ってたでしょ」
俺は否定しなかった。
「この学校では、試合中の能力分析は禁止されてない」と俺は言った。「不文律にも入ってなかったですよね」
「そうだけど」柊木は前を向いた。「使える人間が少ないから、ルールになってないだけ。使いこなせる人間が使うのは構わない」
しばらく沈黙が続いた。
柊木が口を開いた。
「あなた、今月中に師匠になるでしょ」
俺は少し驚いた。
「なんでそう思うんですか」
「毎朝の練習、見てた。火野と宮瀬が、あなたの動きを真似し始めてる。霧島も意識してる。朝比奈は最初からそのつもりで近づいてる」柊木は淡々と言った。「あなたがそれを知らないわけがない」
「……知ってます」
「断らないんですか」
「断る理由がないので」
柊木は少しだけ、表情が動いた。笑ったわけじゃない。だが何かが緩んだような、ほんのわずかな変化だった。
「七月の入れ替え戦、出るの?」
「出ます」
「十位を狙って?」
「はい」
「勝てると思ってる?」
「はい」
柊木はしばらく俺を見ていた。
「……正直だね」
「嘘をついても意味がないので」
柊木は立ち上がった。道着の裾を払って、歩き始める。その背中に、俺は一つ聞いた。
「柊木さんは、闘獣階の何位ですか」
柊木は振り返らなかった。
「一位」
それだけ言って、歩いていった。
俺は空になった観覧席を見渡した。
一位。七百七十八個。
ゲームの中で俺が最後に乗り越えた壁が、この学校の頂点に座っている。
それが今は、俺に話しかけてきて、試合の感想を聞いてくる。
この世界は本当に、ゲームとは全然違う。
俺は立ち上がって、道場を出た。
外は初夏の風が吹いていた。丘の上から見える街が、夕暮れの光の中で橙色に染まっていた。
七月の入れ替え戦まで、あと二ヶ月。
やることは山ほどある。
まず、弟子たちに正式に話をしよう。
俺は歩きながら、頭の中で段取りを組み始めた。
四
翌朝。
いつもの自主練習の時間。道場には蒼太と凛花が来ていた。少し離れた場所に霧島。そして五分遅れでひよりが来た。寝癖がついていた。
「おはようございます」とひよりは言いながら欠伸をした。
俺は四人が揃ったのを確認して、木刀を下ろした。
「少し、いいですか」
四人が俺を見た。
「師匠になる気はないと言おうとしたんですが」と俺は言った。「なりますよ、一応」
蒼太が「よっしゃ」と小さく拳を握った。凛花が息を呑んだ。ひよりが「やっぱり」と呟いた。
霧島だけが、無表情のまま立っていた。
俺は霧島を見た。
「霧島さんは?」
霧島は少し間を置いてから言った。
「……断る理由がない」
俺は少し笑った。
さっき自分が言ったのと同じ言葉が返ってきた。
「条件が一つあります」俺は四人を見回した。「俺が教えることは、そのまま信じなくていい。必ず自分で確かめてください。俺の言う通りに動くだけの剣士には、俺は何も教えられない」
蒼太が「それってどういう意味だ?」と首を傾げた。
「考えながら剣を振れ、ということです」
蒼太はしばらく考えてから「わかった」と言った。凛花は静かに頷いた。霧島は何も言わなかったが、目が少し動いた。ひよりは「はーい」と返事をした。
「じゃあ始めましょう」
俺は木刀を構えた。
四人が、それぞれの間合いで構えを作った。全員、癖が違う。伸びる方向も違う。
それでいい。
俺は一人ずつ、順番に向き合った。
朝の光が、道場の窓から斜めに差し込んでいた。




