第三章 ―― 集まってくるやつらは、だいたい面倒くさい ――
最初の授業は、剣術の基礎実技だった。
場所は学校の第一道場。広い板張りの空間に、新入生が二十人ほど集められた。クラス分けは段位と流派ごとに行われるらしく、俺のクラスは无刀流の三段から五段が中心だ。
担当教師は三十代後半くらいの男性で、名前を「岩崎教師」という。がっしりとした体格で、物静かな話し方をする人物だ。能力分析の結果は八段・習得スキル数六百九十四個。学校の教師の中でも上位の実力者だ。
授業の内容は、まず各自の「基礎構え」の確認から始まった。
一人ずつ前に出て、構えを見せる。岩崎教師がそれを見て短くコメントする。
俺は自分の番になると、静かに前に出て木刀を正眼に構えた。
岩崎教師は俺の構えをしばらく見てから、「悪くない」とだけ言った。それ以上のコメントはなかった。
俺は自分の席に戻った。
その間も、俺は教室全体を観察し続けていた。二十人のクラスメイト。能力分析で全員を確認する。三段が十二人、四段が六人、五段が二人。中に面白い特性を持った構成の生徒が何人かいた。
特に、四人。
その四人が、この後どう動くのかを、俺は静かに見守ることにした。
二
最初に話しかけてきたのは、昼休みだった。
「なあ、お前! ちょっといいか!」
中庭で飯を食っていた俺に、真正面から声がかかった。
振り返ると、一人の男が立っていた。短く切った黒髪。日焼けした肌。目が大きくて、そこに隠しようのない熱が宿っている。体格は俺と同じくらいだが、手の甲に薄い傷跡がいくつもある。木刀を握り続けた痕だ。
火野蒼太。
朝の授業で確認していた。四段・習得スキル数三百二十一個。得意系統は「突き」と「踏み込み」。構えに力みがあるが、基礎の入り方が正しい。伸びる素材だ。
「俺、火野蒼太。お前、朝の授業で一番構えが綺麗だったよな。どこで学んだんだ?」
「独学です」
「独学?」蒼太は目を丸くした。「それで四段なのか?」
「五段ですよ」
「えっ」
蒼太は少し固まった。それから口元をぐっと引き結んで、俺をじっと見た。
「……名前は」
「斎藤誠」
「斎藤。俺と組まない? 稽古」
直球だった。
俺は少し考えた。断る理由もないが、安易に受けるのも慎重にならなければならない。蒼太は真っ直ぐな目をしている。裏がある人間の目じゃない。ただ純粋に強くなりたい、という熱だけがある。
「稽古の前に、一つ聞いていいですか」
「なんだ?」
「なんで俺に声をかけたんですか。クラスに他にも上の段の人はいるでしょう」
蒼太は少し考えてから、素直に答えた。
「構えが違ったから。段とか関係なく、なんか……お前の構えは、完成されてる感じがした。俺にはないやつが、全部入ってる感じ」
俺は蒼太を見た。
四段で、それが見えるか。
「わかりました。稽古、付き合いますよ」
蒼太は顔を輝かせた。まるで子どもみたいな喜び方だった。俺は少し意外に思いながら、飯の続きを食べた。
三
午後の授業が終わった後。
道場の廊下で、誰かが泣いていた。
正確には泣いているわけじゃない。壁に背をつけて、膝を抱えて、目を赤くして、でも声は出していない。感情が内側で渦を巻いているのが、廊下の向こうからでもわかった。
俺は通り過ぎようとして、足を止めた。
能力分析。三段・習得スキル数百九十八個。得意系統は「間合い管理」と「見切り」。午前中に確認していた生徒だ。
宮瀬凛花。
朝の授業で、岩崎教師からコメントをもらった時、彼女だけ少し長く指摘を受けていた。「感情が剣に出すぎる」という内容だった。その時の凛花の表情が、今も俺の記憶に残っている。悔しそうなのに、悔しいと言えない顔だった。
俺は凛花の近くで立ち止まった。
「……なんですか」凛花が顔を上げずに言った。「通り過ぎてくれていいです」
「通り過ぎようとして、やめました」
「なんで」
「なんとなく」
凛花は顔を上げた。目が赤い。それでも俺を見る目には、感情の強さがある。弱っているのに、目の力が消えていない。
「岩崎先生に言われたことが悔しかったんですか」と俺は聞いた。
「……聞こえてたんですか」
「はい」
凛花は少し黙った。
「悔しいのは当然じゃないですか」と俺は言った。「でも岩崎先生の指摘は正しいと思います」
「わかってる」凛花は膝に顎をのせた。「わかってるから悔しいんです。感情が出すぎるって、自分でもわかってる。でも出てしまうんです。剣を握ると、全部出てしまう」
「それは欠点ですか」
凛花が顔を上げた。
「感情が剣に出る人間は、読まれやすい。でも土壇場で覚醒する」と俺は言った。「どっちに転ぶかは、本人の意志次第だと思いますけど」
凛花はしばらく俺を見ていた。
「……斎藤さん、ですよね。今日の朝、構えを褒められてた」
「褒められてはいなかったと思いますが」
「『悪くない』は褒め言葉です、岩崎先生の場合」
俺は少し考えて、「そうですか」と答えた。
凛花は立ち上がって、道着の裾を払った。目の赤みがまだ残っているが、背筋は真っ直ぐだ。
「……ありがとうございました」
「別に何もしてないですよ」
「してます」凛花は俺を真っ直ぐに見た。「また話しかけてきていいですか」
「どうぞ」
凛花は小さく頷いて、廊下を歩いていった。その背中は、さっきより少しだけ軽そうだった。
四
三日目の朝。
道場に早めに来ると、すでに一人が練習していた。
霧島悠。
朝の授業で確認していた。五段・習得スキル数四百十二個。得意系統は「捌き」と「重心移動」。クラスの中で段位は最も高いが、授業中は一言も喋らなかった。岩崎教師のコメントも「問題ない」の一言で片付けられていた。
霧島は俺が入ってきても、視線を向けなかった。型の練習を続けている。その動きは無駄がない。感情が全く乗っていない、機械のような精度の動きだ。
俺は道場の反対側で準備を始めた。
しばらく各自で練習していると、霧島が口を開いた。
「……お前、五段だな」
声をかけているのが俺だとわかるように、顔はこちらに向いていた。だが目が合っていない。どこか遠くを見るような目だ。
「そうです」
「どこの師匠に学んだ」
「独学です」
霧島の動きが一瞬止まった。それからまた再開した。
「……独学で五段は、珍しい」
「そうみたいですね」
「お前の型を見ていいか」
俺は少し考えて、頷いた。
木刀を構えて、基本の型を一通り流す。完全犯罪は使わない。ただし限界突破の全力も出さない。五段相応の、丁寧な動きを心がけた。
霧島はそれをじっと見ていた。
型が終わると、霧島は静かに言った。
「嘘だ」
「……何がですか」
「独学じゃない。それだけ整った型は、長年の師事がないと身につかない」
俺は霧島を見た。
鋭い。型を見ただけでそこまで読むか。能力分析以外のやり方で人の実力を読む目を持っている。これは天性のものか、それとも積み上げてきたものか。
「正確には、師匠はいません」と俺は言った。「ただ、長い時間をかけて積み上げてきたのは本当です」
「どのくらい」
「十年」
霧島が初めて、まともに俺を見た。
その目に、初めて感情らしいものが動いた。驚きではなく、興味だ。計算するような、値踏みするような、静かな興味。
「……十年、独学で」
「はい」
霧島はそれ以上何も言わなかった。型の練習に戻った。だが俺が道場にいる間、霧島の視線が何度かこちらに向いていることに気づいた。
俺は内心で、小さく笑った。
このタイプは時間がかかる。だが一度認めたら、誰より深く関わってくる。そういう人間の目だ。
五
四人目は、俺が探したわけじゃなかった。
五日目の昼。俺は一人で中庭の隅で飯を食っていた。蒼太はその日、午前の練習で足を捻って保健室に行っていた。凛花は友人グループの輪の中にいた。霧島は一人で食べる主義らしく、毎日道場の片隅に消えていく。
静かな昼だった。
そこに、誰かが俺の隣に座った。
許可も取らず、挨拶もなく、ただ自然に隣に座って、お弁当を広げ始めた。
朝比奈ひより。
三段・習得スキル数二百三個。得意系統が……ない。正確には、特定の系統に偏らず、全方向に均等にスキルが散らばっている。こんな構成は見たことがない。普通、人間は得意不得意が出るものだが、この生徒だけがほぼ均等だ。
「隣、いいですか」
座ってから聞いた。
「もう座ってますよね」
「あ、ほんとだ」
ひよりは全く悪びれた様子がなかった。お弁当の蓋を開けて、中身を見て、「今日はたまごやきが二個入ってる」と嬉しそうに言った。
俺は少し観察した。
天然だ。計算がない。悪意もない。ただ自分のペースで動いている。だがその目は、ちゃんと周りを見ている。ぼんやりしているように見えて、実は細かいところまで見えている目だ。
「斎藤くん、毎日一人でご飯食べてますよね」
「そうですね」
「なんで?」
「特に理由はないですが」
「友達いないんですか」
直球だった。
「……いないです、今のところ」
「そうなんですか」ひよりは特に同情する様子もなく、たまごやきを口に入れた。「私もあんまりいないです。話しかけると、みんな少し困った顔するから」
「なんで困るんですか」
「わからないです。でも斎藤くんは困った顔しなかったから、隣に座りました」
俺は返答に詰まった。
ひよりはそのまま食事を続けながら、ぽつりと言った。
「斎藤くん、すごく強いですよね」
「……そうですか」
「朝の授業で、岩崎先生が斎藤くんの構えを見る時だけ目が違いました。もっと見たいって目でした」
俺は少し驚いた。
そんな細かい変化を、この子は見ていたのか。
「あと」ひよりは続けた。「霧島くんが斎藤くんを見てる時間、他の人を見てる時間の三倍くらいありました」
「数えてたんですか」
「数えてたわけじゃないですけど、わかります」
ひよりはたまごやきの二個目を食べながら、俺を見た。
「斎藤くん、剣術教えてもらえませんか」
俺は少し間を置いてから言った。
「教えるほどのものは持ってないですよ」
「嘘です」ひよりはあっさり言った。「朝の授業で斎藤くんの型を見た時、私が十年かけて積み上げたものが全部そこにある気がしました。違いますか」
俺は黙った。
この子は天然じゃない。いや、天然ではあるが、それだけじゃない。
感覚が、異様に鋭い。
「少し時間をください」と俺は言った。「すぐに返事はできないので」
「わかりました」ひよりは頷いて、また弁当に戻った。「たまごやき、一個あげましょうか」
「……いいです」
「遠慮しなくていいですよ」
「本当にいいです」
ひよりは少し残念そうに、たまごやきを一人で食べた。
俺は正面を向いたまま、頭の中で考え続けた。
四人。蒼太、凛花、霧島、ひより。
それぞれ全然違う。共通点があるとすれば、全員が何らかの形で俺に関わってきたことだ。蒼太は直球で、凛花は感情で、霧島は観察で、ひよりは感覚で。
そして四人全員が、伸びる素材だと思う。
俺が「師匠になる」という選択肢が頭の中にあることに気づいた時、それが思いのほか自然な考えだと感じた。
弟子を取るのは目標の一つでもない。だが、これだけ揃って寄ってきたなら、断る理由もない。
それに。
十年間、ゲームの中で一人で戦い続けた。誰かに何かを教えたことなんて、一度もなかった。
悪くないかもしれない、と俺は思った。
隣でひよりが「たまごやき、やっぱり二個は多かった」と呟いているのを聞きながら、俺は静かに飯を食い続けた。




