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第二章 ―― 手の内は、まだ見せない ――

 試験会場に着いたのは、開始の一時間前だった。

 桐生師範代から受け取った地図を頼りに歩くこと三十分。街の北側に広がる広場の一角に、それはあった。石造りの塀に囲まれた、広い屋外の演武場だ。入口には学校の紋章らしき旗が立っていて、その前に受付の係が二人座っている。

 だが俺が最初に驚いたのは、会場の広さでも紋章でもなかった。

 人だ。

 演武場の周囲に、すでに大勢の人間が集まっていた。列を作って受付を待っている者、仲間同士で話し込んでいる者、一人で黙々と体を動かしている者。老若男女、様々な年齢層が入り混じっている。

 俺は列の後ろに並びながら、そっと「能力分析」を起動した。

 ざっと周囲を流し見る。

 三段から六段の使い手がほとんどだ。習得スキル数でいえば百五十から四百程度。入門したての初段や二段の者もいれば、七段という実力者も数人見える。年齢は十代から三十代まで幅広い。

 そして何より、数が多い。

 受付を終えて会場内に入ると、さらに人が増えた。係員が「本日の受験者は五百二十七名です」と告げているのが聞こえた。

 五百二十七人。

 少し、驚いた。いや、正直に言えばかなり驚いた。ゲームの中に入学試験というイベントは存在しなかったから、この規模感は完全に予想外だった。

 だが驚きはすぐに引いた。

 人数が多いことは、俺にとって有利に働く。五百人を超える受験者がいれば、俺が多少目立たない結果を出しても「そういう生徒もいる」で済む。逆に全員の中で突出した実力を見せてしまえば、必要以上に注目を集めてしまう。

 俺は会場の端に場所を取って、試験が始まるのを待った。


 試験開始が告げられると、複数の試験官が演武場に現れた。

 全員、学校の教師だという。その中に桐生師範代の顔はなかった。試験官は六人。能力分析で確認すると、最も段位が高い人物で八段、習得スキル数は六百八十三個。全員、相応の実力者だ。

 試験の内容が発表された。

「本試験は、試験官との模擬戦形式で行う。勝敗を問題とするのではない。対人戦における状況判断能力と、その状況に応じた剣技を発揮できるかを審査する。一人につき試験官一人と立ち合い、審査員三名が採点する。合否は当日中に発表する」

 模擬戦。状況判断。剣技の発揮。

 俺はその説明を聞きながら、頭の中で素早く計算した。

 勝敗を問わないとはいえ、審査員は「判断力と剣技の精度」を見ている。つまり単純に強ければいいわけじゃない。むしろ強さを見せることより、「この状況でこの技を選んだ理由が明確か」を示すことが求められている。

 それは、俺にとって都合がいい。

 全力を出す必要がない。むしろ出してはいけない。「判断が明確で、基礎が整っている生徒」として合格点を取れればいい。

 俺は試験が始まるのを待ちながら、周囲の試合を観察した。


 試験は番号順に進んでいく。俺の番号はかなり後ろだった。

 待っている間、俺は試合を見続けた。

 三百人を超える受験者の試合を観察して、気づいたことがある。

 この世界の剣士たちは、ゲームの中のキャラクターよりも「癖」が豊かだ。ゲームのAIは設定されたパターン通りに動くが、生きた人間の剣には迷いや感情や習慣が滲み出る。同じ「见切り」のスキルを持っていても、使い方に個性がある。踏み込みの深さ、剣先の高さ、呼吸のタイミング。全部が微妙に違う。

 面白い、と思った。

 ゲームのAI相手では感じたことのない、この「読み合いの余白」が。

 そして同時に確認できたことがある。

 三百人を見た限り、俺が本気で負ける相手はいなかった。

 これは傲慢ではなく、単純な事実だ。能力分析で相手のスキル構成を全て把握した上で戦えば、俺の現在のスキル数で負ける要素がない。問題は「どの程度の余裕を見せるか」だ。

 俺は自分の番が来るまでに、方針を固めた。

 使うスキルは四つ。「明鏡止水」「完全犯罪」「直感」「能力分析」。この構成で、試験官の攻撃に対してギリギリで対応しているように見せる。完全に圧倒はしない。でも判断が遅れているようにも見せない。「実力はあるが、まだ粗削り」という印象を与える。

 それが、今の俺に必要な評価だ。


 番号を呼ばれた。

 試験官は四十代くらいの男性で、能力分析の結果は七段・習得スキル数六百十一個。得意系統は「圧迫」と「連撃」。間合いを詰めて連続攻撃で崩すタイプだ。

 俺たちは向かい合って、木刀を構えた。

 試験官の目が細くなった。こちらを品定めするような目だ。俺は構えを整えながら、表情を無にした。

 開始の合図。

 試験官はすぐに踏み込んできた。大きな一歩で間合いを詰め、横薙ぎ。速い。六百を超えるスキル使いの踏み込みは、確かに鋭い。

 俺は一歩下がって軌道をずらした。

 直感が試験官の次の動きを先読みする。右から左へ切り返してくる。俺はそれを受け流しながら、少しだけ崩れてみせた。体重が一瞬後ろに流れるような、「ギリギリだった」という動きを演じる。

 試験官がわずかに目を見開いた。

 次の連撃。三連。俺は一打目を弾き、二打目を躱し、三打目のタイミングで踏み込んだ。試験官の懐に入り込んで、木刀の柄を試験官の胸元に軽く当てる。

 そこで俺は止めた。

 「完全犯罪」のおかげで、この動きがどれほどの技量から生まれたものかは、外から見ても判断できない。審査員には「踏み込みのタイミングを見切った」ようには見えるが、それが計算か偶然かまでは読めない。

 試験官が一歩引いた。

「……止め」

 試験官が宣言した。審査員たちが何かを書き留めている。

 俺は木刀を下げて、静かに礼をした。


 合否は夕刻に発表された。

 五百二十七名中、合格者は百九十三名。俺の名前は一覧の中ほどにあった。

 突出した評価ではない。ちょうどいい位置だ。

 発表の後、桐生師範代が俺の隣に来た。

「合格おめでとう、斎藤」

「ありがとうございます」

「試験は見ていた」と桐生師範代は言った。「……お前、手を抜いていたな」

 俺は少し間を置いてから、「そんなことはないです」と答えた。

 桐生師範代は小さく笑った。怒っているわけではなさそうだ。

「まあいい。入学式は来月の初めだ。それまでに宿は決めておけ。学校の近くに、うちが借り上げているアパートがある。紹介してやろう」

 思いがけない申し出だった。

「……いいんですか」

「お前みたいな生徒が迷子になられても困る」

 それだけ言って、桐生師範代は次の合格者への挨拶に向かった。

 俺はその背中を見送りながら、静かに息を吐いた。

 アパート。入学式。来月。

 少しずつ、この世界での生活の輪郭が見えてきた。


 入学式は、晴れた朝だった。

 剣術学校は街の北側、なだらかな丘の上に建っていた。石造りの門をくぐると、広い中庭があって、その奥に母屋と複数の道場棟が並んでいる。手入れの行き届いた石畳。整然と並んだ建物。ゲームの中にはなかった場所だが、どこか懐かしい感じがした。

 新入生は百九十三名。式は母屋の大広間で行われた。

 俺は式の間、ずっと周囲を「能力分析」で流し見していた。

 新入生の中で最も段位が高いのは、六段が二人。次いで五段が七人。大半は三段から四段の範囲に収まっている。合格者全体の中では、俺の段位は中位程度に見える。それでいい。

 式が終わり、俺は配られた資料を確認しながら廊下を歩いていた。時間割、校則、学校の施設案内。ゲームにはない情報だが、どれも丁寧に読んでおく必要がある。

 松平を探すつもりだった。闘獣階の詳しい仕組みを聞けるなら、今日がいい機会だ。

 廊下の角を曲がった、その時。

「ねえ、ちょっといい」

 背後から声をかけられた。

 女の声だった。

 俺は立ち止まって振り返った。


 廊下に、一人の少女が立っていた。

 年齢は俺と同じくらい。長い黒髪が肩の下まで伸びていて、目元が涼しい。道着の着こなしに無駄がない。体のどこにも余分な力が入っていない、自然体の立ち姿。

 俺は一瞬で能力分析を起動した。

 そして、止まった。

 ――无刀流。十段。習得スキル数、七百七十八個。

 七百七十八。

 俺は内心で、その数字を三回繰り返した。

 クリア構成の七百八十個まで、あと二個。この世界で、そこまで積み上げた人間が、新入生と同じ廊下を歩いている。

 それだけじゃない。

 この顔を、俺は知っていた。

 柊木暦。

 剣聖物語のストーリー終盤に登場する、最大の壁。七百八十のスキルを揃えた俺が、それでも何百回も跳ね返され続けた相手。あの圧倒的な強さを持つキャラクターが、今、俺の目の前で自然体で立っている。

 驚きを顔に出さないよう、意識して息を整えた。

「なんですか」

 俺が答えると、柊木は俺をじっと見た。値踏みするような目ではない。ただ、何かを確認するような目だ。

 それから柊木は、口を開いた。

「校則、読んだ?」

 予想外の言葉だった。

「……まだ途中です」

「じゃあ教えてあげる」

 柊木は淡々と話し始めた。

「この学校には三つの不文律がある。一つ、闘獣階の試合を妨害しない。二つ、他の生徒のスキル構成を無断で暴露しない。三つ、師範代の許可なく他流派の生徒に稽古をつけない。公式の校則じゃないけど、これを破ると面倒なことになる」

 俺は黙って聞いた。

 なぜこれを教えてくれるのか。初対面の相手に、わざわざ不文律を。

 柊木はそこまで言って、少し間を置いた。

「あと、一個だけ」

「はい」

「松平はもうこの学校にいないから」

 俺は一瞬、反応が遅れた。

「……え」

「先月、学校を辞めた。だから探してるなら無駄」

 柊木は俺が松平を探していることを、なぜ知っているのか。

 俺が「嘘発見器」を起動した。柊木の発言を確認する。反応は――真実だ。松平義久は、この学校にいない。

「じゃあ、次会う時は入れ替え戦で」

 柊木はそれだけ言って、踵を返した。廊下の向こうへ、迷いのない足取りで歩いていく。

 俺はその背中が角を曲がって見えなくなるまで、立ったまま見送った。


 夕方、アパートに戻った。

 桐生師範代が紹介してくれた部屋は、学校から歩いて十分ほどの場所にある。石造りの建物の二階で、窓から丘の上の学校が見える。家具は最低限だが、清潔で静かだ。

 俺は床に座って、今日あったことを整理した。

 まず、松平がいない。

 これは想定外だった。闘獣階の詳しい情報を得るために松平を当てにしていたが、その前提が崩れた。別の手段で情報を集める必要がある。

 次に、柊木暦。

 七百七十八個。あの数字は本物だ。そしてあの自然体の立ち方。ゲームの中の柊木は純粋に「強敵」として機能するボスキャラだったが、目の前の柊木は違う。強い。間違いなく強い。だがそれだけじゃない。なぜ俺に校則を教えてくれたのか。松平がいないことを知っていたのか。

 わからないことが多い。

 それから、「入れ替え戦で会おう」という言葉。

 これは明らかに、俺が闘獣階を目指すと読んでいる発言だ。なぜそれがわかるのか。今日の入学試験で、俺は目立たないように動いた。それでも柊木には何かが見えたということか。

 七百七十八個の目には、「完全犯罪」も完全じゃないのかもしれない。

 俺は窓の外を見た。

 夕暮れの空が、丘の上の学校を橙色に染めていた。

 頭の中で、改めて目標を並べた。

 学校を卒業する。闘獣階に入る。友人を作る。この世界を冒険する。剣聖の称号を再獲得する。

 全部、変わらない。

 松平がいなくても、柊木が謎めいていても、関係ない。

 この世界は、俺が十年かけてクリアしたゲームの世界に似ている。だが全く別の世界だ。ゲームの攻略本は通じない。でも、十年間で培った「どんな難問にも必ず答えがある」という確信だけは、どこでも通じる。

 俺は目を閉じた。

 明日から授業が始まる。

 新しいゲームの、本番が始まる。


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