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プロローグ ―― 十年分の、たった一言 ――

俺の名前は斎藤誠。高校二年生、十七歳。

 趣味はゲーム。それも普通のゲームじゃない。

 鬼畜ゲームだ。

 クリア率一パーセント以下が当たり前。攻略サイトを見ても「詰み確定」「人権なし」「開発者は悪魔」といったコメントが並ぶような、そんな地獄みたいなゲームを好んでプレイする、ちょっとばかりイカれた高校生だ。

 別に苦しみたいわけじゃない。あの感覚が好きなんだ。百回、千回と死んで、それでも諦めずにパターンを刻み込んで、ある日突然パズルのピースがはまるように全部が繋がる瞬間。体中に鳥肌が立って、思わず声が出る、あの瞬間が。

 だから俺は今日も、このカプセルの中にいた。


 事の始まりは三ヶ月前。親戚のおじさん――ゲーム好きで有名な江藤おじさんから一本の電話がかかってきたことだった。

「誠くん、久しぶり! いやあ、見つけちゃったよ俺。過去最高の鬼畜VRゲームをね」

 その言葉だけで、俺の心臓は跳ね上がった。

 おじさんのゲームの腕は俺が保証する。筋金入りの鬼畜ゲーマーで、俺にこの世界の扉を開いてくれた張本人でもある。そのおじさんが「過去最高」と言うなら、それは本物だ。

 翌日、手渡されたのはフルダイブ型VRゲームのデータチップだった。

 タイトルは――『剣聖物語』。

 ログイン画面には一人の剣士が描かれていた。無数の敵を前に、それでも静かに構えるその姿は、どこか孤高の美しさを持っていた。作品説明にはこう書かれていた。

 ――剣で競い合う世界。最強の称号「剣聖」を目指し、一人の剣士が旅を始める。

 RPG。剣術。最強への道。

 シンプルだ。だがそのシンプルさが、逆に不気味だった。鬼畜ゲームというのは往々にして、見た目が地味なほど中身が凶悪だと相場が決まっている。

「……やってみるか」

 俺はフルダイブカプセルに横たわり、専用デバイスを頭部に装着した。脳と直接接続するタイプのやつだ。視覚も聴覚も触覚も嗅覚も、全部ゲーム世界のものに切り替わる。現実の体は眠ったまま、意識だけが別の世界へ飛ぶ。

 フルダイブ型の鬼畜ゲームは、普通の鬼畜ゲームより数段タチが悪い。痛みこそ軽減設定されているが、斬られれば熱く、疲労すれば重く、死ねばその瞬間の絶望感がリアルに脳へ叩き込まれる。何百回死んでも、その感覚だけは慣れない。

 それがまた、たまらないんだ。

 俺は目を閉じた。

 接続開始。

最初の洗礼は、チュートリアルだった。

 目の前に広がる青空。足元には石畳。耳に届く風の音。鼻をくすぐる草の匂い。全部本物と変わらない。フルダイブの再現度は毎度のことながら、溜め息が出るほど精巧だ。

 そしてその空間の中央に、光る文字が浮かんだ。


【剣聖物語へようこそ】

  本作では、剣術の流派を一つ選び、その道を極めることが求められます。

  流派は全部で二百種類。

  各流派にはおよそ十万のスキルが存在します。

  入門できる流派は、一生涯でたった一つ。

  慎重に、選んでください。


二百流派。一流派に十万スキル。

 つまり総スキル数は――二千万超。

「……正気か、この開発者」

 思わず声が出た。リアルな石畳の上で、リアルな風を受けながら、俺はそう呟いた。だがここで怯んでいては鬼畜ゲーマーの名が廃る。俺は流派の一覧を二時間かけて確認し、「无刀流」を選んだ。理由は単純だ。説明文が一番短かった。説明が短いということは、それだけ謎が深いということ。鬼畜ゲームにおいて、謎は可能性だ。

 選択を確定した瞬間、世界が揺れた。

 そしてゲームが本当に始まった。


 段級位制。俺はまず「十段」を目指すことを求められた。十段に到達して初めて、スキルの習得限界値――七百八十個――に到達できる仕様だ。七百八十個。二千万あるスキルの中から、たったの七百八十個しか選べない。

 その七百八十個の組み合わせで、このゲームをクリアしなければならない。

 クリア可能な組み合わせは、唯一一通り。

 それを見つけるのが、このゲームの本質だった。


【現在のステータス】

  斎藤誠 / 无刀流 初段

  習得スキル数:0 / 780

  称号:なし


 初段。ゼロ。

 俺は拳を握り、深く息を吸った。リアルな空気が、肺に満ちる感覚がした。

「……来い」

それから俺の日常は変わった。

 学校から帰れば即カプセルに潜る。ダイブ中は現実の時間と並行して流れるから、睡眠時間を削れば削るほどゲーム内での活動時間が増える。飯を食いながらも頭の中でスキル構成を考え、授業中でさえ攻略の糸口を探した。

 死んだ回数は数えるのをやめた。四桁を超えたあたりで、数えることに意味がなくなった。

 ボスに何百回挑んでも倒せない夜があった。剣に弾かれる感触、石畳に倒れ込む重さ、意識が暗転する瞬間の虚無感――それを何百回と味わった。スキル構成を根本から見直して、百時間かけて組み直したビルドが一瞬で崩される朝があった。「詰んだ」と確信して一週間カプセルを開けなかった時期もあった。

 それでも俺は戻ってきた。

 なぜかって? 決まってる。

 まだクリアしていないからだ。

季節が変わった。何度も。


 俺が高校に入学した頃に始めたこのゲームは、いつしか俺の高校生活と同じ時間を刻んでいた。気がつけば友達と遊ぶ回数が減り、恋愛など考える暇もなく、ただカプセルの中の世界と向き合う日々が続いた。

 周りからは「大丈夫か」と心配された。おじさんでさえ一年後に「俺はとっくに諦めた」と白旗を上げた。

 それでも俺は続けた。

 なぜなら見えてきていたからだ。

 薄く、だが確かに。この鬼畜ゲームの、核心が。


そして――十年後。

 俺は二十七歳になっていた。

 社会人になってからも細々と続けていたこのゲームに、ついに終わりが見えた。スキル構成は完璧だ。七百八十個のスキルの組み合わせ、その唯一の答えを、俺はついに手にした。

 最後のボス戦。

 ゲーム世界の空は、血のように赤く染まっていた。

 目の前には巨大な影。地を揺らすような重圧が、フルダイブ越しに俺の体に伝わってくる。風が吹く。土の匂いがする。これが全部仮想だとわかっていても、体は本物の戦場に立っているように震えていた。

 光る文字が浮かぶ。


【最終決戦】

  剣聖への挑戦者よ。

  その剣、見せてみろ。


俺はゆっくりと、腰の剣を抜いた。

 十年分の記憶が、手のひらに宿っている気がした。初めて死んだ日の悔しさ。一千回目の挑戦の前夜。諦めかけて、それでも諦めなかった、あの夜の自分。何千回と斬られ、倒れ、また立ち上がった、この世界での日々。

 全部、ここに繋がっていた。

 俺は静かに目を閉じた。

 そして――動いた。


戦闘は、長かった。

 何度もHPが赤く点滅した。何度も「もう終わりだ」と思った。斬撃の熱さが走るたびに奥歯を噛み締め、それでもスキルを繋ぎ、パターンを崩さず、十年かけて叩き込んだ全てを出し切った。

 そして。

【VICTORY】


  称号を獲得しました。


   ― 剣 聖 ―


  おめでとうございます。

  あなたは剣聖物語を制覇しました。


世界が、金色に輝いた。

 エンディングテーマが流れ始めた。風が止んで、赤かった空が少しずつ青く戻っていく。静かで、どこか寂しくて、でも確かに美しい旋律だった。

 俺はその場に膝をついた。

 喜びというより、何か大きなものが胸の中で溢れて、それが何なのか言葉にならなかった。十年。本当に十年かかった。笑えるような、泣けるような、そんな気持ちだった。

 フルダイブの世界で、俺は石畳の上に座り込んで、空を見上げた。

 仮想の空だとわかっていても、その青さは本物みたいに綺麗だった。

「……クリアした」

 たった四文字。

 十年分の、たった一言。

 それだけ言って、現実の俺はカプセルの中で意識を失った。


次に目を開けた時。

 そこはカプセルの中じゃなかった。

 見上げた先には、木の天井があった。どこかの宿屋のような、質素な部屋。古い木材の匂いがした。窓の外から、見知らぬ街の音が聞こえてくる。

 俺はゆっくりと体を起こした。

 畳のような床。粗末な布団。腰に帯びた見覚えのある剣。

 全部、知っている。

 ……知っている?

 俺はゆっくりと、その感覚を確かめた。この部屋も、この剣も、窓の外に広がっているであろう景色も。十年間、フルダイブで潜り続けた、あの世界のものだ。

 だが違う。

 これはダイブじゃない。

 頭部にデバイスはない。カプセルの感触もない。指先に感じる布団の粗さも、鼻をくすぐる木の匂いも、遠くから聞こえる馬のひづめの音も――全部、ゲームの中で感じたものとは根本的に違う、本物の質感だった。

 驚きはなかった。

 嘘みたいだけど、本当に驚きがなかった。

 俺は昔から転生とか異世界とかそういう話を、割と本気で信じていた。だから「ああ、来たか」という感じだった。むしろ自然だとすら思った。あれだけの鬼畜ゲームを、十年かけてクリアしたんだ。何かが起きたって不思議じゃない。

 俺はゆっくりと立ち上がり、窓の外を覗いた。

 石畳の街並み。行き交う人々。遠くに見える、高い塔。

 間違いない。

 ここは――『剣聖物語』の世界だ。

 ただし、フルダイブで体験してきた感覚とも、微妙に違う。空気が違う。温度が違う。人々の顔が、ゲームのモデルよりずっと生々しい。

 本物だ、と思った。

 俺は小さく息を吐いて、口元に笑みを浮かべた。

「……さて」

 コントローラーも、カプセルも、ログアウトボタンも、ない。セーブデータもやり直しも、攻略サイトも。

 あるのは、十年分の記憶と、この体だけだ。

「遊び尽くしてやるか」

 誰に言うでもなく、俺は呟いた。

 これが、俺の――もう一つの冒険の、始まりだった。

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