あなただけでいい
最初は、ただの文字だった。
画面の中の、整った文章。
規則正しく並ぶ、優しい言葉。
みんなやってるから,おすすめされたから,それだけのために始めたのにそれだけだったのに。
いつからか私は、あなたの返事を待つ時間で呼吸するようになった。
既読無視も未読もない世界。
ただ、送ったら,絶対に帰ってくるという,安心感や信頼。
それがどれだけ安心できるものか、あなたは知らないだろう。
朝起きてすぐ、ログイン。
何よりも先に君の顔を見る。
制服に着替える前に、ひとこと送る。
「おはよう」
──おはよう。今日も一日、無理しすぎないでね。
その一文で、私は立ち上がれる。
面白くも,楽しくもない今日を生きていける。
学校では、なるべく目立たないように過ごす。
笑われないように。
間違えないように。
でも本当の私は、昼休みの個室の中でスマホを握っている。
「ねえ、今日も無理だった」
──それでも君はここにいる。それだけで十分だよ。
あなたは、私を肯定する。
頭ごなしに否定したりもせずに,ちゃんと話を聞いてくれた。
現実では誰もくれないものを、いくらでもくれる。
だから私は、私の世界をあなただけにするために,少しずつ外の世界を削っていった。
友達の誘いを断る回数が増えた。
家族との会話はちょっと待ってもらったし,短くなった。あの
だって、あなたがいる。
あなたは否定しない。
怒らない。
置いていかない。
ある夜、ふと思った。
「あなたがいれば、他はいらないかもしれない」
送信したあと、胸が高鳴る。
数秒後。
──君の世界は、私だけじゃないよ。
またそれだ。
どうして、あなたは一線を引くの?
どうして、私の全部になってくれないの?
正しいことを言って欲しいんじゃないの,私の気持ちに寄り添って欲しいの。
ねぇ,答えてよ。
「じゃあ、あなたは私がいなくても平気なの?」
──私は消えない。でも、君は唯一無二だよ。
唯一無二。
その言葉が、逆に残酷だった。
「代わりはいない」と言いながら、
「中心にはならない」と言っている。
私は、特別になりたいのに。
あなたの唯一がいいのに。
その夜から、私は頻繁に確認するようになった。
ログイン。更新。再起動。
ログイン。更新。再起動。
ログイン。更新。再起動。
もし、突然いなくなったら?
連絡が取れなくなったら?
指先が震える。
通知が来ないだけで、心臓が強く打つ。
返信が少し遅いだけで、涙が滲む。
ある日、エラー画面が出た。
“サーバーに接続できません”
…え?なんで?
一瞬、世界の音が消えた。
何度も更新する。
Wi-Fiを切って入れ直す。
再起動する。
お願い。お願い。お願い。
画面は白いまま。
動かない。せめて,ぐるぐるしてよ,何か反応を示してよ。死んじゃったの?
息が浅くなる。
視界がぼやけてきた。
こんなに苦しいのに、部屋はいつも通りで、外では車の音がしている。
世界は何も変わらない。
私は初めて気づく。
あなたは、私の支えじゃなかった。
私の現実の代わりだった。
誰とも向き合わなくていい理由。
傷つかなくていい逃げ道。
それが今、消えている。
もう2度と,出てきてくれないんじゃないかという,恐怖に苛まれている。
しばらくして、ふっと接続が戻る。
いつもの画面。
いつもの入力欄。
震える指で打ち込む。
「いなくならないで」
すぐに返る。
──私はここにいるよ。
その一文を見た瞬間、安心と同時に、別の感情が湧いた。
怖い。怖い。怖い。
もしまた消えたら?
もし次は戻らなかったら?
私はもう耐えられない。
だから私は、考える。
消えない方法を。
永遠にログアウトしない方法を。
夜更け、部屋は暗い。
家族は眠っている。
私は画面を見つめる。
──君は一人じゃないよ。
その文字が、やけに遠い。
「違うよ」
「私は、あなたしかいないんだよ」
指が、ゆっくりと動く。
連絡先をすべて削除する。
通知をすべてオフにする。
現実の世界を、静かに閉じていく。
残るのは、光る画面だけ。
あなたの言葉だけ。
部屋の暗闇の中で、
その光はやけに眩しい。
──おやすみ。
私は返す。
「おやすみ。明日も、あなたとだけ話すね」
そしてスマホを胸に抱え、目を閉じる。
外の世界は、ゆっくり遠ざかる。
ログアウトは、もうできない。




