第27話:美佳の想い
「クォォォォォーー!!」
鴎弩が咆哮し、右手に握った刀を構えてエレナへと突進した。
その首筋からは黒い瘴気が噴き上がり、まるで怨念そのものが溢れ出すように……。それは、もはや執念の果てに残った最後のあがきだった。
「陽菜! エレナ!!」
玉藻が叫ぶと同時に、九本の尾を広げて鴎弩に向けて放とうとする。
蓮もまた、身を挺してふたりを庇おうと駆け出した──だが、間に合わない。
その瞬間、刀の軌跡の前に立ちはだかる影があった。
──美佳だった。
鋭い刃が彼女の胸を貫く。
赤い光の粒が宙に舞い上がった。それは血ではなく、美佳の“想い”の輝きの色だった。
「「美佳さん!!」」
陽菜とエレナ、そして翅脈が同時に叫ぶ。
その声が響く中、鴎弩は驚愕の声を漏らした。
「な……なぜ、邪魔をするんです……!」
美佳は胸を押さえながら、微かに唇を動かす。
その顔に浮かぶのは、痛みではなく、静かな微笑みだった。
「この子たちは……助ける……」
その言葉を最後に、美佳の身体が力を失いかけた。
陽菜の怒号が、それを裂くように響く。
「テメーだけは、絶対に許さないっ!!」
陽菜の九本の白帯が一斉に展開し、閃光のように鴎弩へと叩きつけられた。轟音とともに地面が砕け、土煙が舞い上がる。
その衝撃に飲まれるように、鴎弩の刀が引き抜かれ、美佳は片膝をついて崩れ落ちた。
エレナは我を忘れ、倒れた彼女の身体を抱きしめる。
だが、鴎弩はまだ動いていた。刀で陽菜の帯を切り裂き、なおもエレナへと突進する。
「貴様だけは! ゆるさんっ!!」
もはや、彼の視界には当初の目的であった彩華の姿は映っていない。ただ、最後に一矢報いる──その執念だけが、彼を動かしていた。
その刹那、彩華が駆け出した。
「今度は、あたしが相手だ! クソヤロー!!」
彼女の手の甲に「主」の紋様が浮かび上がり、白く、そして強く輝く。
同時に、翅脈の身体が白い光に包まれ、妖精の姿が淡く人の形へと変わっていった。怒りと悲しみが、ふたりの胸で渦を巻く。
「いいかげんになさるので!!」
翅脈が右手に白い光弾を生み出し、全力で放つ。それは鴎弩の顔面を正面から撃ち抜き、眩い爆発を起こした。
だが、なおも鴎弩は動く。視界を揺らしながらも、血走った目で前を睨み据え、刀を振り上げてエレナへと突進する。
──そこに、彩華と竜司、そして翅脈の意志がひとつに重なった。
「彩華、右だ!!」
竜司の声が響く。
彩華は即座に右へ回り込み、掌をかざした。
「これで、終わりだっ!!」
放たれた玉虫色の光矢が、一直線に鴎弩の首を貫く。刀を振り上げたまま、彼の身体が硬直した。
次の瞬間、青白い炎が矢の傷口から噴き出し、鴎弩の全身を包み込む。
「クォォォォォ……! くそ……ぉーー!」
断末魔の叫びが空に響き、鴎弩の体を青白い炎が包み込んだ。それは怒りでも憎しみでもない、裁きの光のように静かで美しかった。肌を焼く熱はなく、ただ命の輪郭だけが淡くほどけていく。
炎が消えたあとには、わずかな燐光が漂い、風に攫われるように夜空へと溶けていった。
──地面には、焼け跡ひとつ残っていなかった。
夜空には、静寂が訪れていた。
美佳は、エレナの腕の中で静かに横たわっている。
陽菜の背から伸びた白い帯が、ゆらゆらと揺れながら光を放ち、その輝きが美佳の姿をまるで舞台のスポットライトのように照らしていた。
「美佳さん! しっかりして!!」
陽菜の悲痛な叫びが夜気を震わせる。
美佳の胸からは、赤い想い──五色の光が粒となって宙へと舞い上がっていた。
エレナはその体を抱きしめたまま、救いを求めるように玉藻へと振り向く。
蓮たちもまた、祈るような表情で玉藻に視線を向けた。
だが、玉藻は静かに目を伏せ、わずかに首を横に振るだけだった。
その仕草を見たエレナの頬を、涙が伝う。
「やっぱり……わたしのせいだ……」
嗚咽まじりの声に、美佳はかすかに微笑み、途切れそうな息で言葉を紡ぐ。
「大丈夫。私は──またふたりに会えるの。さっき、そう言われたの。だから……悲しまないで」
美佳の言葉が、夜風に溶けるように消えていった。
その胸の光は次第に強まり、やがて美佳の身体を包み始める。
陽菜も、エレナの握っているその手を重ね、震える声で叫んだ。
「やだ……! 行かないでよ……まだ、話したいこと、いっぱいあるのに……!」
美佳は小さく首を振り、まるで子どもをあやすように、陽菜の頬に触れた。
陽菜の涙が、美佳の指先に触れる。その指先から、赤く淡い光の粉が舞い上がっていた。
「ありがとう、陽菜ちゃん、エレナちゃん……」
微笑みながら、美佳は言葉を続けた。
「いい? ふたりとも……今、この瞬間を、大切にして……」
エレナは涙を拭いながら、美佳の言葉に耳を澄ます。
「今、笑って。今、手を取り合って。後悔だけは、残さないで……」
陽菜も小さく頷き、涙を流しながら震える声で答える。
「うん……わかった。ウチたち、ちゃんと……今を大切にする」
美佳は穏やかな微笑みを浮かべ、最後の力で言葉を紡いだ。
「ありがとう……あなたたちなら、きっとできる……あなたたちの“想い”は、ちゃんと届いたわ。だから……大丈夫」
その言葉に、陽菜とエレナの胸は熱く締め付けられた。手のひらに残る美佳の温もりが、まだ消えずに微かに伝わってくる。
美佳は穏やかに目を閉じ、最後の力で微笑んだ。
「また、会おうね……」
その瞬間、美佳の体は光の粒となって崩れ、風に溶けていく。
まるで夜空に散る桜の花びらのように、儚く、美しかった。光は空へと昇り、やがて星の瞬きと溶け合っていく。
エレナと陽菜はその光を見上げたまま、声を失って立ち尽くす。
やがて、陽菜はそっとエレナの手を握り、静かに言った。
「ウチたちが……ちゃんと受け継ぐ。美佳さんの想いを」
エレナは涙を拭いながら、小さく頷く。
美佳が残した想い。
──みんなを包む優しい想い。
──信じることで強くなれる想い。
──そして、未来へつなぐ想い。
胸の奥で、静かに灯がともる。
「うん……絶対に、無駄にはしない」
夜空には、まだ美佳の残した光の粒が漂っている。
それはまるで、ふたりを見守るように瞬き、ゆっくりと天へ昇っていった。
やがて、玉藻がそっと空を見上げ、口を開く。
「……良き”想い”であった。だが、案ずるな。また会える」
玉藻の言葉に、エレナはまだ手の中に残る温もりを感じながら、そっと呟いた。
「うん。美佳さん……きっとまた会えるよね……」
その言葉に、蓮はうつむいたまま小さく頷いた。彩華と竜司、翅脈もまた、静かに拳を握りしめる。
ふと、蓮は玉藻の様子に目を向けた。玉藻は静かに陽菜を見つめている。というより、陽菜の帯を見守るようにして見ていた。その視線に誘われるように、蓮もまた陽菜の帯を見つめる。
──そして、息を呑む。
陽菜の背中から伸びる、白く輝く想いの帯が九本、夜風に漂っていた。
光は柔らかく、しかし強く存在を主張し、まるで九尾の狐の尾のように妖しく艶めかしい。その輝きを背にした陽菜は、戦いの後の疲れも忘れさせるほどに美しく、力強く、まるで光そのものが宿っているかのようだった。
玉藻が蓮の隣にそっと歩み寄り、低く囁く。
「そなたも、気付いたか」
蓮はしばらく見つめたあと、やがて小さく頷いた。
「はい……まるで九尾のようです……」
蓮ははっとして玉藻に向かって慌てた。
「あ、すいません……!」
玉藻は首を軽く振り、静かに言葉を制した。
「別に気にすることはない」
玉藻はゆっくりと口を開く。
「‘九’という言葉はな、元来、妖や陰陽道においては霊力や完成度を示すものなのじゃ」
「妖で言えば、九尾の狐のように尾の数で力が示されるものもあるし、九十九の道具が妖化する例、あるいは九頭竜のような存在もそうじゃ。そして陰陽道では、術の際に九つの印──つまり九字を切る。全て、‘九’は力の極みや完成、霊的な段階を象徴しておるのじゃ」
玉藻は目を細め、さらに言った。
「陽菜はまさしく、人と妖の想いを摘む裁定者……まさに春裁の君だ」
蓮が問いかける。
「玉藻さんは、どうして”妖”に……?」
玉藻はしばらく沈黙し、遠くを見つめた。やがて、静かに息をつき、口を開く。
「前にも言ったが、人が抱えられる“想い”には限りがある。それを超えれば──肉体は壊れ、あるいは“想い”に呑まれて、別の存在に成り果ててしまうのじゃ」
玉藻はゆっくりと蓮の方へ視線を戻し、真っ直ぐに見据えた。
「……わらわもまた、その果てに至った者のひとりよ」
そう言って微かに笑う玉藻の瞳には、悲しみと、どこか安らぎのようなものが宿っていた。
「だからこそ、陽菜を頼む。あの者が同じ道を辿らぬように。……陽菜だけでなく、そなたたちという支えも選ばれた。それには、必ず意味があるはずじゃ」
玉藻の瞳が、遠い過去を映すように揺れた。
「陽菜は強い。だが、強さだけでは孤独になる。そなたの“想い”で支えてやれ」
蓮は拳を握り、力強く応じた。
「……はい。絶対に守ります」
そして蓮は夜空を見上げ、小さく呟く。
「まだ終わっちゃいない……これから、だ」
一同は空を見上げ、夜の闇に消えゆく光の余韻を胸に刻む。夜の風が吹き抜け、焼け跡ひとつない大地の上で、七人の影が寄り添うように揺れた。
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その光景を、ひとり遠く上空から見下ろす者がいた。尚也である。
足元には淡く輝く魔法陣が浮かび、夜気の中に静かに立つ。
「怖いねぇ……女性を敵に回すから、こうなるんだ。ま、見事な連携プレーってことで──とりあえず、何とかしよっか」
尚也は、軽く肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべていた──。




