第24話:康太とエレナ
陽菜は蓮と並んで、自宅の近くまで戻ってきた。夕暮れの風が頬を撫でる中、自宅玄関前に三つの影が見える。
そこには、エレナ、翅脈、そして美佳が立っていた。
どうやら、ふたりが帰ってくるのを察して、待っていてくれたらしい。
「さすがエレナちゃんね。阿吽の呼吸ってことかな?」
美佳が微笑みながら言うと、翅脈もすぐに頷いて続けた。
「さすがなので。想いが通じているからなので」
ふたりに褒められ、エレナは自慢げに腰に手を当てて、ふんっと鼻を鳴らす。
その様子に気づいた陽菜と蓮は、思わず顔を見合わせた。次の瞬間、陽菜の目が大きく見開かれる。
「美佳さん!!」
陽菜が驚きの声を上げ手を振る。蓮も嬉しそうに明るい声で続けた。
「お久しぶりです!」
ふたりが近づくと、美佳は微笑んで口を開いた。
「お久しぶり!」
──少し後。
陽菜たちは近くの公園に移動し、静かな時間を過ごしていた。
公園にはほとんど人影がなく、夕暮れの光だけが優しく差し込んでいる。
蓮はブランコのそばのベンチに腰を下ろし、エレナと翅脈と楽しそうに話していた。
翅脈は妖精の姿のまま、蓮の膝の上にちょこんと座っている。
エレナは蓮のスマホを借り、画面をふたりに見せながら操作していた。お気に入りの服を見せて、蓮に感想を聞いているようだ。
一方の陽菜は、美佳と少し離れたベンチに並んで座っていた。
どうやら、ふたりだけで話したいことがあるらしい。
「いろいろ大変だったみたいね。エレナちゃんと翅脈ちゃんから聞いたわよ」
美佳が優しく切り出すと、陽菜は少し照れたように笑う。
でも、陽菜のその顔には不安が宿っていることを美佳は察していた。
「そんなことはないですよ。ただ……ちょっとエレナが心配で」
「そうね……」
美佳が静かに頷く。その反応に、陽菜は思わず問い返した。
「ひょっとして、何かエレナが言ってましたか?」
「うん」
美佳は少しだけ視線を落としてから、言葉を続けた。
「エレナちゃん、陽菜ちゃんに迷惑をかけてるって悩んでるみたい。自分なんかいないほうがいいって……」
その言葉に、陽菜の目が曇る。
「やっぱり……気にしてるんだな」
小さく呟いた陽菜に、美佳が穏やかに言葉を重ねた。
「エレナちゃん、何かを決めてると思うの。たとえば、自分で責任を取るとか……」
その一言に、陽菜は言葉を失った。きっと、エレナは自分ひとりで鴉を倒すつもりなのだ。
そして、その死水晶を彩華に渡す。エレナにとっては死水晶自体に害はない。けれど、鴉と相討ちになる覚悟かもしれない──。
美佳の声が、再び穏やかに響いた。
「陽菜ちゃん。前にも言ったけど、“今”を大切にして。陽菜ちゃんとエレナちゃんは、お互いが“今”を大切にして一緒にいるからこそ、笑えているんだから」
その言葉が、静かに胸の奥に染みていく。
分かってはいた。けれど、改めて言われると、感慨深くなる。
「ウチは、エレナが大事です。エレナがいない世界なんて、考えられないの……」
陽菜の真っ直ぐな言葉に、美佳は優しく微笑む。
「うん、分かるわよ。だから、ちゃんとエレナちゃんを見てあげてね」
その言葉に小さく頷いた陽菜は、ふと美佳の顔を見つめて口を開いた。
「美佳さんって……」
思わずこぼれた声に、美佳が小首をかしげる。
「うん?」
陽菜は慌てて手を振った。
「いえ、なんでもないです」
(美佳さんと、沙耶さんって……似てるな)
陽菜はそう思いながら、そっと目を伏せた。
その姿をみた美佳は、陽菜を見つめて優しく微笑んだ。
--------
夜、蓮たちはもちろん、美佳も家を後にした。
陽菜の部屋は静まり返り、寝息だけがかすかに聞こえる。カーテン越しに、満月が明るく光っているのが分かった。
今日は、エレナも人間の姿で一緒に寝ていた。甘えたふりをして、同じベッドで陽菜と並んで横になっていたのだ。
妖精の姿では、部屋のドアを開けるのが少し大変だったからだ。
寝静まった陽菜を見計らい、エレナはそっとベッドから起き上がると、彼女は慎重に動き、陽菜を起こさないようにデスクへ近づく。
そして、手作りの押し花をそっと置いた。
小さな白い押し花。手のひらに収まるほどの大きさで、エレナが今日のために心を込めて作ったものだった。
それは感謝の印であり、愛情の表現であると同時に、別れの挨拶の意味も込められていた。
エレナは、寝ている陽菜をそっと見つめた。
本当は陽菜に触れたかった──でも、触れれば起こしてしまうかもしれない。
彼女はそっと微笑み、優しい声でつぶやいた。
「陽菜……だいすき。ありがとう」
その瞳は、涙であふれていた。
エレナは階段を静かに降り、リビングのテーブルに三つの押し花を並べる。
同じく小さな白い押し花。それは、康太、結衣、そして悠真の分だった。
涙が、再び瞳をあふれさせる。
やっぱり、みんなと一緒にいたい──そんな気持ちを、必死に押し殺しながら。
その時、後ろから静かな声が部屋に響いた。
「こんばんは。妖精さん」
エレナは振り向く。リビングの柱にもたれ、肘をついて立つ康太の姿があった。
部屋は暗いが、落ち着いた表情で微笑んでいるようにも見える。
エレナは思わず手で涙をぬぐった。頬を伝う温かいものを感じながらも、顔には穏やかさを保つ。
康太は静かに言った。
「ちょっと、いいかな。久しぶりに」
そう言うとエレナは頷いた。
康太はリビングの窓を開け、フローリングに腰を下ろす。窓の外に足を軽く投げ出し、夜風を感じながら月明かりに照らされた。
ひんやりとした風がカーテンを揺らし、月明かりがふたりの間に柔らかく落ちる。
エレナも隣に静かに腰を下ろす。
すると、康太がエレナに向かって話かけた。
「エレナが押し花を持ってきたってことは、なにかあるんだね」
「うん……」
エレナの元気のない返事に、康太は穏やかな声で語りかける。
「自衛隊まで来て……陽菜もエレナも、大変なことに巻き込まれているのは分かっているつもりだよ」
エレナは少し俯き、静かに答えた。
「……だから、陽菜や康太に、これ以上迷惑をかけたくないの」
康太は優しく微笑む。
「そうかな?」
康太が優しく問い返すと、エレナは一瞬だけ俯き、目を細めた。
月明かりに照らされた瞳が揺れている。
「……だって、わたしがいなければ、陽菜もこうはならなかったと思うの。彩華にも迷惑かけた。鴉を倒すのがわたしの責任……」
声は小さいが、決意の色が滲んでいた。
康太はゆっくり息をつき、エレナの顔を見つめながら語りかける。
その視線には、温かさとわずかな厳しさが混じっていた。
「エレナの気持ちは、俺も分かる。誰かを守りたいというその気持ちがどれほど強いかも、想像はできるつもりだ。だけどな、一つだけはっきり言わせてほしい」
康太は少し間を置き、慎重に続ける。
「一人で行って、帰ってこないつもりなら、それは違う。エレナがいなくなってしまったら、陽菜はどうなる? 悠真は? みんなはどう感じるか考えてみて。エレナが守ろうとしている“みんな”が、結局いちばん傷つくことになるんだ」
さらに康太は柔らかく言葉を重ねる。
「陽菜はね、エレナがいないと半人前なんだよ。エレナも、陽菜がいないと半人前なんだよ」
間を置いて、康太は静かに、でも力強く言った。
「エレナは、みんなの想いがあって帰ってきてくれたんだ。俺はそれ以外の理由はないと信じてる。だから、俺たちの想いがある限り、ぜったいに生き続ける」
エレナの瞳に涙があふれ、声にならない息が漏れる。
「いいかい? 絶対に帰ってくること。陽菜を悲しませちゃいけないよ」
そして、少し冗談めかして康太は付け加える。
「明日は、エレナの好物の唐揚げを用意してるからな」
エレナは小さく頷いた。
「……うん。康太。必ず帰ってくる」
康太はテーブルの押し花に目を向けながら言った。
「この押し花は、帰ってきたら改めて俺たちに見せてくれ」
「うん」
エレナは微笑むと、立ち上がってそっとポケットに押し花をしまった。
夜風がカーテンを揺らし、月明かりがふたりを優しく照らす。
やがて、エレナの身体が淡く緑色に輝き、小さな妖精の姿に変わった。
光の粒子が舞い散るように、ふわりと浮かび上がるその姿は、夜の闇に溶け込むように柔らかかった。
「康太、行ってくるね」
そっと康太に寄り添うように抱き着く。
「うん。行ってらっしゃい」
エレナは淡い緑の輝きを放ちながら、リビングからふわりと飛び立った。
康太は、窓の外へ消えていく小さな光の粒を、しばらくじっと見送る。
胸の奥に、ぽっと温かいものが広がる。
それは、彼女が必ず帰ってくるという確信から来る、静かな安心だった。
──大丈夫だ、戻ってくる。
それは単なる希望ではない。みんなが、エレナを、陽菜を守ろうとしているという確かな実感。その温かさが、夜の静寂の中でじんわりと心に染み渡る。
それこそが、想いの力──そう康太は感じていた。
康太は、階段の陰からそっと見守る陽菜の存在も、ちゃんと分かっていた。
書斎に戻ると、そこには結衣の姿があった。不安を滲ませた声で、彼女が問いかける。
「……大丈夫かな」
康太は微笑み、そっと結衣の手を握って答えた。
「大丈夫だよ。ふたりとも、運にも才能にも恵まれた子だ」
そして、五分も経たず、書斎にいる康太の耳に、廊下を歩く静かな音と、玄関の扉が開く音が届く。
「今日は、特別だぞ。陽菜」
そう言うと康太は一人、ふっと微笑んだ──。
--------
(あとで、エレナはお仕置きなんだからっ!)
陽菜は心の中で固く誓った。
玄関の扉を開けると、夜風に揺れる影の中で玉藻がひらりと立っていた。
「やはり予測通り、動きがあった。夜道は危険だ。わらわの手を握るがよい」
「うん」
陽菜はそっと玉藻の手を握ると、ふたりの姿はまるで空気に溶け込むかのように夜に溶けていった。
(沙耶さんが教えてくれた。あいつらの弱点を……! そこを突けばっ!!)
陽菜は心の中で呟く。
満月が静かに光を注ぐ夜。目指すは、彩華の家──。




