第23話:妖会 ーあやかし会ー
夕方の陽菜の部屋。カーテン越しにオレンジ色の光が差し込み、柔らかく揺れていた。
ベッドの上では、エレナと翅脈が並んで雑誌をめくっている。ふたりとも、妖精の姿のままだ。
今日は、陽菜と蓮が夕方までちょっとしたデートに出かけていた。
エレナと翅脈は、できるだけその時間を邪魔しないよう気を配っている。もちろん、陽菜も蓮も「気にしないで」と言ってくれた。
けれど、エレナも翅脈もふたりの想いを静かに見守りたかった。それに、妖精同士の会話も、たまには悪くない。
「この洋服がかわいい!」
「こっちの様子もお嬢様っぽくて好きなので!」
そんな他愛もない会話をしながら、穏やかな時間が進む中、窓を叩く音がしたのだ。
コンッ! コンッ!!
エレナは顔を上げ、軽く首をかしげる。ふわりと淡い緑の光が彼女を包み、人間の姿へと変わった。
そのまま窓辺に歩み寄り、そっと鍵を外す。すると、エレナは思わず声を弾ませた。
「美佳さん!」
そこには、千葉の海で出会った女性──美佳が立っていた。風に揺れる長い黒髪。その中で、赤い瞳だけが淡く光を宿している。二階のベランダに、まるで風に乗るようにふわりと降り立っていた。
「こんにちは」
美佳の柔らかな声に、エレナも嬉しそうに答える。
「こんにちはー!」
そのやりとりを見て、翅脈は少しきょとんとした表情を浮かべた。
けれどすぐに、翅脈も礼儀正しく頭を下げる。
「あなたも、“想い”の存在ですね。お初にお目にかかりますので」
”妖”と言わず“想い”の存在と言ったのは翅脈の礼儀だった。
その言葉に、美佳は目を細めて微笑んだ。
「はい。はじめまして」
その屈託のない笑顔に、翅脈の警戒も自然と解けていく。
「いまね、陽菜と蓮はちょっと出かけてるの。もうすぐ帰ってくると思うよ」
エレナがそう伝えると、美佳は穏やかにうなずいた。
「少し遊びに来ちゃったの。……お邪魔してもいいかしら?」
エレナは嬉しそうに頷き、快く迎え入れた。
「それにしても、人間になれるなんて、エレナちゃん凄いね!」
それは純粋な驚きと賞賛のこもった言葉だった。
美佳はエレナが人間の姿になれることを知らない。
そして、翅脈とともに、いままで起きた出来事を美佳に語った。
──九尾の狐に出会い、戦ったこと。
──陽菜が“妖の世界の裁定者”として選ばれたこと。
──そして、妖たちに命を狙われていること。
ときおり興奮気味に身振り手振りを交えて語り、ときには悩みを打ち明けるように声を落とす。
美佳は静かに頷きながら、時折やわらかな笑みを浮かべていた──。
だが、ひと通りの話を終えると、部屋の空気がふっと静かになった。
エレナが俯くのを見て、翅脈が首をかしげる。
「エレナ、どうかしましたので?」
「……ううん、なんでもないの」
そう言いながらも、その声には少し影が差していた。
美佳はそんな彼女を見つめ、優しく問いかける。
「気になることがあるのね?」
翅脈も後を押すように、言葉を添える。
「今日は女子会ならぬ、“妖会”ですから。遠慮はいらないので」
エレナは小さく息をつき、ほんの少しの沈黙ののち、ゆっくりと口を開いた。
「わたしね……最近、考えちゃってるんだ。陽菜のそばにいるのが、ほんとに“いいこと”なのかなって」
翅脈が目を見開いた。
「そんなこと……どうして?」
「だって、陽菜は優しいの。いつもわたしを守ってくれる。でも、そのたびに傷ついたり、怖い思いをしたりしてる。春裁の君のこともそう。……わたしがいなければ、陽菜はもっと“普通の女の子”でいられたかもしれないの」
エレナは小さく唇を噛みしめ、ぽつりと続けた。
「彩華も……わたしがいなければ、こうはならなかったと思う」
その言葉は、まるで胸の奥からこぼれ出るようだった。かすかな声には、はっきりとした痛みが宿っている。
美佳は黙って聞いていた。すぐに慰めることも、軽い励ましも言わない。ただ、目の前にいる人間となった妖精の想いをまっすぐ受け止めている。
「だからね……」
察した翅脈の表情が凍りつく。
「それは……。エレナ、責任ではないので」
それにエレナが答える。
「分かってる。危ないのも、バカみたいなのも。でも……陽菜を傷つけたくないの。わたしがいなければ、陽菜はきっと笑っていられるはずだから」
静かな沈黙が降りた。それは悲しい決意を包み込むように、ゆっくりと落ち着いていく。
やがて、美佳が小さく微笑んだ。その瞳には、どこか遠くを見るような懐かしさが宿っている。
「……エレナちゃんは、ほんとに優しいのね」
エレナは、はっとして顔を上げた。
「でもね、優しさってね。ときどき“ひとりきりの寂しさ”にすり替わるの。誰かを想うあまり、自分を置き去りにしてしまうことがあるのよ」
美佳の声は穏やかで、でもどこか悲しげでもあった。
「私はうまく言えないけど……。陽菜ちゃんはね。エレナちゃんと一緒だから笑っているんだよ。それを忘れないでね」
エレナは言葉を失い、唇をかみしめた。胸の奥で、なにかが揺らいだ。
それでも、決意だけは変わらない。
(……でも、やっぱり。わたしが、責任を取らなきゃ)
静かな部屋に、エレナの想いだけが、深く沈んでいった。
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そのころ、陽菜は蓮とデートの真っ最中だった。学校帰りなので、場所は近場の町中だ。
アイスクリームを食べながら、スマホでカシャッ、カシャッと写真を撮る。無論、隣には蓮の姿もある。他愛もない会話を交わし、時には手をつないで、寄り添って。
陽菜は、そんな“普通のJKライフ”を心から楽しんでいた。
ふたりは親水公園のベンチに座り、近くのクレープ屋で買ったクレープを頬張っている。陽菜は生チョコクレープ、蓮はサラダクレープ。
そんな日常の味を楽しみながら、陽菜はふと口を開いた。
「ねぇ、蓮。ウチ、春裁の君に選ばれたじゃん……」
その言葉を聞いた瞬間、蓮は直感した。
──陽菜は、迷っている。
「おう。俺の意見、言っていいか?」
陽菜は顔を上げ、素直に頷いた。
蓮は少し笑って言う。
「個人的にな。……面白そうじゃん?」
「えっ……?」
思わぬ答えに、陽菜は目を丸くする。てっきり、蓮は反対すると思っていたのだ。
蓮は少し間を置いて尋ねる。
「陽菜は、どう思ってるんだ?」
「ウチはね……蓮と、エレナと一緒ならって思ってる」
さらに蓮は聞いてみた。
「で、そのエレナはどう思ってる?」
陽菜は視線を落とし、少し顔を曇らせた。その様子を見て、蓮は小さく息をついた。
「……まだ、エレナの言葉、聞けてないんだな」
陽菜は両手でクレープを持ち直し、小さく呟く。
「エレナ……ひょっとして……」
蓮は先に察して、まっすぐに答えた。
「だから、エレナも守るんだ!」
「うんっ!」
陽菜は笑顔を取り戻し、蓮の肩にそっと頭を預けた。
そして、少し震える声で言う。
「蓮……ごめん。迷惑かけてばっかで……」
陽菜のその言葉に、蓮はすぐ反応した。
「それだよ。その言葉、エレナも言ってる。だからふたりとも気にしすぎなんだって」
陽菜は目を瞬かせる。蓮は続けた。
「陽菜が俺のことを思うのと同じで、エレナも陽菜のことを思ってる。だから、その遠慮を取っ払わないと、前に進めねぇよ」
陽菜は静かに頷き、蓮の肩に頭を預けたまま、柔らかく微笑んだ。
「……うん」
少しの沈黙。空には、茜色がゆっくりと滲みはじめている。
「もう、夕方だね……」
陽菜が寂しそうに呟いた。蓮は空を見上げながら、軽く笑う。
「じゃあ、また陽菜の想願空虚に行こうか」
想願空虚。それは展開した者の“想い”に左右される場所。極論を言えば、陽菜と蓮のふたりであれば、時の流れすら存在しない。永遠に、ふたりきりでいられる空間でもある。
蓮の提案に、陽菜は顔を上げてジト目で睨みつけた。
「さっき行ったばっかじゃん。……蓮のお盛んっ!」
「なっ……なんでそうなるんだよっ!」
陽菜はニヤリと口角を上げ、わざとらしく頬に手を添える。
「そんなにウチの身体が魅力的なんかぁ~? 参っちゃうな~♪」
「なっ……んなことねーよっ!」
蓮が慌てて否定すると、陽菜はムッと頬をふくらませた。
「なによそれー! ちょっとぐらい“そうだよ”って言ってくれてもいいじゃん!」
「所詮、蓮も……ウチの魅力的な身体だけが目的だったのね……」
そう言うと、シクシク泣き出した。
「お……おい、なんもしてねーだろって……」
蓮は慌てて慰めようとした。その直後──。
「あ~~んぐぅ!」
陽菜は、蓮の手にあったサラダクレープの“最後の一口”を手で奪い、豪快に食べ干した。
「んなぁぁ!!! 最後の一口をっ!!」
蓮は、大学受験、高校受験、その他ありとあらゆる人生の転換期に失敗し、挫折した人間のような叫びをあげて、うな垂れた。
蓮は、好きなものを最後まで残しておく習性がある。そして、その最後の一口の“チョリソー”も同じように残していたのだ。
「ぬあぁぁぁぁぁあああ!!」
陽菜はそんな蓮の絶叫を完全に無視し、最後のチョリソーを口に放り込む。
ムシャムシャ……。
意図的に咀嚼音をたてながら食べ続けた。
「なんで食うんだよ! 知ってるだろ、俺がウィンナー系ガチ好きなのっ!!」
そんな言葉を無視して、陽菜は咀嚼音を出しながら、しれーっと食べていた。
「んなもの知るかっ! ウチを凌辱した罰だっ!!」
蓮の悲鳴と、陽菜の咀嚼音が、静かな公園にこだました──。




