第15話:死結晶
陽菜の想願空虚が晴れ、気づけばそこは暗闇の森の中だった。
木々の間から覗く夜空は、まだ夜の色を残し、朝を告げるにはほど遠い。
蓮は陽菜を抱きかかえていた。彼女はまるで眠っているかのように気を失っている。
「……傷が、消えかけてる」
蓮が呟いた視線の先では、陽菜の腹部に走っていた切り傷が、ゆっくりと閉じるように治癒していく。
その様子を確かめ、エレナも安堵の息を漏らした。
「大丈夫。陽菜は助かるよ」
蓮はふと、陽菜の手の甲に刻まれていた紋様が消えていることに気づいた。
それはエレナの目にも留まったらしく、口を開く。
「わたしのも、消えたみたい」
エレナは蓮の手の甲にも同じ変化が起きていることに気づく。
「あ! 蓮のも消えてるよ!」
蓮も陽菜を抱きかかえたまま、自分の手の甲を見つめた。確かに紋様はもうなかった。
そこへ彩華と竜司が駆けつける。彩華は息を整えながら短く告げた。
「……いったん、別荘に戻ろう」
蓮は陽菜を抱えたまま、彩華に問いかける。
「彩華……お前の怪我は?」
彩華はわずかに笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫。完治には少し時間がかかるけど、術で抑えてる。こんなの、かすり傷程度よ」
そう言った直後だった。
ドクン──。
胸を打つような脈動と共に、彩華の目が見ひらかれる。
「ぐぁぁっ!」
苦痛の叫びを残し、彩華は崩れるように地に伏した。力なくうずくまり、そのまま意識を失う。
「彩華っ!!」
竜司が叫ぶが、返答はない。
尚也が駆け寄り、彩華の胸の傷を確かめる。それは、傷口を覆うように、黒紫の痣のようなものが広がっていた。
出血や炎症ではない。皮膚の下で、何か得体の知れないものが静かにうごめいているように見える。
尚也がそっと傷口に手を触れる。
すると、黒紫の痣が脈打つように淡く輝いた。
それを見た尚也が呟く。
「まさか……これは……」
尚也の言葉に被さるように声が響いた。
「死結晶……」
その言葉は陽菜から発せられた。
尚也はそれに静かに頷く。
蓮が口を開いた。
「陽菜、大丈夫か?」
「蓮、ありがとう……もう大丈夫」
陽菜は微笑み、そっと蓮の頬に触れる。蓮は短く頷き、陽菜を下ろした。
彼女の傷は、もう跡形もなく消えていた。
蓮は驚きに目を見開き、陽菜に問いかける。
「しけっしょう……? どうしてそうだと?」
陽菜は視線を落とし、静かに答える。
「ウチにも、よくわからない……でも、そうだと何故か分かるの……」
尚也が低く呟く。
「さすがだな……春裁の君……」
その言葉に、エレナが鋭く尚也を問いただす。
「どういうこと? なにか知ってるんでしょ?」
尚也は視線を巡らせ、口を開いた。
「死結晶とは、人の負の想いから形作られるもの。妖の刀に封じられし力……」
一瞬間を置き、尚也は続ける。
「平たく言えば……呪いだ」
声に重みが増す。
「死結晶は即死をもたらすものではない。だが、負の感情が全身を覆えば、いずれ死に至る。それがいつになるかは、当事者の感情次第だ」
沈黙が流れる。尚也はしばらく言葉を探し、低く続けた。
「とりあえず、別荘へ行こう。本体が、時女の屋敷に来る」
別荘に着くと、彩華は、用意された二階自室のベッドに横たわっていた。
正直、何が起こるか分からず、力技が必要になるかもしれない。そのため、竜司ではなくエレナが彩華の側に付いていた。
陽菜たちは一階のリビングに降り、そこにいた黒羽たちと合流する。
時女が口を開く。
「死結晶ね……鴉の連中、ひどい真似を」
陽菜が問い詰めるように言った。
「時女さん、その死結晶を消すには、どうすればいいのでしょうか!?」
「死結晶か……」
その言葉に呼応するように、ふわりと玉藻が場に現れた。
陽菜は驚きと共に振り返り、玉藻に呼びかける。
「玉藻さん……」
玉藻は時女の方へ視線を向け、静かに答えた。
「屋敷に行けば、あるいは……」
陽菜が即座に応える。
「時女さんの屋敷ですね」
玉藻は頷く。
「死結晶は人の想いが形になったもの……わらわにも確かなことは分からぬ。だが、屋敷の第三勧戒に行けば、何かが分かるやもしれぬ……」
陽菜が小さく呟く。
「だいさんかんかい……?」
その言葉が重く響く中、黒羽の無線機が震えた。
「……わかった」
黒羽は応答し、時女に告げた。
「やはり動きがありました。特殊部隊三チーム、おそらく対テロ部隊です」
それはアメリカ軍内部でも謎のベールに包まれた特殊部隊。
噂では、外敵要人の暗殺や極秘工作すら担うと言われていた。存在そのものが影であり、任務の詳細は闇の中だ。
「やはり、隠密に屋敷を奪取したいようです」
黒羽の言葉に、時女は微かに頷く。
「うん。やっぱり、あっちが本命だったようね」
そして、時女は陽菜たちに向かって言った。
「屋敷が本命。敵は対テロ専門の特殊部隊。狭い場所を得意とする。今までとは違う」
言葉を落とし、少し間を置く。決意を確かめるように時女が問いかける。
「大丈夫?」
陽菜は真っ直ぐに頷き、力強く答える。
「はい!」
蓮と竜司も同時に頷く。
「「大丈夫です」」
すると、後ろからも声が聞こえた。
「あたしも、行きます」
それは彩華の声だった。意識を取り戻し、彼女は二階から静かに降りてきた。死結晶の影響はないのか、いまは普通に歩いている。
横にはエレナも立っていた。
竜司が少し驚きの声を漏らす。
「話、聞こえてたのか」
彩華は微笑むように答える。
「わからないんだ。夢のような感覚で眠っている間も、こっちの話は聞いていた。幽体離脱……かな」
陽菜が思わず声を上げる。
「彩華! だめだよ。まだ傷も治ってない! ここはウチに任せて!!」
だが、彩華は小さく首を振り、静かに言った。
「陽菜にばかり、迷惑はかけられない……」
その言葉に、陽菜は息を詰めたまま、ただ名を呼ぶ。
「……彩華」
エレナが明るく手を叩くように言う。
「じゃー決まりだね!!」
話の切りのいいタイミングを見計らった蓮が、玉藻に問いかけた。
「玉藻さん、翅脈は?」
玉藻が笑顔で蓮に答えた。
「うむ。引き続き、陽菜の屋敷の警護を頼んでおる」
その言葉に、尚也が付け加える。
「念のため、陽菜ちゃんの家は、沙耶も護衛に回っているよ」
陽菜は驚き、笑顔で返した。
「沙耶さんも来てくれてるんですか!?」
沙耶には本当に世話になりっぱなしだと、陽菜は心の中で感謝の想いをそっと呟いた。
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「3・2・1、Execute!」
時女の屋敷。謁見室を思わせる広間の入口の重厚なドアが、米対テロ部隊が仕掛けたC4爆弾によって吹き飛ばされた。
轟音と共に破片が飛び散り、粉塵が室内を覆う。
瞬時に米対テロ部隊員たちが部屋へ突入する。室内は真っ暗闇だったが、彼らが装着する四眼暗視ゴーグルには昼間のように鮮明な視界が映し出されていた。
その装備はすべて最新鋭である。米対テロ部隊員たちは最新式の小型自動小銃を携え、静かに進撃する。
だが、対するは自衛隊最精鋭の特殊作戦群。彼らもまた自動小銃を手にし、四眼暗視ゴーグルを装着して待ち構えていた。装備と練度は互いに肩を並べる。
沈黙の中、双方の消音器付き銃口から発射される銃声が、異様に鮮明に響き渡る。
息を殺し、互いを削り合う戦い。そこには一歩も引かない、一進一退の攻防戦が繰り広げられていた。
米対テロ部隊は二方向からの包囲を狙っていた。
ひとつは、現在交戦中の謁見室付近。もうひとつは、時女たち関係者のみが出入りできる秘密の入口だ。
しかし、後者の入口には自衛隊員による警護が及んでいない。というより、警護すること自体が事実上許されない領域であった。
その場所に、陽菜たち一行は瞬時に現れた。時女と玉藻の力によって、転送されたのだ。
ここも同様に暗闇であった。一行は、時女と玉藻が握っていた手をそっと離す。
陽菜が視線を向け、小さく呟く。
「ここって、時女さんの部屋の近くですね。まさか、秘密の入口があるなんて……」
その入口は、ドアではなく、大きな四角い淵に囲まれていた。中は深い闇に包まれている。
エレナがそっとその暗闇に指先を伸ばす。触れた瞬間、水面に波紋が広がるような感覚が走った。
波紋は虹色に輝き、静かに揺らめきながら暗闇を照らし出す。
時女は穏やかに頷きながら言った。
「そうだよ。ここは限られた者しか知らない、秘密の入口だよ」
その言葉には重く確かな意味が込められていた。時女はさらに続ける。
「この扉は、あらゆる場所と繋がれる。でも、アメリカには以前、そのひとつを知られてしまった。だから、敵はここからも来る」
その瞬間、エレナが小さく声を上げた。
「どうやら、来たみたいだよ」
四角い淵に囲まれた空間の闇が波打ち、虹色の光を揺らめかせる。
一行は無言のまま動き、十メートルほど進んだ突き当たりを左右へ分かれ、廊下の陰に身を潜めた。
右には陽菜、エレナ、蓮、そして時女。
左には彩華、竜司、玉藻。
今陽菜たちがいるのはT字路。右の廊下は謁見室へとつながり、左の廊下の先には武器庫へと降りる階段がある。
だが、この屋敷は縦横無尽に伸びる廊下と部屋が絡み合い、迷路のように複雑だ。
敵の動きによって、取るべき戦略も変わってくる。
張りつめた沈黙の中、時女が低い声で指示を出す。
「陽菜ちゃん、エレナちゃん、蓮、よく聞いて。この廊下の真ん中に赤い壁がある。それは幻影の壁。その向こうは第二勧戒に通じている。まっすぐ突き切るんだよ」
「いまの三人なら行ける。その手の甲に浮かぶ紋様が通行証になる」
言葉通り、陽菜とエレナ、蓮の手の甲に再び紋様が浮かび上がった。
陽菜には”主”、エレナには”護”、蓮には”知”という文字が刻まれている。
彩華が疑問を口にした。
「あたしたちは?」
時女は短く答える。
「今は、まだ入れない。でも、紋様が現れれば行ける」
彩華が首をかしげ、低く問い返す。
「紋様……?」
その言葉を時女が制するように告げる。
「話はあとで!!」
緊迫した空気が廊下に張り詰める。時女はさらに声を張り上げた。
「竜司! ありったけの武器を持ってきてっ!」
竜司は即座に頷き、静かに動き出す。
「分かった」
竜司のその声が廊下に響き、緊張はさらに高まった。
時女は振り返り、陽菜たちに告げる。
「陽菜ちゃんたち、あとは任せたよ」
玉藻も口を開いた。
「エレナ。任せたぞ」
その呼びかけに、エレナは一瞬驚きの表情を浮かべた。玉藻は、これまではかつての名である「蜻蛉羽」と呼んでいたのだ。
エレナと呼ばれるのは初めてだった。
「うん! 玉藻も気を付けて!!」
エレナは自信を込めて答える。玉藻は微笑みを返した。
陽菜が彩華に向かって言葉を開く。
「行ってくる……。絶対、無理しないでよ!」
彩華が小さく笑みを浮かべて返す。
「陽菜こそ、無理しないでよ!」
陽菜は頷き、強く言い切った。
「必ず、方法を見つけてくるっ!!」
蓮が短く告げる。
「行こう。ふたりとも」
「うん!」
陽菜は彩華の手をそっと握ったあと、迷うことなく走り出した。
(彩華を早く助けないとっ!)
陽菜は心にそう誓いながら、エレナ、蓮と共に赤い壁へ向かう。
その背を見送りながら、時女が低く呟いた。
「きっと、彼女たちなら大丈夫」
玉藻は無言で頷いた。
廊下の空気はさらに張り詰めていった──。




