第8話:通学路の廃工場の怪①
昼休み。
学校の購買でパンを買った陽菜は、いつものようにエレナと一緒に、校舎裏の芝生でまったりとした時間を過ごしていた。
この場所は、陽菜にとってはある意味“居場所”だった。
教室でぼーっとするのも悪くはないが、エレナとの会話を聞かれでもしたら、変人扱いされかねない。
それに時々、男子たちにメッセージアプリの垢の交換を頼まれたり、呼び出されたりするのも、正直めんどくさい。
「エレナさー、今日の朝通った工場、気にならなかった?」
陽菜が唐突に言うと、
「陽菜も気になった? なんとなくだけど、“想い”の名残があったよね」
と、エレナが答えた。
「そうなんだよねー。なんか気になってしゃーないんだよ」
陽菜がぽつりと呟く。
「絶対、首突っ込んじゃいけないやつだよね」
自分で言っておきながら、苦笑いを浮かべる陽菜。
「まさか、陽菜……行く気でしょ?」
エレナがじっと見つめてきた。
「バレた? めっちゃ気になるじゃん」
陽菜は肩をすくめた。
「でも、あそこって廃工場っていうところでしょ? 見つかったら怒られるんでしょ?」
「大丈夫っしょ? バレなきゃいいのだっ!」
エレナが陽気に言ったそのとき、後ろから声がかかった。
「おーい、陽菜ー」
振り返ると、蓮が購買で買った一口チョコをつまみながら歩いてきた。
「おっす」
陽菜は軽快にあいさつすると、すっと立ち上がり、蓮のチョコを一個つまみ取った。
「一個、もーらいっ! っていうか、よく蓮もここに来るよね?」
もちろん、それは単純な理由だ。蓮は、陽菜がここにいると思って来ているのだから。
「まぁ……、なんていうか……」
蓮は、そのことをごまかそうとした。いうまでもなく、陽菜はその心情に気づいていない。
だが、“想い”で世界に繋がっているエレナには、それが伝わっていた。
「陽菜は鈍感だねぇ~。えへへへっ」
エレナが意味深に笑う。
「はぁ? 誰が鈍感だって? いきなり」
陽菜はエレナを睨むが、エレナは気にせず微笑んでいた。
エレナが見えない蓮は、そんな陽菜の様子を不思議そうに眺めていた。
それでも――どこかで、きっとエレナがそこにいると思うと、蓮は自然と微笑みがこぼれた。
陽菜は腰を下ろすと、蓮に言う。
「なんか怪しいな……その微笑み、なにか企んでる顔でしょ……」
「んなわけねーだろ」
蓮も陽菜と同じく腰を下ろし否定した。
だが陽菜は、さらに食い下がるように言う。
「いーや。その目で何度も騙されてきた。バッタとか持ってきたことあるだろが」
陽菜が睨みをきかせると、蓮は思わず笑った。
ふたりが小学生の頃、蓮は陽菜を騙して手のひらにバッタを載せたことがあった。
陽菜は、その時この世のものとは思えない叫び声を上げたのだ。
その記憶は、今でも陽菜の中に鮮明に残っている。
「そんなことあったねぇ。陽菜、虫苦手だったもんね~」
エレナは大声でゲラゲラ笑っていた。
ムッとした陽菜だったが、げんこつグリグリは封印して、代わりにもう一つチョコを奪った。
蓮は、チョコを食べる陽菜を横目で見ながら、懐かしい気持ちになっていた。
「……今日はエレナは一緒なんか?」
蓮はふと思い出したように聞いた。
「一応ね。近くの廃工場が気になって仕方なくてさ。いまエレナと相談してたんよ」
陽菜のその言葉に、蓮が反応した。
「あそこは危ないからやめておけって」
その忠告に、陽菜はすぐさま反論する。
「え~? エレナもウチに同じこと言ったよ」
陽菜が苦笑混じりにそう言うと、すぐさま口を開いた。
「そりゃ、エレナが正しい」
蓮の口から自然に出たその言葉に、エレナは得意げに腰に手を当てて鼻をふんっと鳴らした。
「さっすが蓮! わかってるねぇ~」
陽菜はまたちょっとムッとしたが――
蓮の言葉に、少し驚いた。
「おれも行く。この間の桜の案件もあったし」
蓮が、あっさりとそう言ったからだ。
陽菜はその言葉に、ふと真顔になった。
「……蓮。今日、部活ないん?」
問いかけつつも、陽菜の声には戸惑いがにじむ。
心の奥底では、来てほしくないと思っていた。この間の桜の木の時のように、蓮が巻き込まれるのが怖かったのだ。
それは、エレナも同じだった。
「陽菜、蓮を止めて。危険だから」
エレナの声は、蓮には届かない。
だから代わりに、陽菜がその言葉を伝えようとした。
「でも、あぶな……」
言いかけた陽菜の言葉を、蓮は首を横に振って遮った。
「ない。……だから行く。止めてもムダやぞ」
そう言って、陽菜の顔をまっすぐに見た。
軽くて飄々とした言葉の裏に、揺るがない意思が透けて見える。
陽菜は少しだけ目を伏せ、そして小さく笑った。
「……あぶないよ。バカ……」
その声は、まるでそっと包むように、静かだった。
──三人は廃工場の前に立っていた。
赤茶けたトタン屋根。破れた金網。雑草に侵食されたコンクリートの隙間。
どこを見ても「近づいてはいけません」と言っているような場所だった。
「……やっぱ、やめとくなら今のうちだよ?」
陽菜がちらっと蓮を見る。それは本気の言葉だった。
「言っただろ。行くって」
蓮はあっさりと返す。
その後ろで、エレナがふう、とため息をつく。
「まったく。みんな揃いも揃って無鉄砲なんだから」
そう言いながらも、エレナも一歩前へ出る。
陽菜は何も言わず、ゆっくりと工場の中へと歩を進めた。
奇妙なことに、鉄格子の扉はすでに開いていた。
足元に散らばる割れたガラス。
錆びた鉄の匂い。湿った空気が、じっとりと肺にまとわりついてくる。
蓮が、周囲を警戒するように目をやりながら、ぽつりと口を開いた。
「つーかさ、怪我すんなよ。コケたらパンツも丸見えだぞ」
陽菜が答える
「変態! おパンツぐらい気にしねーわ。所詮”布”だろ。中身見られなきゃOKだわ!!」
陽菜がそう返し、思わずエレナが吹き出しそうになる。
だが、その空気も一瞬で変わった。
陽菜がふと立ち止まり、ぽつりと呟いた。
「……静かすぎない?」
まるで、時間が止まってしまったような空間。
風の気配も、音の響きもない。すべてが外界と断絶されているような、奇妙な静寂に包まれている。
三人は、慎重に建物の中へと足を踏み入れた。
そこには広々とした空間が広がっていた。
天井は高く、壁はところどころひび割れ、かつての構造の面影をわずかに残している。
廃材こそ散らばっているが、ほとんどが撤去されたのか、妙に片付いていた。
そのとき――
「……ん?」
蓮が、足を止めた。
目の端に、なにか“揺らぎ”のようなものが映った気がした。
空間のひび割れのような、熱の歪みのような――あるいは、誰かの記憶の残滓のような。
「蓮?」
陽菜が振り返る。
だが、蓮はしばらく返事をしなかった。
「いや……なんか、視界が揺らいだ気がしたんだ」
蓮は首をひねりながら答えたが、表情にはわずかに違和感が残っていた。
陽菜もエレナも、無言で顔を見合わせる。
この場所には、何かがいる――。
三人とも、口には出さなかったが、確かにそう“感じて”いた。
それは、陽菜と蓮、そしてエレナの”想い”が互いに共鳴し始めた証であった――。




