第7話:それぞれの支度
授業中、陽菜は思わずウトウトしてしまった。
妖精の姿のまま、エレナがそっと様子をうかがいながら声をかける。
「陽菜、大丈夫?」
陽菜は小さく頷いた。
「うん、大丈夫」
しかし、その直後、強烈な睡魔が全身を襲う。自分の意思とは裏腹に、陽菜は抗えずに意識を落としていった。
「陽菜……陽菜……?」
エレナの声が遠くで聞こえる。ふと、陽菜の瞳が開くと、そこは見知らぬ部屋だった。
年配の男性と、若い男女が立っている。年配の男性はスーツ姿、若い男女は自衛官の制服を着ていた。
「黒羽先生……藤堂先生……? ここは……?」
それは、まるで幽体離脱のような感覚だった──。
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「失態だな……。わずか二週間か」
防衛大臣の声が重く響いた。
「返す言葉もございません。あれほどの者たちとは……思いませんでした」
頭を下げる黒羽二尉。その隣には藤堂三尉が控えている。
藤堂が続けた。
「ですが、動向は引き続き追っております。衛星やグローバルホークからの情報も逐次入手しています」
防衛大臣は窓際に歩み寄り、外を見やりながら口を開いた。
「総理代理からの通達だ。これより君たちは、連中の護衛に回れ」
黒羽が眉をひそめる。
「と、いいますと?」
大臣は淡々と答えた。
「米国から二日前、総理宛に通達があった。九尾の身柄を要求してきた」
黒羽が分かってはいるものの敢えて聞いた。
「……で、その要求を呑むのですか?」
大臣は外を見やりながら答える。
「無論、そんなことはしない。国民の生命と財産を守るのが我々の責務だ」
黒羽が呟く。
「……つまり、仕掛けてくる、というわけですね」
大臣は静かに頷いた。
「……奴らは、日本の本気度を試すつもりでいる。統合作戦司令部が全体を統括するが……君たちには現場指揮権を委ねたい」
「連中も、そのほうが幾分かは心が休まるだろう……」
黒羽が一歩前に出て言う。
「ですが、我々は彼女たちから警戒されています。本当に大丈夫でしょうか?」
大臣は静かに答えた。
「手は打ってある」
黒羽と藤堂が声を揃える。
「はっ!」
大臣はさらに言葉を重ねた。
「相手は米国の精鋭だ。頼んだぞ」
黒羽が力強く返す。
「“危険を顧みず、もって国民の負託にこたえる”。それが、私が自衛官を選んだ所以です」
その言葉に藤堂もうなずき、ふたりは揃って大臣に敬礼した。
そして静かに執務室を後にした。
すると間もなく、秘書が慌ただしく入室し、誰かの来訪を告げた。
「話は聞かせてもらいましたよ。国家というのは、相変わらず身勝手なものですな」
低い声と共に現れたのは、那須で陽菜と玉藻の戦いに姿を見せた男・白石尚也だった。
大臣はわずかに目を細める。
「白石殿の地獄耳には感服しますな」
尚也は肩をすくめ、薄く笑う。
「褒め言葉として受け取っておきましょう。それで、日本の“本気”はどれほどですかな?」
その言葉に大臣が答えた。
「第一空挺団、特殊作戦群を回す。無論、揺動なのは理解している」
その答えに尚也は一瞬黙し、やがて小さく息を吐いた。
「……なるほど。まさに”本気”、というわけですか」
大臣は窓の外を睨みつけながら言葉を続けた。
「奴らは、日本が九尾と、時女様を守るに値するかを見極めたいのだろう。なにせ、世界を壊しかねない存在たちだ」
尚也の視線が鋭さを帯びる。
「……それに、“梟”の動向も気になる。そういうことでしょう?」
大臣が振り返ると、尚也は淡々と告げた。
「安心なさい。“梟”は人間の争いに口を出すことはありません……ですが……」
尚也の声がわずかに低くなる。
「お嬢の御身が危険とあらば、話は別です。なにせ、約千年ぶりの候補者なのですから」
「もし、危険が及んだ場合……、例えば”鴉”とか……」
重い沈黙が落ちる。
やがて尚也は口元に笑みを浮かべた。
「私はただの“観察者”。鴉たち反対派の動きも含め、これからも見届けさせてもらいますよ」
大臣は無言で頷いた。
すると尚也は、ふと思い出したように口を開く。
「それと、九尾……玉藻たちも時女に会ったようです。当然、彼女たちもそれなりの準備を進めているでしょう
大臣は頷きながら答えた。
「総理代理も現地で九尾に会ったと聞いている。……動画サイトに投稿して、おびき寄せるつもりらしいな」
尚也が静かに応じる。
「はい。日米合同演習に合わせたのも、彼女たちの本気の表れかと」
尚也は続ける。
「米国も罠と知りつつ、手を出さざるを得ぬ状況でしょう。総理に通達した以上、この機を逃せば、もはや交渉の余地はない。まぁ、強硬手段に出てくるとは思いますがね」
大臣が低く問う。
「本当に、あの娘が?」
尚也は確信をにじませて答える。
「王気を持っている。それは私も那須で感じましたよ。そもそも、玉藻が連れ添っているのが、何よりの証拠です」
「くれぐれも、お嬢たちの御身に危険が及ばぬように」
尚也は静かに言葉を放った。
──次の瞬間、尚也の視線がふと陽菜に向いた気がした。
目が合ったような錯覚。尚也は、陽菜に向けるように微笑んで口を開く。
「ということだ……」
「はっ!!」
陽菜は弾かれるように目を覚ます。そこは教室だった。まるで、目と目が合ったかのような感覚。
(たしか、あの人は尚也さん……だったかな?)
夢の中で視線を交わしたような気がした。
(いや、あれは本当に夢だったの……?)
以前の深夜、ベッドの中で見た“那須の出来事”にも似ている。
胸の奥に、得体の知れない違和感が残った──。
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「あぁぁぁ~もぉ~、自衛隊とか助けてくれよぉぉ!」
そんな陽菜の絶好調な叫びを、エレナと彩華は聞いていた。
学校帰り、三人はハンバーガーショップで落ち合っていた。
蓮は部活で不在。エレナは今日は妖精の姿のままだ。
彩華は紙のコップに入ったコーラをストローで吸いながら、ぽつりと言う。
「でも、その自衛隊にも狙われたんでしょ?」
陽菜が肩をすくめて答える。
「そうなんだよね~。将来の納税者を狙うとかどういうことだよ!」
エレナがすぐさま呼応するように言った。
「そうそう。しかも、陽菜みたいな美女が死んじゃったら、日本の……いや世界の損失だよね~」
陽菜は思わずニヤける。
「さすがエレナ! いいこと言うじゃん!」
「でしょ! でしょ!?」
エレナは腰に手を当て、ふんっと鼻を鳴らして得意げなポーズを取った。
だが、彩華がすかさず冷たく突き刺す。
「ククク……それはないから安心しな」
陽菜はすかさず噛みつく。
「少なくとも、テメーよりは損失になるわ!」
ふと、彩華が表情を引き締め、真剣な顔になった。
何か深く考え込むように。
「でもさ、拳銃の弾と違って、自動小銃の弾は結界でも防げないって時女が言ってたじゃん」
エレナが小さくうなずく。
「うん……わたしも詳しくは分からないけど、そうみたい」
陽菜はそれについて意見を述べてみる。
「やっぱり、ウチやエレナや彩華の術とかでも、難しいのかな?」
彩華は紙コップのコーラを握りながら、淡々と答える。
「難しいだろうね。さすがに大人数だと、多勢に無勢じゃないかな。それに鉄砲の弾だっていっぱい飛んでくるし、あんな高速なやつ、そう易々と避けられないよ」
それにエレナも頷く。
「うんうん。一発や二発じゃないもんね~」
陽菜はふたりの言葉に納得し、ゆっくりと頷いた。無論、陽菜にも難しいことは分かっていた。
自動小銃の弾は、一秒間に何発も飛び出す。そんなもの避けられるはずがない。
しばらく沈黙が流れた後、彩華が小さな声で呟いた。
「だとしたら……当たったら、死んじゃうのかも」
その言葉に、テーブルの上の空気が一気に重くなった。
陽菜は紙コップのジュースを手に取り、ストローで吸うと口を開いた。
「もしウチが死んだらさ、ふたりとも笑顔で送るんだぞ」
「陽菜……何言ってるの!? 縁起でもないよ!」
エレナの瞳が潤む。
彩華もムっとして口を開いた。
「エレナの言う通りだろ。それに、オメーは死なないわっ!」
そして、わざと軽口をたたく。
「憎まれっ子世にはばかるって言うしな」
彩華が手を口に添えてクスクス笑うと、陽菜もすぐに噛みついた。
「そりゃテメーのことだろ……」
そう言いかけたところで、彩華がふっと真顔に戻った。
「あたしが死んだときもさ。ふたりとも、笑って送ってよ」
それを口にした瞬間、静寂が訪れる。
陽菜はジュースをテーブルのトレーに置くと、苦笑した。
「……自分で言って分かったわ。こういうのは、エレナの言う通り、口にしちゃいかん」
「うぅ……ふたりとも死なないから大丈夫だよ~」
エレナは涙を浮かべながら訴える。
陽菜はやさしく微笑んだ。
「ウチらは死なないよ。大丈夫だよ、エレナ」
彩華も、わざとからかうように言う。
「まったく……エレナは泣きん坊だね」
しくしくと泣きながら肩を震わせるエレナ。
陽菜はその頭をそっとなで、彩華も隣で肩に手を置いた──。




