第25話:記憶と恐怖
赤い球は一直線に迫り、蓮と竜司の目の前で炸裂した。
直前、蓮は咄嗟に竜司を突き飛ばす。
その刹那、赤い球が爆発し、蓮の身体を爆風が呑み込んだ。
「ぐわぁぁぁ!!」
轟音と土煙に包まれ、蓮は後方へ吹き飛び、砂浜に叩きつけられる。
わずかに呻き声を漏らしたのを最後に、ぴくりとも動かなくなった。
「蓮っ!!」
「蓮ーーーー!!!」
陽菜とエレナが叫ぶ。
その瞬間、陽菜の身体から玉虫色の輝きが弾け飛んだ。
荒々しく脈打つ光が周囲を震わせ、空気そのものが軋む。烈風が巻き起こり、彼女のセミロングの髪は逆立ち、まるで獣の鬣のように揺れる。
「……ぜってー、許さねぇ……!!」
「みんながデスる前にぶっ潰す!!!」
叫んだ瞬間、砂浜の地面がびりびりと震え、彼女の足元から亀裂が走り砂が舞い上がる。
それは抑えきれぬ力が溢れ出した証だった。
「ふ……よかろう。その覚悟、しかと受けて立とう」
陽菜のその瞳は、完全に人のものではなかった。
「……よくも……よくも、蓮を……!」
玉虫色の光に包まれた陽菜が、一気に砂浜の地を蹴った。
まるで弾丸のように飛び出し、玉藻へと拳を突き出す。
「うおぉぉぉぉぉッ!!!」
しかし──
玉藻はわずかに身をひねり、爪の先で軽く弾き飛ばす。
陽菜の拳は軌道を外れ、海中に叩き込まれた。
「ふむ……」
玉藻の声は冷たく、余裕に満ちている。
「だあぁぁぁぁぁッ!!!」
陽菜はさらに吠え、想願空虚の海水を荒々しく操る。
それは渦を巻き、巨大なミミズのように蠢きながら、牙を剥く獣のごとく玉藻に襲いかかった。
「勢いはあるが、粗い。怒りに任せただけの攻撃など、容易く受け流せる」
淡々と告げ、玉藻はひらりと宙へ舞い上がり、滑るように身をかわす。
だが陽菜の水流は執拗に追いすがり、怨念の塊のように彼女を狙い続けた。
玉藻は着地と同時に静かに九字を結ぶ。砂浜の上で一歩も動かぬまま、低く響く声を紡いだ。
「令 百 由 旬 内 無 諸 衰 患」
直後、渦を巻いた海水は玉藻を直撃したはずだった。
だが、水流はまるで意志を持つかのように分裂し、玉藻を避けて左右へと割れる。
淡く輝く飛沫は光の粒となり、空気に溶けて消えていった。
「なっ……!?」
陽菜は歯を食いしばり、帯を刀のごとく変化させて突進する。
怒りを込めて振り下ろすその一撃──
しかし、刃は玉藻の人差し指と中指に挟まれ、完全に止められた。
金属が軋むような重圧をかけているにもかかわらず、玉藻の表情は一片も動かない。
「やはりな……予想通りだ」
その声音は冷徹で、まるで陽菜の必死の力を試しているかのようであった。
「想いを研ぎ澄ませ。いま、そなたには幾人の味方がおる?」
玉藻の言葉は、諭すように淡々と続く。
「このままでは、そなたの想い人すら傷つけることになるぞよ」
「怒りに飲まれるな」
その言葉に、陽菜の瞳が一瞬揺れた。
「そなたはひとりではない。若人、蜻蛉羽、そして陰陽師の娘……想いはすでにつながっておる」
「目を閉じ、心を鎮めよ。想いはひとつの線ではなく、多角に広がるもの。それを見よ」
陽菜は言われるままに、そっと目を閉じた。
(想いは、集まってこそ力を持つ……)
胸にその言葉を抱き、陽菜は心を研ぎ澄ませた。すると、視界はあらゆる角度へと広がる。
エレナの視界、彩華の視界。それぞれの“想い”が重なり、彼女の中でひとつの光景となる。
そして、はっと陽菜は気づく。
(蓮の視界……!? 蓮、気がついたのっ……?)
(蓮の視界だと、玉藻の背中が丸見え……そういうことか……)
陽菜は静かに目を開け、集中を高めた。
その頃、蓮も意識を取り戻していた。目の前には竜司と沙耶、そして尚也の姿がある。
「大丈夫?」
沙耶と竜司の声に、蓮は首をかしげる。
「まったく問題なしです。あれだけの衝撃だったのに、痛みひとつ感じません」
「味な真似をしてくれるわね」
実際、玉藻の攻撃は文字通りの見掛け倒し、精密に計算されており、蓮は無傷だったのだ。
陽菜は蓮の無事を安心したのか、再び戦に集中しようとした。
だが、次の瞬間、エレナが結界を開きながら、玉藻へと突進してきた。
「エレナっ!!」
陽菜が叫ぶ。
「うおりゃぁぁぁ!!」
しかし、玉藻は陽菜の帯を軽く弾き返し、陽菜を吹き飛ばす。続いて、エレナの拳も軽々とかわされる。
「蜻蛉羽よ、そなたの力も、そのくらいではあるまい?」
「いまこそ、かつての記憶を思い起こさせようぞ」
玉藻の声に、エレナははっとする。
そして玉藻は静かに念じながら、突進してきたエレナの頭に掌をかざす。
その瞬間、エレナの頭上に強烈な稲光が走り、彼女は呻き声を上げた。
「うあぁぁぁぁ!!」
「エレナ!! やめて……、やめてあげて!!」
陽菜の声が想願空虚にこだまし、怒りと焦燥が入り混じった波動となって広がる。
──その瞬間、陽菜の意識の中で、エレナの記憶が波のように押し寄せた。いや、それは蓮や彩華、そして沙耶の意識にも同時に流れ込む。
薄暗い宮廷の一室。平安時代よりもさらに昔、まだ朝廷が混迷を極めていた時代。
一人の男性の陰陽師が一枚の式神を見つめていた。
その隣の弟子らしき男が、慎重に告げる。
「万が一、鬼の姿では政に問題が生じます。西方の国の妖がよろしいかと……」
「うむ……」
弟子の言葉に頷き、陰陽師は九字を切った。
「……急々如律」
すると、白く淡い光が瞬き、一人の翅を持つ妖が姿を現した。
次の場面。その妖の前に、陰陽師と思われる男性、そして玉藻が静かに座していた。
「帝を脅かす“不安分子”を掃討せよ。帝からの命である」
男性の陰陽師が言った言葉、それは妖に与えられた、冷酷な命令だった。
手には小さな紙に包まれた薬──朝廷の使命を示す冷たい重み。
「西方の国の妖……妖精よ。勤めを果たせ」
玉藻も続けて言葉を放ち、その妖は静かに応じる。
「御意のままに……」
「……命じられたことは……必ず……」
朝廷は不安分子を排除することで国の安定を守ろうとしていた。その命令を下すのは、力ある者たち。
宴席の奥、燭台の炎が揺れる中、標的となる官吏たちの笑顔が見える。
妖の姿は人には見えず、ただ孤独と緊張だけが胸を締め付ける。
「……命令は絶対……」
隙をみて、末席に置かれた酒壺に近づく。
誰にも理解されぬ孤独を抱え、彼女は壺にその毒を注いた。
彼らの苦しみともがく姿、絶命する瞬間まで、妖はただ使命を果たすのみだった。
次の場面。宙を浮くその妖は朝廷の官吏から逃れていた。
「いたぞ! あれが妖だ!!」
一人の官吏が叫ぶ。ほかの官吏や衛士には見えていない。しかし、特異な能力を持つその官吏だけは、妖の姿をはっきりと捉えていた。
「衛士ども、我の指す方へ矢を放て!」
数名の衛士が矢を射出する。ほかの官吏や衛士たちは刀を構え、妖めがけて前進した。
だが、妖は緑の淡い光を纏い、手をかざす。瞬時に矢は宙で止まり、反転して放った衛士の方へ戻っていった。
「ぎゃっ!」
悲鳴とともに、矢は放った衛士の顔面を直撃する。
続けて、刀を構える衛士たちに目を向け、手をかざす。次の瞬間、彼らの身体は激しい衝撃とともに砕け、鮮血と肉片と臓物が辺りに飛び散った。
叫び声が宮廷内にこだまし、恐怖が瞬時に場を覆う。
妖は微動だにせず、淡い光を纏ったまま、冷たい瞳で次の標的を見据えていた。
──陽菜は言葉を漏らした。
「これが、エレナの過去……?」
記憶の波は幾重にも重なり、陽菜たちの意識に押し寄せる。
エレナはこれを、何十年、何百年と繰り返してきたのだ。
政治権力の道具として人を暗殺するために……。
──同時に、エレナにも記憶が一気に押し寄せる。
(……あのときも……あのときも、こうして……)
エレナはその場に思わず膝を抱え込み、かすかな震えが全身を走った。
”使命”──”命令”──それは絶対であり、逃れられぬ枷。
誰も理解できず、誰も救えない孤独と、冷たく重い責任が胸を締めつける。
(……選択肢はなかった……)
(こんなわたしじゃ、もう……陽菜たちとも一緒にいられない……)
恐怖、孤独、そして絶望、全てを抱えた瞳が、虚空を見据える。
言葉は途切れ、ただ息だけが荒く漏れる。
エレナの肩が震え、かつての使命の重さが再び全身を覆った……。
「もう……お願い……これ以上にエレナを傷つけないで……!!」
その声は陽菜の悲痛な叫び。
絶望に沈むエレナと、仲間の想い──二つの光が、想願空虚の中で交錯する瞬間だった。




