第19話:lost virginity
「陽菜! そっち!!」
彩華の声が鋭く飛んだ。
陽菜は振り返ることもなく、その怪異の前に立ちはだかる。
「……やっぱり弱いね。こんなんじゃ、遊びにもならない」
ミミズのようにのたうち回る巨体が身をくねらせ、陽菜に襲いかかってくる。
「おバカさん……」
陽菜の呟きと共に、彼女の手から青白い光が放たれた。
巨体は断末魔のうめき声を上げながら、やがて虚空に溶けて消えていく。
同時に、怪異が作り出していた想願急遽も霧散していく。
「勝手に死んでおいて、復讐なんて……助ける価値すらない」
冷たく吐き捨てる陽菜の声。
その横顔を見た瞬間、蓮の背筋に寒気が走った。
──陽菜が、別の世界の人間になってしまったみたいだ。
今回の依頼も、あるユーチューバーから持ち込まれたものだった。
機材を片づけていると、エレナが屈託のない笑みを浮かべて蓮に声をかける。
「今回も無事、片づけ完了だねー!!」
その明るさとは裏腹に、蓮は胸の中のわだかまりを拭えなかった。
「なぁ、エレナ……」
「ん? どうしたの?」
蓮はそれとなく問いかける。
「……最近、陽菜、大丈夫か?」
エレナは首をかしげ、ほんの少し考え込む。
「んー……特に変わったことはないけど。なんで?」
蓮は答えを探すように視線を伏せ、それでも言葉を濁した。
「いや……気のせい、かな。なんでもないよ」
エレナは、ふっと小さく息をついた。
──たぶん、玉藻の言葉を気にしているんだ。
「ねぇ、蓮。明日、陽菜を誘ってあげてほしいの」
そこで一拍置き、はっきりと告げる。
「もちろん、わたしは行かないよ」
「なんだよ、いきなり……」
驚く蓮に、エレナはまっすぐな瞳を向けて言う。
「気になるなら、そこで聞いてみて。……玉藻の言っていたこと、私には正直、わからないから」
言葉を区切り、エレナは続けた。
「蓮は優しい。わたしから見ても、そう思う。でもね……陽菜は積極的に……」
そう言いつつエレナは言葉を閉じた。
「んーん、なんでもない……」
翌日、陽菜と蓮は久々のデートに出かけていた。
休日の朝から、ふたりきりで外に出るのは本当に久しぶりだ。行き先は特別な場所ではなく、近場の街。けれど、それがかえって心地よい。
ちょうど二日前から、蓮の義父と義母は温泉旅行へ出かけており、家のことを気にせずに済むのもありがたかった。
午前中は観覧車に乗り、海沿いの海浜公園を散歩する。潮風に吹かれながら笑い合う時間は、”高校生カップルらしい休日”そのものだ。
陽菜にとっては、それだけで十分。久々に訪れた二人きりの時間が、何よりの幸せだった。
そんなとき、不意に陽菜が口を開いた。
「ねぇ、蓮。……ウチって、やっぱり怖い?」
突然の問いに、蓮は少し驚いて眉を寄せる。
「どうしたんだよ、急に」
陽菜は足元の砂を見つめながら、小さく息をついた。
「最近さ、自分がわからなくなるんだ。……“想い”と向き合ってるときも、自分じゃない誰かになってるみたいで」
「……考えすぎだろ。お前はお前だよ」
蓮は軽く笑って答えたが、内心では無視できないものを感じていた。
廃墟探索の時に聞いた玉藻の言葉……最近の陽菜は、どこか変わってきている。
想いと対峙するときの表情は、前のような優しい受け止め方ではなく、むしろどこか楽しげですらある。
まるで”達成感”に縛られているように……。
陽菜自身も、それに気づいていた。だからこそ余計に、蓮を不安にさせているのだとわかっている。
いつか、自分でも制御できない瞬間が来てしまうのではないか。
そのとき、自分はどんな選択をしてしまうのか。
不安の影が、潮風に混じってふたりの間を静かに通り抜けていった。
けれど、陽菜は首を振り、いつもの調子で笑った。
「……そうだね! サンキュッ!!」
唐突に明るさを取り戻した彼女に、蓮は一瞬きょとんとしたが、思い切って切り出す。
「なぁ……その……今日、俺んち誰もいねーんだよ」
「えっ、マジで!? じゃあお邪魔する!!」
ぱっと顔を輝かせた陽菜は、子供のように無邪気な声を上げた。
「……お、お前さ、すんげー積極的だな!」
思わず蓮が赤くなりながら言うと、陽菜はにやりと笑って肩を軽く小突いた。
ふたりはそのまま蓮の家へと足を運び、玄関先に立った。
「俺の彼女が陽菜だって知ったら、死んだ父ちゃん、母ちゃんびっくりするだろーな」
鍵を開けながら、蓮がぽつりと呟く。
すると陽菜が尋ねた。
「ねぇ、蓮。お父さんとお母さんの仏壇ってある?」
「ああ、あるよ」
蓮が答えると、陽菜はやわらかく微笑んだ。
「じゃあ……お線香、あげてもいいかな?」
「そうしてくれると、喜ぶよ」
蓮の言葉に、陽菜は静かに頷き、リビングの仏壇へと向かった。
線香をあげ、陽菜は両手を合わせる。
陽菜の横顔は真剣で、蓮はその姿を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
──やっぱり、自分の彼女が陽菜でよかった。心からそう思えた。
陽菜はしばらくの間、静かに手を合わせていた。
するとふと、胸の奥をやさしく撫でられるような感覚に包まれる。
(……お久しぶりです。お父さん、お母さん。陽菜です)
心の中でそう語りかけた瞬間、ふわりと空気が揺れた。
リビングの片隅に、面影のような残像が浮かぶ。輪郭は曖昧なのに、不思議とあたたかさを感じる。
『陽菜ちゃん、大きくなったね』
『蓮を、これからもよろしくね』
優しい声が耳に届き、胸が熱くなる。
『大丈夫。部屋には入らないからね』
唐突な一言に、陽菜は顔を真っ赤にしてしまった。
「あ、いやっ……そ、そんな変なことはないっす!」
思わず声を上げると、蓮がきょとんとした表情でこちらを見つめる。
「ん? どした?」
陽菜は慌てて両手を振り、頬をかきながら目を逸らした。
「いや……なんでもない……」
だが、蓮はなんとなく感じていた。
──陽菜には、きっと声が聞こえているのかもしれない。
もしそうなら、両親も安心しているはずだ。
そして、自分も。
そう思うと、自然に笑みがこぼれた。
「なに、にやけているんだよ」
蓮の笑顔を、陽菜はジト目で見つめていた。
蓮の部屋は、意外にも質素で整っていた。
机とベッド、洋服ダンスに本棚。小さなテレビにはゲーム機がつながっている。
「なーんかさ、男の部屋って汚いイメージだったけど……全然違うんだな」
ベッドに腰を下ろした陽菜が茶化すように言うと、蓮は肩をすくめた。
「お前、どんな価値観持ってんだよ」
テレビをつけ、机から菓子を取り出す。
「晩飯代わり。あとで出前でも頼むか」
袋を無造作に差し出され、陽菜は呆れたようにため息をついた。
「はぁ? マジで? そんなの体壊すだろ」
陽菜は大きくため息をついて言った。
「ね、冷蔵庫の中の使ってもいい? 簡単なものくらい作るから」
「え!? 作れるの?」
「当たり前だろ。家でも手伝ってんだし」
蓮は思わず手を合わせて拝むように頼んだ。
「ありがてぇ……」
「まぁー、お肉とかあるって言ってたから、なんとかなるっしょ」
何気なく呟いた陽菜に、蓮が怪訝な顔をする。
「はぁ? なんで知ってるんだよ」
陽菜は普通に答えた。
「うん。お母さんから聞いたよ」
その瞬間、はっと気づき、慌てて言い直す。
「あ、いや……ほら、なんかこういうの不謹慎かなって。亡くなってるのに……」
蓮は黙って陽菜を見つめた。
──やっぱりそうだ。
玉藻が言っていた”感情の希薄”。
死者の想いと向き合いすぎて、生者と死者の境界があいまいになっている。
どこかで気づいてはいたが、今確信に変わった。
蓮は静かに陽菜の隣に座り、強く抱きしめた。
「……俺が、お前を絶対に守る。だから、そのままのお前でいてくれ」
「……うん」
その言葉のあと、二人はそっと唇を重ねる。
やがて蓮は、陽菜を抱き寄せたまま、そっとベッドに横たえた。
ふたりの頬は真っ赤に染まり、胸の奥では心臓がバクバクと跳ねている。
蓮は顔を赤らめながら、陽菜をじっと見つめた。
陽菜も蓮をじっと見つめて、やがて言う。
「……お父さんとお母さん、部屋には来ないって」
「だから、あのときの約束……」
小さくそう呟くと、陽菜はそっと蓮の首に腕を回した。
そのまま、ためらうことなく唇を重ねる。
ふたりは長く抱きしめあう。胸の奥に熱が広がるような確かな温もり。
それは想いだけでなく、ふたりが長く求めていた体のつながりが出来た瞬間でもあった。
「その前に、シャワー浴びたほうがいいんじゃない?」
そんな陽菜の言葉が、採用されたのか、はたまた無視されたのかは、ふたりのみぞ知る──。




