第6話:トイレの女神と変態疫病神
放課後。蓮といろいろな話をしたあと、陽菜はトイレで思わず叫んだ。
「あーーやっちまったー……デスったわ……」
ポーチに入れて持ってきたはずなのに、こんな時に限って……家からポケットに入れて持ってくればよかったと後悔した。
周期的に来る予感はあったけど、寝坊して慌てたのと”ポーチにあるから大丈夫だろう”と甘く見ていたのだ。
ガラガラとトイレットペーパーを巻く音が響く。まだ始まったばかりだから、これでなんとかしのげそうだ。
とはいえ、帰宅まではムリ。
トイレの水が流れる音が聞こえたあと、陽菜はゆっくりと個室のドアを開けた。
「どうしたの? 大丈夫?」
トイレの外で待っていたエレナが、少し心配そうに声をかける。
「問題ナッシング。……保健室行ってくる」
そう言うと、陽菜は少しうつむきながら足早に保健室へ向かった。
腹の奥が重く、じわじわ痛みが広がる。
保健室のドアをそっと開けて、小声で告げる。
「すみません……、“あれ”ありますか……」
保健の先生は優しく微笑んで答えた。
「もちろんよ。奥の引き出しにあるから、自由に使ってね」
「ありがとうございます……」
陽菜は照れくさそうに礼を言い、引き出しをそっと開ける。
小さな包みを一つ、制服のポケットに滑り込ませて、礼を言って部屋を出た。
廊下の先で待っていたエレナが、ふわりと翅を羽ばたかせて駆け寄ってくる。
「大丈夫? 顔色ちょっと悪いよ」
「平気。ちょっとだけね」
ふたりは女子トイレに戻った。ドアを開けた瞬間、冷たい空気がふっと肌をなでる。
陽菜は軽く息を吸い込み、そっと個室へ向かう。さっきより、なぜか重い気配が漂っている。
個室へ向かう途中、陽菜は何気なく鏡を見た。
なんとなく目を向けたその瞬間――鏡の中、自分の背後に何かがいる気がした。
そのときだった。足元を冷たい風がかすめ、カタカタとトイレットペーパーの芯がゆらりと揺れた。
「何か……いる?」
陽菜の問いかけに、エレナが鋭く頷く。
すると、鏡の表面が水面のように波打ち、そこから現れたのは――黒髪のセーラー服姿の少女だった。
青白い肌に深い黒の瞳。不思議と、怖くはなかった。
少女は陽菜をまっすぐに見つめて、問いかける。
「……あなた。私が見えるの?」
「もち、見えるよ」
陽菜が答えると、少女はほんのりと微笑んだ。
「うん。その妖精さんの影響かもね」
彼女はそのまま話を続けた。
「私は、この場所に残った、女子たちの“想い”の集合体。 悲しい時、つらい時、言えなかったこと。……みんな、ここで泣いてた。私は、その涙でできたの」
そう言って、そっと陽菜の手に触れる。その手はあたたかく、優しかった。
「今日は、大丈夫?」
少女のその問いが、なぜか胸に刺さる。
「……ちょっとだけ、今日はつらい日かな」
「うん。だから、守りに来たの」
――そのとき。
個室のひとつがガタガタと揺れ出した。
バンッと勢いよく開いた扉から、メガネをかけた中年太りの男がブリーフ一丁で滑るように現れた。
「フ……我こそは男子たちの想いの化身。七つの大罪、色欲担当のラスト様なり!」
そう言うと、クルクルと回転して手足をピンと伸ばし、天井を見上げる謎ポーズをした。
陽菜とエレナは口を開けて呆れ顔で見つめた。
すると、ラストはメガネをいじりつつ、陽菜とエレナをまじまじとのぞき込む。
「ん? 乙女たちよ、さては我が見えているとな!」
「おお、乙女にみられるとはなんという興奮! ああ、そなたの想い……我が身に刻みたい……!!」
陽菜は慌てて静止する。
「ちょ、ストップ! マジでキメェーから、その言い方ほんとやめて!!」
エレナも顔を青ざめながら、震える声で言う。
「陽菜……ほんと気持ち悪いよ~。早く倒しちゃおうよ」
自称”色欲”のラストはエレナに対しても、決め台詞を放った。
「おお、美しき妖精よ。我ら男子の希望なり。我と共に、この世界の未来を歩まん!」
その言葉にエレナは本気でゾッとし、言葉を失ってさらに青ざめてしまった。
そんな二人に少女は言った。
「彼は、“男子の想い”の塊。抑えきれない衝動が集まった存在」
陽菜が少女に言った。
「要するに”色欲”じゃなくて、ただ単に”変態”ってことだよね」
その言葉にラストは答えた。
「ふふ……女子の想いに触れたいのだ。だが、それは禁忌。ゆえに、私は崇拝することでしか近づけない……」
陽菜が気味悪がって言う。
「ややこしい性癖持つなよ!」
次の瞬間、少女が静かに手を上げた。
その動きに呼応するように、辺りが鮮やかな夕焼け色に染まり始める。
「想願空虚!」
陽菜とエレナは同時に叫んだ。
「うん、知っているんだね。私たちは”帳”と呼んでるの」
少女が静かに言葉を紡いだと同時に、水道の蛇口が勝手に開き、手洗い場の水が勢いよく噴き出だした。
床に走る水が巻き上がり、男の足元をぐるぐると絡めとる。
少女がゆっくりと口を開いた。
「男子の想いが強すぎて、壊すことがあるの。だから私は、ここにいる」
少女は続けた。
「女の子はね、誰にも見せない心を、ここで静かに置いていくの。泣いたり、怒ったり、傷ついたり。その全部を私は知ってる。……だから、守る」
それは、鏡・タンク・ペーパー、すべてに染み付いた“女子トイレでの想い”が彼女を支えていた。
だが、ラストも負けじと声を上げた。
「ぐぅ……美しき情念……だが……私は……男子たちの――!」
その言葉とともに、絡め取る水が激しくはじき飛ばされた。
隙を逃さず、陽菜が男の頭を掴み、勢いよく便器へと押し付けた。
「おい。自称変態の神様、こういうプレイも好きなんだろ。さっそく一日目になって、イライラマックスなんだよ」
陽菜は男の頭を便器に押し付けながら、声を荒げる。
「女の子の日の辛さもわかんねーようなヤツは、便所で流されろや! クソボケ変態野郎!!」
便器の中から、ラストが低く泡立つ声で答えた。
「ゴボボボ……だが……それもまた、ご褒美……」
陽菜はさらに畳みかけた。
「まだ言うか。色欲とか勝手に使いやがって。七つの大罪に謝れ!」
そう言うと迷わず、陽菜はトイレのレバーハンドルを回した。
すると、水の渦と共に”ゴボボボ……”という音が響き、変態の神様は渦に吸い込まれていった。
「また……会おう……乙女たちよ……ッ!」
陽菜は叫んだ。
「二度と来んな! 覗き魔!!」
彼は便器の中へと吸い込まれていった。
いつの間にか、陽菜と少女は肘を曲げてがっつり握手していた。まるで戦友同士のように。
やがて、夕焼け色の想願空虚がゆっくり解け、現実へと戻った。
ラストを封じるために噴き出した水は、想願空虚の消滅とともに静かに消え去っていた。
「ありがとう」
「お嬢さん、ありがとうねぇ~」
二人は静かに少女へ感謝を告げる。
少女は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「ううん、また何かあったら、心の声で呼んでね。私はいつでもここにいるから」
消えゆく少女に陽菜が慌てて尋ねた。
「あ! 名前なんて言うの?」
少女は微かに笑いながら答える。
「私は花子だよ」
そう言い残し、静かに姿を消していった――。




