第15話:アルバイト
それは、静かな夜のことだった。
「ひ、陽菜ぁ……やっぱり、こわいよ……」
か細く震えた声で呟いたのはエレナだった。
「たしかに……真っ暗闇ってのは、さすがに怖ぇ……」
陽菜も苦笑まじりに応じる。
この夜、陽菜、エレナ、彩華、そして竜司の四人は、千葉県にある某廃墟──いわゆる心霊スポットを訪れていた。
きっかけは彩華から持ちかけられたアルバイトの話。内容は“心霊スポットの影響調査”というものだった。
竜司と、その隣にいた蓮の顔には、うっすらと青ざめた色が浮かんでいる。
「ん~……マジかよ、蓮……」
竜司がぼそりと呟くと、蓮も短く応じた。
「ああ……マジだな」
そんな緊張感の中、一人だけ平然として、むしろ楽しげに歩いているのは彩華だった。
「ふふん、最高でしょ? 心霊スポット調査なんて」
彩華はLED懐中電灯を自分の顔に当て、下から照らし上げる。
まるで古典的ホラー映画のワンシーンのように、ニヤリと口角を上げてみせた。
わざとらしい演技。
しかし、それを見たエレナは一瞬で顔を引きつらせ、悲鳴をあげた。
「いやあぁぁぁぁ!!」
完全に効いてしまったらしい。
「だーあはははは! ビビッてやがるっ!!」
彩華の爆笑に、陽菜が肩をすくめてエレナに言う。
「エレナ、大丈夫? 怖い顔が見えちゃったね~。でも安心して。あれはただの“彩華っていう悪霊”だから」
「おいコラ、誰が怖い顔だ! 誰が悪霊だって!?」
彩華がムッとした顔で陽菜をにらむ。
「てめー……ガチで呪い殺すぞ!」
彩華の言葉に陽菜も負けない。
「んあ!? ウチの家族脅迫したくせに呪い殺すとか、やっぱテメー悪霊じゃねーか」
その瞬間、廃墟に漂う不気味な空気の中で、ふたりだけが妙に騒がしい。
心霊スポットに来ているのに、この掛け合いの勢いは、悪霊ですら近寄るのをためらうほどだった。
そんな中、少し離れた場所で、別の声が響いた。
「よし、準備OKっす!」
機材のセッティングを終えたのは、若いカップルのユーチューバーふたり。
チャンネル名は『心スポ探検隊』。各地の心霊スポットを巡る新興の心霊系チャンネルで、メンバーは“タイチ”と“カナ”。
登録者数は二万人に満たないが、今勢いをつけたい時期らしい。
今回、この四人がここに来たのも、彼らからの依頼だった。
曰く、「映像に“本物”を残したい」
ちなみに、エレナはすでに獣人化を済ませ、人間の姿でそこにいた。カメラに映りたいとの本人の要望だ。
カメラのライトが点灯し、廃墟の入口が照らし出される。
ひび割れたコンクリートの壁にはツタが這い、割れた窓ガラスからは風が吹き抜けてきた。
二階建ての建物で、以前は何かの研究施設だったらしく、規模は比較的大きい廃墟だ。
「……雰囲気、ヤバいね」
カナが小声で呟く。手に持つカメラがわずかに震えていた。
「……うん。なんかいつもと違う寒気がする」
タイチも同様に呟き、手に持つカメラが震えている。
「大丈夫大丈夫、こっちは心霊スポット調査のプロ……いや、バイトだけど」
彩華が胸を張って言うと、陽菜がすかさずツッコむ。
「いやいや、バイトで“プロ”とかガチで恥ずかしぞ」
エレナと竜司は思わず苦笑したが、緊張感が和らいだのはほんの一瞬だけだった。
ふと、廃墟の奥から
”カン……カン……”
金属を叩くような音が響いてきたのである。
「……っ!? い、今の音、聞こえた?」
蓮が顔を上げ、硬い声を漏らす。
「風か……いや、違うな」
竜司の声には、すでに冗談を交わす余裕はなかった。
その瞬間、エレナの耳がピクリと動いた。
人間の姿とはいえ、妖精としての感覚は健在だ。
空気の揺らぎ、奥から漂ってくる異様な気配、それは、ただの“風”や“物音”ではない。
「……やっぱりなにかいる」
低く呟いたエレナの声に、全員が息をのむ。
その場の空気が、さらに重苦しく変わった。
エレナの言葉に陽菜が小さく応じる。
「うん……五色の黒い輝きを感じる……やばい系かも」
彩華も頷いた。
「たしかに……」
暗闇の中で、その黒い五色は複数体。
三人の目にははっきりと捉えられ、光ったり消えたりを繰り返しながら、まるで自由に動いているかのようだった。
やがて、一行は廃墟の入り口をくぐり、広いエントランスへと足を踏み入れる。
正面には、闇に沈む大きな階段。左右には長い廊下が伸び、どこまでも不気味に口を開けていた。
タイチが、皆を見回しながら提案する。
「……ここで分かれましょう。一階と二階、手分けして探索ってことで」
話し合いの末──
一階は、陽菜、エレナ、蓮、そしてカナ。
二階は、彩華、竜司、そしてタイチが担当することになった。
「なにかあったら、このトランシーバで連絡を」
タイチの言葉に従い、二手に分かれた途端、廃墟はさらに深い静寂に包まれた。
陽菜たちが進む一階の廊下は広く、片側にずらりと並ぶドアが闇の中に浮かび上がる。
カナがカメラを回しながら呟く。
「……わ、ほんとに雰囲気やばいっすね」
「なにビビってるんですか。これが“撮れ高”ってやつっしょ!」
陽菜が軽口を飛ばすが、声にはわずかに震えが混じっていた。
蓮が小さく笑いながら言う。
「陽菜もビビってんじゃんか」
陽菜は蓮の脇を軽く小突き、耳元でひそひそと囁く。
「うっさい!」
でも、陽菜は続けてにやりと笑いながら言った。
「ふたりっきりだったら、イチャイチャできたかもね♪」
その言葉に、蓮の頬が赤く染まる。
「あとで……イチャイチャしたいかな」
頬を掻きながら照れくさそうに言う蓮に、陽菜はクスクスと笑いながら応じた。
「じゃー、あとでね♪」
こういう時、なぜか陽菜のほうが積極的だ。
だが、そんな雰囲気をものともせず、エレナは無言で慎重に廊下を進む。
すると、ふと陽菜の身体、そしてエレナの身体が、玉虫色に淡く光りだした。
カナがカメラを向け、驚きの声を上げる。
「ど、どうしたの?、なにそれ!?」
その光景は、確かにカメラに捉えられていた。
陽菜は低く呟。
「欠片が……反応している……」
エレナも静かに頷く。
「うん……」
その言葉とともに、四人は一つのドアの前で立ち止まった。
エレナがそっと口を開く。
「……中から……不思議な感じがする」
その声に、全員の表情が一瞬で固まった。
蓮は喉を鳴らし、カナはあわててカメラを構え直す。
エレナがそっとドアを押し開けると、闇の中からふわりと黒い物陰が現れた。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
三人の悲鳴が廊下に響き渡る。
そこに立っていたのは、一人の女性……。その存在は、ただの人間ではないことを示していた。
その悲鳴は、二階にいた彩華たちの耳にも届いた。
「えっ!? 今の、下の階!?」
彩華の声に、タイチは慌ててトランシーバーを手に取り、カナに応答を求める。
「……応答がないっ!!」
「下に降りよう!!」
竜司の声に、タイチは顔を強ばらせながらも、三人は足元に注意しつつ一階へ急行した──。




