第3話:デートのはずなのに①
陽菜は、どこか申し訳なさそうに蓮を見ていた。
「なぜに……」
それは、蓮の心から漏れた、絞り出すようなひと言だった。
今日は、陽菜とのデートのはずだった。
──なのに。
「蓮! ウチの推しの映画、観に行こうよ!」
数日前、陽菜からそう誘われた時の彼女は、どこか浮かれた様子だった。
そのテンションに釣られた蓮も、久々のデートに胸を躍らせていた。
なのに──
「……なぜ、彩華がここにいる?」
蓮は映画館の座席に腰掛けると、状況を整理しようとした。
上映は開始されたが、内容などまったく頭に入ってこない。
エレナが一緒にいるのは問題ない。彼女は陽菜とセットみたいなものだ。
むしろ、いなかったら”何かあったのか?”と不安になるくらい。
だが、彩華は──話が違う。
陽菜の隣にちゃっかり座り、チュロスをガリガリ食いながら不機嫌そうにスクリーンを睨んでいる。
そして、ボソリ。
「……クソ男……まじ無理……」
陽菜と、エレナは映画にどっぷり入り込んで、すでに目元がうるうるしていた。
──事の発端は、三時間ほど前にさかのぼる。
ウキウキ気分で着替えをしていた陽菜のスマホが鳴った。
ディスプレイには”彩華”の文字。
陽菜は、九尾の狐の件かと思い慌てた。
だが、通話ボタンを押した瞬間、爆音で飛び込んできたのは、泣き声まじりの第一声だった。
「うわーーーーん! 彼氏とケンカしたぁぁぁ!!」
陽菜は一瞬フリーズした。
が、邪険にもできず、とりあえず話を聞いてしまう。
「え、そりゃ大変だな……でも、きっと仲直りできるって」
軽くメイクもしたいし、服も選びきれてない。
なのに、彩華の愚痴は止まらない。
「マジむり! もうアイツとは終わり! 二度と会わん!!」
陽菜は内心でため息をつきつつ、そろそろ切り上げようと意を決して言葉を口にする。
「ウチ、これから蓮と会うから……」
「えっ、じゃあ、あたしも行く!!」
その言葉に、陽菜は思わずキョトンとした。
「……は?」
──そして現在に至る。
ただでさえ混乱している蓮だったが、彼をさらに困惑させたのは、陽菜が選んだ映画だった。
(……いや、デート映画って、もっと他にあるだろ!? ラブストーリーとか、アクションとか!)
(隣の劇場じゃ、剣士が鬼を倒すあの超人気アニメやってるのに! なぜこっちなんだ……)
陽菜の推しの映画『劇場版 いぼ痔刑事』は、明らかに単館系のコアすぎる作品で、客席もガラガラ。
蓮は、意味不明な映画を無理やり見せられる拷問のような時間も同時に過ごしている。
一方、陽菜とエレナはハンカチを口元にくわえて号泣していた。
どうやら、いぼ痔の刑事と痔ろうの管理官が、”椅子に座れない苦しみ”で互いを理解し、深い友情を交わすシーンに、完全に心を打たれたらしい。
エレナはすすり泣きながら言う。
「うぅっ……人間って、つらいね………!」
陽菜も鼻をすすりながら頷く。
「ウチ……痔の人、見かけたら、絶対優しくする……!」
蓮はひとり無言でもがいていた。
(……全然おもしろくねぇ。どんなセンスしてんだよ。竹どころか草も生えねぇ……)
彩華は隣でずっとボソボソと文句を言い続け、陽菜とエレナはセンス不明な映画で号泣している。
真っ暗な映画館で、狭い座席に閉じ込められた蓮は、ただただカオスな二時間の苦行に耐えていた。
二時間の苦行を終えた、蓮と陽菜たち一行は、近くの百貨店にいた。
彩華の愚痴も収まり、どうやら、陽菜と彩華はコスメを見たいらしい。
この時点で、蓮はすでに”付き添い”と化していた。
蓮はエレナから、ことの事情を聞いていた。
「なるほど、それで彩華が来たわけか……」
エレナが頷いて答える。
「うんうん。そうなの。だから陽菜も、ちょっと巻き添えみたいな感じかも~」
そんなふたりの少し前を、陽菜と彩華が並んで歩いていた。
ふと、陽菜が彩華に声をかける。
「ねぇ、彩華ってさ。化粧水、なにつかってるの?」
彩華が自慢げに答える。
「エスティの、マイクロエッセンス……」
「まじ……?」
陽菜が驚いて、うな垂れた。
ドラッグストアで特価品を買いあさっている陽菜にとっては、メンタル完敗である。
「ねぇ……今度、ちょっと貸してよ」
「泊まりに来たら考えてあげる」
そんな二人のやりとりを、蓮とエレナは少し距離を置いて歩きながら聞いていた。
蓮がため息交じりにぼやく。
「……ってかさ、なんであの映画だったんだよ? エレナ、あれ楽しいか?」
エレナは手を後ろに組みながら、小さく首をかしげる。
「んーん、よくわかんない。でも、陽菜が楽しければ、それだけでわたしは楽しいんだよ」
「なるほどね~」
蓮はふっと笑って、頷いた。
「でも今日は、陽菜、彩華に取られちゃったね~」
「まったくだよ。……まぁ、仲良さそうでよかったけどな」
「だね~」
ふたりは、少しだけ歩調を緩めながら会話する。
あの時、彩華にエレナのことを話してよかったのか──正直、まだ迷いはある。
けれど今は、少しだけ違う。彩華もきっと、陽菜とエレナの力になってくれる。
そんな予感が、胸のどこかにあった。
……と、その時だった。
突然、怒鳴り声が響いた。
「ケチが! いらねーんならくれたっていいじゃねーか!」
「だーれがやるか! 人にモノねだる態度じゃねーだろが!」
「テメーが“中の下”とか言うからだろーが!」
「事実なんだからしゃーねーだろ! このボケッ!」
再び、陽菜と彩華の口げんかが始まっていた。
蓮とエレナは、顔を見合わせて、同時に大きくため息をついた。
そんなこんなで、気づけばもう夕方を過ぎていた。
「晩飯でも食って帰るか」
蓮がそう提案した、そのときだった。彩華のスマホが、ブルッと小さく震える。
彩華がちらっと画面を見た瞬間、ニヤニヤとした顔になった。
陽菜と蓮は、同時に直感した。
「彼氏?」
陽菜が訊くと、彩華はときめきまじりに言った。
「うん。会いたいってさ。やっぱ、あたしがいないとダメなんだよ、アイツ~」
陽菜が安堵して言う。
「じゃー早く会ってきなよ。ウチ、ようやく蓮とデートできるし」
その言葉に、彩華は目を丸くした。
「え? ちょ、マジ? あたし一人で会いに行くのかよ~?」
陽菜がきっぱりと言い返す。
「彼氏なんだから、当たり前だろ」
だが、彩華は口をとがらせ、思いっきり情に訴えかけた。
「マジで……別れ話だったらどうすんだよ~?」
「なぁ~頼むよ~、ダチだろ~!!」
陽菜はジト目になる。
隣で蓮が頭を押さえ、エレナは苦笑いを浮かべている。
そして三人、揃って──
「……はぁ」
息ぴったりの、深いため息だった。
幸い、待ち合わせ場所はすぐ近くだった。
駅前ロータリーの一角。どうやら、喫煙所のあたりらしい。
それを確認するや否や、彩華は猛スピードで駆け出した。
ぴょこぴょこと跳ねるようにして、彼氏のもとへ飛び込んでいく。
──整った金髪のショートヘアに、切れ長のグレーの瞳。長身は一七五センチくらいでスマートな体型をしている。
たしかに、なかなかのイケメンだ。
それを見て、陽菜がぽつりと呟いた。
「まったく……まるで乙女じゃねーか」
するとエレナが、すかさず微笑みながら返す。
「うんうん。……誰かさんと一緒だね~」
「うるさいな」
軽く照れたように返す陽菜の横で、蓮が言った。
「ま、これで一件落着だな。行こうか、陽菜、エレナ」
「……そうだね」
ふたりが歩き出そうとした、そのときだった。
彩華が彼氏を連れて、なぜかこちらに戻ってきた。
そして──なぜか、紹介が始まった。
蓮のことは知っているらしく、彼氏は軽く会釈をして挨拶を交わす。
「ほら、この子が陽菜。で、こっちは……エレナ」
彩華がそう言ったが、当然ながら彼氏にエレナの姿は見えていない。
少し困惑した顔で、彼が陽菜に声をかける。
「始めまして、オレ、牧瀬竜司って言いまっす!」
「君が陽菜さんか。彩華から、よく話は聞いてるよ。……いい友達ができたって」
竜司のその言葉に、彩華はほんの少し照れたように、陽菜から目をそらした。
陽菜は、そんな彩華をジト目で怪しむように睨んだ。
けれど、心の中ではさっきのやり取りが静かに重なっていた。
(ダチ、か……そうかもだね)
陽菜は、ほんの少しだけ微笑んだ。
優しく、あたたかく。
そんな余韻に包まれた瞬間だった。背後から、声がかかる。
「……陽菜?」
その声に振り返ると、そこにいたのは梨紗だった。
陽菜は笑顔を浮かべると、梨紗も笑顔で挨拶を返す。
だが、その隣に立つ蓮の姿を見た瞬間、表情が一変した。
さらに、陽菜のすぐ前には、彩華がいる。
「……なんで?」
梨紗がぽつりと、低い声で呟いた。
陽菜はきょとんとした顔で首をかしげる。
「え?」
「北川先輩はいいよ。男女だし、カレカノっぽいし……でも」
梨紗の視線が、彩華を鋭く刺す。
拳を、ぎゅっと握りしめた。
「なんで、コイツと一緒なの……?」
陽菜は慌てたように言う。
「梨紗、どうしたの……?」
けれど梨紗は止まらない。
「なんで……! なんで一緒なの!? どういう関係なの!? 私は!? どうして隠してたの!?」
その声は、まるで嫉妬心そのものだった──。




