第42話:学園祭 -エピローグ-
あれこれしているうちに、いつの間にか舞台の開演時間が迫っていた。
陽菜と梨紗は、慌てるように、メイド服から着替えて体育館へ向かう。
陽菜の役は”主人公の友人A”。出番は物語の終盤までほとんどなく、梨紗と同じタイミングで舞台に上がることになっている。
結局、神村は演劇部への参加を取りやめた。
そもそも本人も、なぜ参加したいと思ったのか、よく覚えていないらしい。
どうやらスプリガンに操られていたことが原因のようだ。それに、蓮の前で下着を脱いだことも、記憶があいまいなままらしい。
あんな出来事は、覚えていないほうが幸せだろう。
だから本人にとっては、記憶が“あいまい”なままの状態が、一番ちょうどよいのかもしれない。
舞台袖に立つ陽菜と梨紗は、ざわめく客席の声を背に感じながらも、互いに軽く目を合わせて小さく頷いた。
「もうすぐだね……」
梨紗が小声で呟く。陽菜は頷きながら、深呼吸を一つ。
これまでの学園祭の賑わいが遠く感じられるほど、舞台袖の空気は静かで張り詰めている。
やがて、ナレーションが始まり、舞台が動き出す。
陽菜は友人Aとして登場するタイミングを待ちつつ、セリフや動作を心の中で反芻する。
主人公と妖精の出会いが始まり、物語は後半まで来た。
「いよいよ……ラストだね」
エレナがそっと袖の端から応援する。陽菜は微笑み返し、心を引き締めた。
──その妖精の存在が消えてから十年後……。
午後の柔らかな陽射しが、窓から差し込み、部屋の隅々を優しく照らしている。
新しく生まれた命を抱きながら、彼女は静かに息を吐いた。
ナレーションが静かに響く。
< 私ね……もう”ウチ”とも言わなくなったんだよ……>
いよいよ出番だ。主人公役の生徒がセリフを口にした瞬間、陽菜と梨紗はスポットライトに向かって一歩を踏み出す。
陽菜は役になりきって、声を落ち着かせながらセリフを紡いだ。
「大丈夫、彼女はきっと帰ってくる」
主人公役の生徒が短く頷く。
「そうだね……」
そして、舞台の中で陽菜の心を揺さぶる言葉が続いた。
< エレナへ……わたしね、赤ちゃんが生まれたんだよ……>
< 会いたいよ……会って、赤ちゃん見せてあげたい……>
その瞬間、陽菜の胸に言葉が深く突き刺さる。
舞台のセリフを自分事に感じてしまったのだ。
(もし、これが本当にエレナがいなくなったら……)
思わずそんな想いが心をよぎる。舞台の上の物語と、自分の胸の中の感情の境界が曖昧になった。
(また昔のように抱きしめてほしい。)
(頭をなでなでして、鼻息をフンっと鳴らしてほしい……)
そんなことまで自然に考えてしまう自分に気づく。
そして、こらえきれずに、ひと粒の涙がそっと頬を伝った。
その直後、
「陽菜……」
耳に届いた声に、陽菜は反射的に心が跳ねた。
(エレナの声だ!!)
なんと、エレナが勢いよく陽菜の顔に抱きついてきたのだ。
「陽菜と離れたくないよ~!」
泣きながら抱きつくエレナ。どうやら、彼女も演技を自分事のように感じてしまったらしい。
しかし、陽菜はすぐに現実に引き戻された。
「エレナ!ちょ、これ!舞台だから……っつーか、前見えねーし!!」
慌てて陽菜はエレナを顔面から引き離す。
だが今度は、陽菜の腕に抱きつき、スリスリしながら泣き続けた。
「陽菜~、いやだよぉ~」
観客席は真剣な眼差しで舞台に見入っており、このハプニングには気づいていなかった。
ただ一部だけ……
それは、蓮と沙耶と彩華だった。彩華はニヤニヤと指をさし、こっそり笑っている。
蓮と沙耶は、頭を抱えてうんざりしたように目を伏せていた。
(クソーー、むかつく!!)
陽菜の胸の中でイライラが募るが、ここで暴れるわけにはいかない。
深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
そんなことを考えているうちに、やっとのことで、舞台は無事に終了した。
陽菜は袖に下がると、ほっと小さく息を漏らす。
「お疲れ様」
梨紗がにっこり笑って陽菜に声をかける。
「おつかれ!!」
陽菜も元気よく返すと、ふたりは自然にハイタッチした。
舞台の緊張が一気にほぐれ、笑顔が弾ける。
エレナは泣き止み、ふたりの姿を後ろで手を組んで微笑んでいた。
──こうして、学園祭は無事に幕を閉じた。
片づけを終えた陽菜は、梨紗と別れる。
「こんど、私の家で打ち上げやろーよ!」
「わかった、楽しみにしてるよ」
陽菜は笑顔で頷き、梨紗と別れた。
帰り道、蓮と沙耶が陽菜を待っていたかのように立っていた。
二人を見た陽菜は軽く肩を叩き、明るく声をかけた。
「ほぃ!蓮、沙耶さん!! おつかれさま」
「うんうん、二人とも、おつかれさまだね~」
エレナもにこやかに声をかける。
「陽菜とエレナも、おつかれー」
蓮が笑顔で返し、沙耶も柔らかく頷く。
「陽菜ちゃんも、エレナちゃんもご苦労様!」
陽菜は少し気を抜きつつ、二人に演技の自己評価を聞いてみた。
「蓮、沙耶さん。ウチの演技、何点だったかな?」
蓮は即答する。
「はっきり言うと、二十点だな」
「あら。私は、七十点だったわよ」
沙耶は唇に笑みを浮かべながら言い添える。
「なかなか、楽しかったわよ。特に後半は……」
そう言うと、沙耶がクスクスと笑った。
蓮も笑いをこらえきれずに続ける。
「まさか、あそこでエレナが顔面に抱き着くとはな。あれは草生えたわ!!」
「えへへへ~」
エレナは舌をペロッと出して、頭をかきながら照れ笑いした。
「はぁ、マジかよ」
陽菜はむくれ顔を見せるが、蓮はすぐに声色を和らげた。
「でもストーリーはよかったぞ、なぁエレナ? さすがに参加しただけのことはある」
そう言うと、エレナは腰に手を当てて、得意げにふんって鼻を鳴らした。
沙耶がふと思い出したように口を開く。
「そういえば、さっきまで彩華ちゃんも一緒だったんだけど、急にご家族に呼ばれたみたいで……」
「本当は、陽菜の前で大笑いしてやろうと思ってたらしいぞ」
蓮が補足すると、陽菜はわずかに焦った顔をする。
「それは……ある意味よかったかも。今日はガチでクタクタで戦えん」
その言葉に、蓮も沙耶もエレナも、つられるように大笑いした。
「じゃっ! 私はそろそろいくね。あとは仲良くね」
沙耶がそう言うと、陽菜は少し照れくさそうに応えた。
「沙耶さん、今日はありがとうございました!」
エレナも沙耶にお礼を言う。
「沙耶さん、ありがとう!!」
「こちらこそ、楽しかったわ。またね」
沙耶は軽くお辞儀をし、笑顔のまま歩いていった。
歩きながら、三人は近くの公園までやってきた。
公園には、人気の気配はまったくない。三人はその静かな場所に足を踏み入れた。
「でもさ……正直、エレナがいなくなるなんて話し……舞台の中だけでよかったと思っちまったよ」
陽菜がぽつりと呟く。
「うん……」
蓮も小さく頷いた。
その言葉を聞いたエレナの目がうるうると潤む。
「陽菜、蓮、いい子だね~」
そう言うと、エレナはふたりの頭を交互になでなでする。
陽菜と蓮も負けじと、エレナの頭をそっと撫で返した。
不意に、蓮が照れくさそうに口を開く。
「……その……お前のメイド姿、マジで可愛かった」
「はぁ!? それ普段は可愛くねぇってこと!?」
陽菜がすかさずツッコミを入れる。
慌てて蓮は否定するが、耳まで赤くなっていた。
「ち、ちげーよ! だって……手握られたりしてただろ……」
陽菜はふと蓮の方を見上げて、いたずらっぽく笑う。
「あ!嫉妬か!!、じゃー、蓮にだけ特別に……」
「蓮、ちょっとしゃがんで」
戸惑いながらも蓮が腰を落とすと、陽菜は胸の前でハートを作り、声を弾ませた。
「萌え萌え……チュッ!」
その言葉と同時に、陽菜は目を閉じ、そっと唇を重ねた。
驚いた蓮は一瞬固まるが、すぐに陽菜を抱き寄せ、優しく応える。
それを見ていたエレナは、慌てて手で顔を覆い、指の隙間からそっと覗き込む。
やがて、陽菜は蓮の胸元に顔を寄せる。
「しばらく、このままで居させて」
蓮は何も言わず、その願いを受け止めた。
三人の影は夕陽に溶け、穏やかなひとときが過ぎていく。
陽菜とエレナ、そして蓮の小さな冒険は、この先もまだまだ続いていく──
──ハズだった。
その夜の就寝前。陽菜のスマホに届いたのは、彩華からの予期せぬメッセージだった。
< あたしの家、弓削家の継ぎなんだけど >
< おばあちゃんが占術使ったら、九尾が動き出しそうだって >
< これ! ガチだから注意!! >
画面を見つめる陽菜とエレナの胸は、ワクワクと不安が入り混じってざわついた。
どうやら、この先の冒険はこれまで以上に大きく、予想もつかない展開になりそうだった──。




