第37話:演劇部に臨時で雇われました①
夏休みが終わって、ついに始業式の朝がやってきた。
陽菜の胸には重たいブルーな気持ちがずっしりとのしかかっている。
「早く起きないと、初日から遅刻だよー」
エレナの声が耳元で優しく響くけれど、気だるさはどうにも拭えなかった。
「学校行きたくねーー」
枕に顔を押しつけたまま本音がぽろりと漏れる。
夏休みの解放感がすっかり体に染みついてしまっているせいで、現実への復帰は重労働に近い。
「はいはい、夏休みロスね~」
エレナがくすくす笑いながら、布団の端を引っ張る。
「ロスっていうか、まだ夏休みが体にしみついてんだよ。……あと五日くらい延長してくれないかな」
「そんなこと言って、蓮くんに会えなくてもいいの?」
「……それは……うーん、でも宿題チェックはイヤ」
そんなやりとりをしつつも、渋々制服に着替え、鏡の前で髪を整える。
蒸し暑さを忘れさせてくれる携帯扇風機を握りしめながら、通学路を歩く陽菜の表情はどこか遠くを見ていた。
そんなとき、不意に背後から明るい声が飛んできた。
「おはよー!」
「おはよ!」
振り向けば、梨紗と香澄が笑顔で手を振っている。
陽菜も笑顔を返し、三人は少しずつ近づいた距離のまま、校門を一緒にくぐっていった。
昼休み。
学校の購買でパンを買った陽菜は、いつものようにエレナと一緒に、校舎裏の芝生でまったりとした時間を過ごしていた。
ふと、エレナが口を開く。
「今年の夏休みは、いっぱいいろんなことがあったねー」
陽菜も笑顔で応じた。
「いろいろあったなー。美佳さんにも会ったしね」
エレナがにこにこと言う。
「うんうん!そして何より蓮だよ!!」
エレナが勢いよく続ける。
「マジ、それ!めっちゃ言えてるな!!」
陽菜も笑顔で返す。あれからも蓮とはデートしたり順調に続いている。
ただ、なかなか予算の都合もあり、遠出までは行けていない。
(そうだ、こんど映画でも一緒に行こうかな……)
そんなことを陽菜が考えながら、ぽつりと呟いた。
「あ~、夏休み。バイトしてけばよかったな~」
「えー? なんで?」
エレナが首をかしげる。
「そりゃあ、お金あればもっと遊べたし、遠くにも行けたじゃん」
エレナは少し寂しそうに眉を下げた。
「お仕事って、邪魔しちゃいけないんでしょ?そのあいだ、陽菜と離れ離れになっちゃうの?」
陽菜はにやりと笑って言う。
「じゃあ、エレナも手伝ってくれればいいじゃん」
「ほんと!? やるやる!」
エレナはぱっと顔を輝かせたが、何かを思い出したように小さく声を漏らした。
「そういえば……」
彼女は少し視線を落とし、ぽつりと付け加える。
「美佳さん、どうしてるかな~、今日も独りぼっちなのかな~?」
その言葉に、陽菜は一瞬考え込むような表情を見せた。
「……いまも、あそこにいるのかな」
言葉が途切れたちょうどそのとき、背後から軽やかな足音が近づく。
振り向けば、梨紗と香澄がそろってこちらへやってきた。
「陽菜、吉報だよ!」
香澄のその言葉に、陽菜はイヤな予感が走った。
なぜなら、ふたりが放つ“吉報”はろくなことがないのだ。
ジト目でふたりを睨みつける陽菜。
「なに?吉報って……。嫌な予感しかしないんだけど……」
しかし、ふたりは満面の笑顔を向けていた。
陽菜とエレナ、そして梨紗は放課後の教室にいた。
他にも何人かの生徒がいる。ここは演劇部の部室だ。放課後は演劇部としてこの教室が使われているらしい。
「なんで……ウチなんだよぉ!!」
それは陽菜の悲痛な叫びだった。
理由はこうだ。
文化祭で演劇を披露するのだが、部員が足りていない。
そこで、この部の誰かが臨時の部員募集を同級生の香澄に相談したところ、白羽の矢が陽菜に立ったのだ。
なにせ陽菜は、どこの部活にも所属していない“帰宅部”だ。
梨紗も”陽菜が出るなら参加する”と言っていたらしい。
足りない人数を補うには、陽菜の参加が必須だったのだ。
その話を聞いたエレナは大喜びした。
「陽菜!! すごいよ!! 女優さんだぁ~」
「陽菜、かわいいからきっと主役できるよ!!」
そんな言葉を言いながら、目までギラギラと輝いている。
「完全にはめられた……」
陽菜はボソボソと呟く。
その隣で梨紗は笑顔で陽菜を見つめていた。
エレナは言うまでもなく大喜び。
まるで自分が主人公かのように、ワクワクが止まらない様子だった。
演目は”ロミオとジュリエット”らしい。
「あ~、鉄板だな……」
「つーか、ウチは名前以外、ストーリー知らんけど」
陽菜は教室の机に縦ひじをつきながら、興味なさそうに呟いた。
ロミオとジュリエット以外の演目も、部ではシナリオ募集をしているらしい。
すると突然、梨紗が口を開いた。
「ほかのシナリオのほうがいいと思うよ。陽菜はストーリー作るの得意なんだから」
その言葉に、部員たちの視線が一斉に陽菜に注がれた。
「えええ!! マジ!?」
陽菜は思わず驚きの声をあげて、姿勢を正してしまった。
そのとき、陽菜はふと一人の女子生徒の視線を感じ取った。紫がかった黒の五色がぼんやりと見える。
その女性は、黒髪のセミロングでメガネをかけた生徒だった。
エレナも同時にそれに気づいた。
陽菜は小さく声を潜めて呟く。
「エレナ……」
それを聞いたエレナが静かに答えた。
「うん。簡単には主演女優にさせてくれなさそうだね……」
陽菜は思わず返す。
「うん……って、ちょ、そっちかよ! うぉい!!」
陽菜のツッコミに、エレナは思わずゲラゲラと笑い出した──。




