第36話:思春期はつらいよ②
(うぅぅぅぅ~、……ガチでデスりそう……)
それは陽菜の心のぼやき。
康太と悠真は、浮き輪をつけて海の上でぷかぷかと漂っていた。
その隣で、エレナも悠真の浮き輪に体をあずけながら、気持ちよさそうに浮かんでいる。
波に揺られながら、時折、康太と何かを話しては、ふたりで静かに笑っていた。
もしかしたら、昔のことでも思い出していたのかもしれない。
一方、砂浜では、陽菜と結衣が、パラソルの中で並んで座っていた。
……いや、座っているだけなのに、空気が重い。
陽菜はごそごそと周囲を見回していた。目で探しているのは、美佳だった。
美佳に泣きついて、逃亡したい。
だが、非情にも美佳の姿は見えなかった。
隣では、結衣がニヤニヤしていた。言うまでもなく質問攻めだ。
「で、いつから付き合ってるの?」
「キスはどっちから? いつしたの?」
「そもそもさぁ、馴れ初めってどうなってんの?」
陽菜の顔から、みるみる色が消えていく。
(よりによって、なぜこうなった……どこで人生間違えたんだ!?)
(ガチで、心臓抉られてる……ッ!)
陽菜の心の叫びをよそに、結衣はニヤニヤしながら聞いてくる。
当然、結衣は陽菜の心境を熟知している。わかった上で、わざと聞いてくるのだ。
そのとき、結衣から強烈な一撃が放たれた。
「で、もう……したの?」
──思考停止。
陽菜の顔と耳が、一瞬で茹でダコ状態に。
焼けた砂浜より熱い。まるで日焼けどころか、全身を炎で炙られたかのような赤さだ。
「し、し、してないわ!! ま、まだっ……!!」
声は裏返り、語尾は吹っ飛ぶ。
穴があったら飛び込んで、自分ごと埋めたい。いや、もう地中深くに埋設してほしい気分だった。
結衣は、まるで乙女のように両手で口元をおさえ、ぷぷっと嬉しそうにニヤけた。
(この母親……ッ!!)
陽菜の中で叫びが爆発する。
これはもう、生き地獄。まるで、渋谷のスクランブル交差点を裸で歩かされたような羞恥感。
一瞬で、全てがさらけ出されたような感覚だった。
そして結衣は、ついにトドメを刺した。
「そうだろうね~♪」
そう言って、結衣は自分のバッグの中からそっと、小さな箱を取り出した。
それは──
「ちょ、お母さん!? な、なにそれ……!?」
ニタァ……と笑みを浮かべながら、それを陽菜の視界に入れてくる。
そう、それは。
沙耶からもらった、あの避妊具だった。
「いやぁぁぁぁあああああっ!!!」
陽菜は砂浜で、”ムンクの叫び”のように絶叫した。
天地がひっくり返るほどの衝撃。
まるで世界の終わりが、自分ひとりにだけ訪れたかのような表情だった。
「ちょ、なんでウチのバッグ見たんだよ!? エグッ……マジ無理、ありえんからッ!!」
息も絶え絶えに叫ぶ陽菜を、結衣がやんわり制止し真面目に答えた。
「別に見てないわよ。あんた、バッグ開けっぱなしだったでしょ。見せる気なくても、丸見えだったわよ」
「お父ちゃんに見つかったら、ショック死しかねないから……」
「お母さんが、ちゃんと隠しておいたの」
陽菜はその場で、魂が抜けかけていた。
結衣は優しく微笑むと、陽菜の手のひらにそっと箱を乗せた。
「まだビニール開けてないから、未使用なのはわかってるわよ」
陽菜は、無言のままフリーズしていた。
「いい? 絶対これを使うこと。ちゃんと蓮くんにも伝えるんだよ?」
結衣の声は、なぜか優しかった。その優しさが、むしろ心にざっくりと刺さる。
「それからね、女はムードが大事だからね。その気にさせてもらわないと」
陽菜は、全身から湯気が立ちそうな勢いで真っ赤になり、その場に崩れ落ちそうになった。
(……生き地獄だ。これもう、生き地獄だ……)
どこまでも走って逃げたい。陽菜はそんな気分だった。
「ほら、早くしまいなさい。見つかったら本当に大変よ?」
結衣が微笑みながら忠告すると、陽菜は反射的に動いた。
光より速いと言っても過言ではないスピードで、その小さな箱をバッグに押し込み、ファスナーを閉じた。
結衣は海風に髪をなびかせながら、小さく笑っていた。
それは、ただのからかいではなかった。
からかいの裏には、自分の過去と、今の娘を重ねる想いがあった。
恋に夢中で、康太のことで頭がいっぱいで、不安になったり舞い上がったりしていた、あの頃。
そんな“青春”が、今、娘の中に確かに芽吹いているのを感じていた。
陽菜の真っ赤な顔と、バッグを両手で抱きしめる姿を横目に見ながら、結衣はそっと目を細めた。
それは、母親としてのちょっとした感慨だった。
そして愛情だった。
海水浴を終えた佐藤家の車は、ゆるやかに動き出していた。
後部座席では、悠真がぐっすりと眠り込んでいる。エレナは静かにその頭を撫でていた。
車がゆるやかに進むなか、陽菜の目が止まった。昨日、美佳と話したベンチがある見晴らし台。
その場所に、美佳の姿があった。
「エレナ……あそこ……」
陽菜が小声で呟くと、エレナもそちらに目を向けた。
そして、美佳もふたりに気づいたのか、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
微笑んで、ふたりに手を振る。
「こんど、遊びに来てくださーいっ!!」
「また、会おうねーっ!!」
美佳は黙って頷きながら、静かに手を振り返してくれた。
やがて車は見晴らし台から離れ、道路のカーブを抜けて走り去っていく。
美佳の姿も、ゆっくりと視界の端から消えていった。
運転席の康太と助手席の結衣は、何も言わなかった。ふたりには、美佳の姿は見えていない。
けれど、後ろで窓を開けて叫んでいた陽菜とエレナの様子を見て──
──きっと、なにかが見えてるんだろうな
そんなふうに、なんとなく感じていた──。




