第35話:思春期はつらいよ①
翌朝、旅館の客室。
父・康太と弟・悠真は、荷物をまとめながら海水浴の準備を進めていた。
悠真も、エレナも、今日も目一杯海で遊ぶ気満々らしい。悠真はわくわくした様子で浮き輪をふくらませている。
そんななか──
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
突如、陽菜の絶叫が部屋中に響き渡った。
彼女はスマホを睨みつけたまま固まっている。昨夕、蓮から”着いたら連絡して”と言っておきながら、陽菜は疲れて返事もせずに寝落ちしてしまっていた。
しかし、それだけなら特に問題はなかった。
蓮もそれを察してくれたのか、むしろ心配する優しいメッセージを送ってくれていたのだ。
<いま着いたぞ! いえい>
<寝たか?>
<疲れただろ。サンキュな、ゆっくり寝ろ。おやすみ >
スタンプや、絵文字も駆使しており、このあたりまでは、むしろ陽菜を安心させる内容だった。
──だが、問題はその後の追加メッセージだった。
<おい! どうなってるんだ!>
<電話お母さんやんけ!!>
陽菜はスマホを取り落としそうになり、顔面が一瞬で青ざめた。
すぐ横にいたエレナも画面を覗き込み、同じく血の気が引いていく。
「あわわわわわ……」
言葉にならない小声を漏らすエレナ。
そのとき、ふたりの視線が同時に向いた先に、陽菜の母・結衣がいた。
結衣は部屋の端っこで、座ってニヤニヤと陽菜たちを見ている。
何かを確信したようなその笑みに、陽菜もエレナも背筋が凍った。
エレナが囁いた。
「結衣は私が阻止するから、陽菜は蓮に至急状況確認を」
陽菜が半ばパニックになりながらもそれに頷いた。
「わ、わかった! フォーメーションBで! エレナ、デスるなよ!」
そんな作戦など本当は存在しないが、何か言わないと心が折れそうだった。
「うんっ!!」
エレナも意味を理解した風に頷くと、陽菜は部屋を飛び出した。
「ちょ、トイレ!!」
「おいおい、トイレなら部屋にあるだろ?」
康太が呑気に声をかけてきたが、陽菜は完全に無視して廊下に飛び出していった。
陽菜を追いかけるように、結衣もニヤニヤを止めないまま立ち上がる。
その気配を察したエレナは、部屋の入口で結衣の前に立ちふさがった。
しかし──
結衣のその顔は、まるで閻魔大王のように不気味に微笑んでいる。
恐怖に膝が震えたエレナは、情けない悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
その背後で、テレビからは、那須上空に現れた“謎の飛行物体”の映像が、繰り返し流れていた。
政府は”小型隕石”と説明していたが、スタジオのコメンテーターたちは根拠のない憶測を競うように並べ立てていた。
──そのころ、陽菜は共用トイレに飛び込み、すぐにスマホで蓮に通話をかけた。
メッセージだけでは状況が把握できなかったからだ。
幸い、トイレには誰もいなかった。
「な……なにがあったんだよ!!」
陽菜は半泣きの声で叫んだ。
「いや、やっべーって! 返信ねーから、ちと心配になって電話かけたんだよ!そしたら出たから安心しちまって……」
受話口から聞こえる蓮の声も、完全にテンパっていた。
「てっきりお前だと思ったんだよ! 会話してたら……お母さんだった!!」
蓮も慌てた声を返してきた。その瞬間──
「……あら」
共用トイレの入口のドアが、ゆっくりと音もなく開いた。
とんでもなく間の悪いタイミングで、ひょっこりと顔を覗かせる結衣だった。
その表情はニヤニヤしているが、陽菜の視点では完全にホラー映画レベルだ。
「どうした! 大丈夫か!?」
スマホの向こうで心配する蓮の声が聞こえていたが、陽菜にはもはや届いていなかった。
「あとで……かけなおす」
陽菜はそう言うと、蓮との通話を一方的に切った。
結衣はその場で嬉しそうに笑みを浮かべ、ニヤニヤしながら言った。
「ちゅーしたんだって~? 一緒に帰ろうとしたんだって~? 家に帰ってふたりで何するつもりだったの~? ククク……」
結衣は手を口に当て、まるで小悪魔のように笑っている。
その顔には、娘の反応をじっくり味わおうという余裕すら感じられる。
「ん、ん、んなことねーんだったっんだっっすわ!!」
陽菜は苦し紛れに叫んだ。だが、言葉がうまく出ず、意味不明な主張になってしまう。
動揺を隠しきれないその様子に、結衣はさらに笑みを深めた。
「蓮くん、お母さんのこと陽菜だと思ってみたい~。お母さんもまだまだイケるってことかしらね~?」
結衣は自分に酔ったように嬉しそうに言い、左手を頬に当ててうっとりとした表情を見せた。
ふと見ると、右手には、エレナが目をグルグル回してぶら下がっていた。
完全に戦力を失い、片手で首根っこを掴まれた子猫のようなその姿に、陽菜は思わず声にならない悲鳴を漏らした。
「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
陽菜は怯えながらも、なんとか反撃を試みようとする。
「ひ、人のスマホいじるなんて、プライバシー侵害だし、コンプラ違反だ!!」
だが結衣は、痛くもかゆくもなさそうに、ニヤニヤしながら言った。
「スマホ代、自分で払う?」
返す言葉がなかった。
そして何より、この場から一刻も早く逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
結衣は小さくため息をつきながら呟いた。
「お父ちゃんがこの話を知ったら、きっと石になっちゃうわねぇ……」
「でも黙っててあげる。その代わり……」
「二学期の成績、トップ10入りね?」
そう言うと、結衣は満足げにトイレのドアを閉めた。
陽菜はその場にへたり込み、心底安堵した。が、再びドアがゆっくり開き、結衣が顔を覗かせる。
「子供は、二十歳過ぎてから作るのよ♪」
陽菜は自分の人生における最大の汚点を作ってしまったことを悟った。
「うわぁぁぁ!! デスったー!!!」
よりによって、一番知られたくなかった家族に──。




