第34話:海を見つめる女性③
駅へと続く道を、陽菜、蓮、エレナの三人は並んで歩いていた。
蓮を見送るためだ。
「合宿所って近いん?」
陽菜が何気なく尋ねる。
すると、蓮が軽く横に首を振って答えた。
「いや、合宿は今日で終わった。朝に解散して、そのままここに来たんだ」
「はぁ!? じゃあ……家から直で来たの!?」
陽菜の声が思わず一段上がる。
「今日までって、朝までだったのか……マジか。あ~、やっちまった~」
蓮は頭をかきながら、やれやれとため息をついた。
「なんで“やっちまった”なんだよ」
すると、陽菜は両手を後ろで組み、いたずらっぽく蓮を見上げながら言った。
少しの沈黙のあと、ぽつりとつぶやく。
「……じゃあ、ウチも帰ろうかな。そしたらウチんち来る?」
「もち、だれもいないよ?」
そう言う陽菜の言葉に、蓮の心臓がドクンと跳ねた。
つぶらな瞳が、妙にかわいく見えてしまう。
その空気を読んだエレナが、すかさず割り込んだ。
「あ、それなら、あたしは悠真たちと帰るから大丈夫だよ~」
蓮は数秒間、謎の葛藤と全力で格闘したのち、ようやく口を開く。
「……その格好じゃ、帰りにくいだろ。それに……」
言葉を選びながら、目をそらさずに続けた。
「うまく言えないけど……親孝行は、できるうちにしておけって」
「それに、エレナだって危険だろ。なにか起きるかもだし」
陽菜は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに柔らかく頷いた。
「……うん」
──それは、親を亡くした蓮だからこそ出てきた言葉。親から見れば、家族旅行も親孝行の一つなのかもしれない。
その一言に、蓮のやさしさが、深くにじんでいた。
気がつけば、もう駅に着いていた。その道のりは、驚くほど短く感じられた。
ふと陽菜が、静かにもう一度口を開いた。
「……ねぇ。つーか、なんで来たんだよ?」
蓮は少しだけ言葉に詰まりながらも、はっきりと答えた。
「俺は、お前を守るって言っただろ? それに……」
少しだけ言い淀んでから、続ける。
「あの事件のあと、ほかの男にも告られてるんだろ? だから……その……」
陽菜がすかさずニヤついて言った。
「あ~、ジェラシーか! ウチが誰かに取られるとでも思ったか~?」
得意げなその顔に、蓮の眉がぴくりと動いた。
「……あったりめーだろ! この間の公園の件もあったし!」
蓮はやや本気でムッとしながら、続けた。
「エレナだってそう思うよな!?」
エレナは笑いをこらえきれず、くすくすと笑って答えた。
「うんうん。蓮って、ほんっと心配性~」
蓮が声を荒げる。
「そりゃ~、心配するだろがっ!」
その言葉に、陽菜はふっと微笑んだ。
そして、ぽんっと蓮の肩を軽く叩く。
「よしっ。約束もしてたし、今度するか!」
「ちゃんと時間作ってしよう!!」
蓮が言う。
「おう、約束だぞ!!」
陽菜も力強く応える。
「痛くするなよ。やさしくだぞ!!」
そろそろ電車の時間が迫っていた。
東京に比べて電車の間隔はずっと長いはずなのに、やけに早く感じてしまう。
まるで、この時間だけが特別に早く進んでいるみたいだった。
そんなとき、不意に陽菜が声をかける。
「……蓮?」
蓮が振り返ると、陽菜とエレナが顔を寄せ合って、そっと微笑んでいた。
カシャッ。
スマホのシャッター音が響く。
画面には、陽菜、エレナ、そして蓮が映った日常のようなワンシーンが映る。
「おいおい、俺だけ写りひどくないか? めちゃくちゃだぜ、これ!」
陽菜が肩を揺らして笑った。
「確かに、草生えるわ~!」
「だから、取り直してくれって!」
だが、陽菜はゆっくりと首を振った。
「んーん、これでいいのっ」
スマホをバッグにしまいながら、優しく続ける。
「あとで画像、送っとくからね」
そして、少しだけ声のトーンを変えて──
「蓮、着いたら連絡ちょうだい。……それとね」
「安全に帰れるように、おまじない」
そう言って、陽菜はそっと背伸びして、蓮にキスをした。
ふたりは列車が来るまで、長い時間抱きしめ合い、唇を重ね続けた。
すぐ隣で、エレナが両手で目を覆いながら叫んだ。
「きゃーーー!」
でも、陽菜と蓮はその声にも、エレナの存在にも気づかないふりをした。
いまこの瞬間は、ふたりだけのものだった。
キスが終わると、陽菜は蓮の胸に顔を寄せて、そっとささやいた。
「ウチを取られんように、ちゃんと見張っとかないとダメだぞ」
そうこうしているうちに、電車がホームに滑り込んできた。
陽菜は改札の外から、ゆっくりと蓮を見送った。
蓮と別れたあと、陽菜はふたたび、さきほどの海辺に戻ってきていた。
波の音が静かに耳をくすぐる。隣にはエレナがいて、ふたりで並んで砂浜を眺めている。
──正直に言うと、少し寂しい。
蓮と別れたくなかった。できることなら、一緒に帰りたかった。
そんな未練が胸のどこかで、じんわりと残っていた。
小学校の頃に離れ離れになり、高校で再会した。それがただの偶然とは、とても思えない。
これが運命っていうヤツなのか──そんな気がしてならなかった。
「……あらあら、寂しそうな顔しちゃって」
不意にかけられた声に振り向くと、そこには美佳の姿があった。
「美佳さん……」
陽菜がそう呼ぶと、美佳はやさしく微笑みながら、砂の上に降りてくる。
「送ってきたのね。一緒に行きたかったって顔、してるわよ?」
陽菜は何も言わず、体育座りのまま、こくりと頷いた。
それを見て、美佳もふわりと笑い、隣に腰を下ろす。
しばらく、三人の間に静かな時間が流れた。
波の音だけが、穏やかに耳をくすぐる。
やがて陽菜が、ふと思ったように口をひらく。
「……美佳さんは、生前の想いや記憶、思い出したいって思うことありますか?」
美佳は少し驚いたように目を瞬かせ、それからゆっくりと答えた。
「どうかな……。たぶんね、肉体から魂が離れた瞬間に、想いと記憶が分かれてしまったみたいで。はっきりとしたことは、あまり思い出せないの」
その答えに、隣のエレナが明るい声で返す。
「さっきも言ったけど、陽菜とわたしの力なら、“想い”をちゃんと解き放ってあげられるの。そしたら、きっと記憶も戻ってくるよ」
「ふふ……エレナちゃんの言う通りだね」
美佳はやさしい目でエレナを見つめ、そっと目を細めた。
けれど、その表情はどこか満ち足りていた。
「でもね……正直に言うと、いまのままでも、そんなに悪くないのよ。なんていうか……生まれ変わったみたいな気分なの。肩の荷が下りて、心がすごく軽いの」
「そうなんですね……」
陽菜がつぶやくように言うと、美佳は小さく頷いた。
「断片的な記憶はあるの。たぶん、悪い人生ではなかったんだと思う。大切な誰かも、きっといた。でも、それを無理に思い出そうとは思わないの。今は……この“今”を、ちゃんと感じていたい」
夜の海風が、三人の髪をやさしく揺らした。
「だからね、陽菜ちゃん。あなたも、今の気持ちを大切にして。今の蓮くんが好きなら、精一杯好きにならないとね」
すると、美佳の身体がふわりと玉虫色の光に包まれた。
「……そうなの。一緒に居たいのね」
彼女がつぶやくように言うと、その手のひらに、淡く輝く宝玉のようなものが現れた。玉虫色のきらめきが、静かに脈打つ。
「この想いは……ふたりと一緒に居たいみたい」
そう言うと、美佳がそっと手を差し出した。
すると、宝玉はまるで意思を持つかのようにひとりでに浮かび上がり、ゆっくりと、迷いなくまっすぐ陽菜の胸元へと向かってきた。
驚きで目を見開いた陽菜の表情など気にも留めることなく、宝玉はまるで陽菜を選ぶかのように、そっと彼女の胸に吸い込まれていく。
その瞬間、陽菜とエレナの身体が柔らかな緑色の光に包まれた。
まるでふたりの心が同調し、穏やかに共鳴し合っているかのような、優しく輝く光だった。
陽菜がそっと美佳に尋ねた。
「いまの……なんだったんですか?」
「わからないの。私に同調して……いつのまにか、存在していたのよ」
──そういえば、あのとき。
この間、彩華の家を訪ねたとき、こんな話を聞いた。
“九尾の狐”は、玉虫色の光をまとう存在ともいわれた──と。
陽菜とエレナは、ふたり同時に同じ記憶を思い出していた。
エレナが振り向いて、言った。
「陽菜!」
「だね……ひょっとしたら!」
陽菜が力強くうなずく。
空にはもう、夕陽の残光が消えかけ、夜の帳が静かに降りてきていた。
エレナが空を見上げながら、ぽつりとつぶやく。
「そろそろ、お風呂入って……夕食の時間だね」
その言葉に、陽菜は立ち上がって、美佳に向かってぺこりと頭を下げた。
「今日は……すごく楽しかったです。ありがとうございました」
美佳は優しく微笑みながら、手を振った。
「うんうん。元気でね。声が聞きたくなったら、今度は陽菜ちゃんたちのところに遊びに行かせて」
「もちろんっす!!」
陽菜は満面の笑みを浮かべて答えた。
そのまま砂浜を軽やかに歩き出すと、エレナもふわりと宙に浮かび、そっと隣に並んだ。
陽菜がふいに腕を突き上げて叫んだ。
「よし、旅館メシいくぞっ!」
「飯テロだ、飯テロぉ~」
エレナも負けじと叫び返す。
背後で、美佳が小さく手を振って見送っている。
ふたりの声が夜空に跳ねて、旅館への道に笑い声が転がっていった──。




