第29話:九尾の狐伝説
三人は彩華の自宅に到着した。
思った以上に立派な家で、どこかお屋敷のような雰囲気すらある。
とはいえ、寺や神社といった宗教施設ではなく、あくまで“自宅”といった印象だ。
神仏を祀るにしては、建物の規模はやや小さい。
──ちょっと、想像とは違っていた。
「たぶん結界は問題ないと思うけど……入ってみて」
彩華の言葉に、陽菜が一歩、敷地に足を踏み入れる。
問題なく入れた。
だが、気がかりなのはエレナのほうだった。
もし結界が張られていたら、妖精であるエレナは入れない。
最悪、存在そのものが消えてしまうかもしれない。
……が、エレナはふつうに通り抜けてきた。
「ぜーんぜん、問題なーし!」
宙に浮かびながら、陽菜に向かってピースサインをキメるエレナ。
それを見て、陽菜は胸を撫で下ろした。
「ただいまー」
彩華が玄関を開けると、中から中年の男性が顔を出した。年のころは六十前後だろうか。おそらく彩華の父だろう。
陽菜は袈裟姿や僧侶のような風貌を想像していたが、出てきた人物は意外にもラフな部屋着姿だった。
(んー……大丈夫か? イメージと全然ちがう……)
陽菜は心の中で呟きつつも、その男性は温かい笑顔を見せてくれた。
「ようこそ。よく来てくれましたね」
「……あ、はい。お邪魔します」
「ふむ……なるほど、なるほど」
何かを納得したように頷き、家の中へと案内してくれる。
長い廊下を通り、三人は応接間へと通された。
彩華はそのまま着替えに向かって姿を消した。
応接間にはクラシカルなソファと古い棚が整然と並び、落ち着いた空気が漂っている。
彩華の父がソファに腰を下ろし、陽菜は正面に座った。エレナは浮いたままだ。
やがて、奥からお盆を手にした老婦人が現れた。おそらく彩華の祖母だろう。
落ち着いた所作で麦茶のグラスをテーブルに並べていく。
「お邪魔しております」
陽菜が頭を下げると、老婦人はにこやかに微笑んだ。
「いらっしゃい。暑い中よう来てくれたねぇ」
そう言って、今度はエレナのほうに視線を向ける。
「……なるほど。あんたが“妖精さん”かい」
エレナも丁寧に会釈する。
「こんにちは」
「エレナの姿が見えるんですね……」
陽菜がやや驚いたように言うと、彩華の父が頷いた。
「うちは代々、陰陽道を継いできた家系でね。そういう力を持つ者も少なくない。彩華も、その素養はあるよ」
「神仏習合の理解も深くてね。まぁ、ちょっと独自路線だけど」
──なるほど。以前、沙耶が言っていた通りだ。
そうしているうちに、着替えを済ませた彩華が戻ってきた。Tシャツにジーンズ系のショートパンツという、ラフな格好。
だがその姿はどこか洗練されており、見た目の良さが際立っている。
陽菜は顎に手をあてて唸る。
(んー……ムカつくけど、かわいいんだよな)
陽菜がそう思ったのを察したのか、彩華はにやりと笑みを浮かべてみせた。
(くぅぅぅ……むかつく!)
悔しさをぐっと飲み込んで、陽菜は本題を切り出した。
「ところで、今日はどうのような?」
すると、彩華の父がそっと目を閉じた。
「パパ、なにか見える?」
彩華がソファに座りながら問いかけると、しばし沈黙ののち、ゆっくりと口を開いた。
「……陽菜さんは“白”の五色。エレナさんは“白”、“青”、“黄”……」
陽菜には意味がよくわからなかったが、応接室に漂う麦茶の香りが妙に静寂を際立たせていた。
そのとき、彩華の祖母がふと口を開く。
「……ずいぶんと、強い想いを持っとるんじゃねぇ、あんた」
エレナはきょとんとする。
「え? ……わたし、ですか?」
彩華の祖母にも何かが見えているようだった。
すると、彩華の父が目をあけて説明を始めた。
「陰陽、そして仏教には“想い”に五色があるという考え方がある。青、黄、赤、白、黒……。その色は心の性質や傾きを示す」
「エレナさんは白、青、黄……と、三色を内に持っている。ときおり、それが“緑”に近い光を帯びることもあるようだね」
その言葉に陽菜が驚いた。
「緑……?そっか、青と黄は合わせれば緑か……」
彩華の父は頷いた。
「ここまで、複数の色を持ち合わせている”妖”はめずらしい」
その言葉に、陽菜がきっぱりと口を開いた。
「すみませんが、エレナは“妖”なんかじゃありません。大切な“家族”です」
思わず口調が強くなると、彩華の父と祖母はすぐに表情を和らげて頭を下げた。
「……これは失礼なことを申し上げました」
「お嬢ちゃん、ごめんなさいね。悪気はなかったんよ」
陽菜は、少しだけ後悔した感じになり謝罪した。
「いえ……こちらこそ、ついムキになってしまって。すみません」
すると、彩華の祖母が言葉を継いだ。
「一つ気になっていることがあるのじゃよ」
「それはなんでしょうか?」
陽菜が尋ねると、彩華の祖母のまなざしが鋭さを帯びた
「その想い……どうやら、妖精さん自身のだけではないようなんじゃよ。もっと古くて、深くて……刃のように鋭いものが、その子の中に眠っとる」
陽菜はその言葉に深い意味を感じていた。陽菜が姿勢を正す。
「……それって、どういうことでしょうか?」
陽菜はさらに言葉を重ねる。
「エレナは、満月の一日だけ人間になることがあるんです。それも、関係しているのでしょうか?」
「なるほど……」
彩華の祖母はしばらく黙って、じっとエレナを見ていたが、やがてぽつりと言った。
「“想いの欠片”かもしれん。しかも、ただのじゃない。……たぶん、“九尾”の、ね」
「きゅうび……っの、おもい……??」
陽菜は、聞き返しながらも、言葉の意味がすぐにはつかめなかった。
そんな陽菜に構うことなく、彩華の祖母はゆっくりと語り始める。
「昔々の話じゃがね。恐ろしい妖気をまとう狐が、美しい女性へと姿を変えた。ある御方に忠義を尽くし、そして裏切り、封じられたのじゃ。」
「その“想い”は深く、鋭く、そして……恐ろしく強かったという。もしもその欠片が、今この子の中にあるのだとすれば……」
そこで一拍置き、祖母は肩をすくめた。
「……もっとも、伝承にすぎん。真実はわからんがな」
その言葉を受けて、今度は彩華の父が静かに言葉を継いだ。
「九尾の狐は五色すべての想いを持つ、玉虫色の光をまとう存在だったとも言われている。エレナさんの内なる色も、近いものがある」
「“青”と“黄”。特に黄色は、五色五方において“中央”を意味する色だ。中心にして、すべてを結ぶ。つまり、九尾の狐の本体がエレナさんの中に入っているのかもしれん……」
「だとすれば、人間の姿になるのも、単なる偶然ではないのかもしれない」
“妖”という言葉は使わず、あくまで“想い”という言葉に置き換えられていた。
だが、それが陽菜の頭をすっきりさせるわけではない。むしろ、ますますわからなくなっていくばかりで、目の前の話がどこか遠く感じられていた。
彩華の父は、さらに続けた。
「エレナさんが、どのタイミングでその想いを拾ったのかまでは、わからないけれどね」
「とはいえ、五色五方の想いを宿した九尾の狐は、最強とさえ言われる存在だ」
そこで、陽菜がついに堪えきれず、素直な本音を漏らした。
「すいません。すげーわかんないですが、あれっすか……エレナ、めちゃヤバってことですか!?」
その率直な一言に、エレナは思わずクスクスと笑った。
しかし、彩華の父は真面目な口調で返す。
「正直、それはわからない。ただ……つい最近、那須で封印されていた“殺生石”という岩が割れた」
「これは、何か関連があるのかもしれない。もしエレナさんの中にいるのが本体なら、他の欠片が引き寄せられる可能性もある」
言葉の意味はすべて理解できなくても、その語り口と内容から、陽菜は何か大きな危険が迫っていることだけは直感していた。
「……わかりました。とりあえず、私たち次第って感じなんですね」
その言葉に、彩華の祖母はふっと目を細め、やさしい表情でエレナを見つめた。
「どうか、その想いと向き合ってあげておくれ。その子の中には、“祈り”に近いものがあるよ」
「九尾の狐は、主と定めた者に生涯忠誠を尽くすという伝承もある。あるいは……」
そう言って、彩華の祖母はそっと立ち上がり、エレナの手を握った。
すると、その瞬間、エレナの身体が淡く緑色に光った。
「あたたかい、優しい“想い”だね。やはり“祈り”に近い」
その言葉は、エレナの心に静かに染み込むようだった。
続いて祖母は、陽菜の手もそっと取った。
「陽菜さんは、想いを寄せることで、自身の力に変える能力を備えているね」
「高い感受性と許容性を持った“静寂”のような子じゃ。あなたたちは、ふたりでひとつなんじゃね」
そのまなざしに、陽菜は目を見開き、そして頷いた。
「……ありがとうございます」
そう言って、小さく微笑んだ。
「それと……」
彩華の父が改まった様子で口を開いた。
「陽菜さんとエレナさんには、うちの娘を助けていただき、ありがとうございます」
深々と頭を下げながら、静かに続ける。
「聞けば、最初に手を出したのは彩華のほうだったとか。本当に申し訳ないです」
そう言うと、彩華の父と祖母は二人に向かって丁寧にお辞儀をした。
「い、いえ……そんな、大したことはしてないです」
陽菜はあわてて手を振り、謙遜の言葉を返した。
ふと視線を向けると、ソファに座っていた彩華が、ムスっとした表情で陽菜とエレナを睨んでいる。
その顔を見た陽菜とエレナは、顔を見合わせ、同時に手を口元に添えてクスクスと笑った。
まるで息の合った悪戯っ子のようなその笑みに、彩華の眉がさらにつり上がるのだった──。




