第24話:エレナの危機……そして③
陽菜は落ち着きを取り戻した。
だが、あまり猶予はない。陽菜とエレナは仰向けに倒れている彩華の前に座っていた。
エレナの体が、ほのかに緑の光を放っている。陽菜は彩華の胸にそっと手を当てた。
その瞬間。二人は、真っ白な空間に立っていた。そこは彩華の心の奥──想いの広間。
少し離れた場所に、膝を抱えて座り込んでいる幼い少女がいた。
体育座りのまま、うつむいているその子は、幼いころの彩華だった。
陽菜が静かに歩み寄る。彩華が顔を上げ、不安そうな瞳で問いかけた。
「……だれ?」
陽菜は優しく笑った。
「おいで。帰ろう、一緒に」
彩華は目を伏せ、小さく呟いた。
「ううん。あたしは、お姉ちゃんたちに負けたの。悪いお化けに……」
その言葉に、陽菜は首を振った。
「ちがうよ。心配しなくていい。ウチもエレナも、ずっと味方だよ」
そう言って、陽菜は自分の胸に手を当て、ひとつの“想い”の欠片を取り出した。
それは、まばゆい白にきらめく、小さな五色の光。
「ウチの想い……受け取って」
彩華は、おそるおそる手を伸ばし、その白い欠片を胸に抱いた。
そして目を細めながら、そっと呟く。
「これは、清浄と真実、西方を表す、平和と安らぎの想い」
言葉とともに、彩華の胸元にも光が灯った。
それに呼応するように、彼女の中からもうひとつの色があふれ出す。
「あたしの想いは“青”。成長、精神、治癒を象徴する、東方の色」
それを聞いたエレナが、微笑んで頷いた。
「うん。知ってたよ。彩華の中には、ずっとその色があるって」
陽菜も、頷いた。
「ウチと彩華は、同じだよ」
その言葉に、彩華は顔を上げた。そして、両手を伸ばし、陽菜とエレナの手をそっと握った。
三つの手が、しっかりとつながった。色と色が重なり、やわらかな光が静かに広がっていく。
その瞬間──
ふわりと、白い光がほどけるように消えていき、陽菜とエレナは現実へと戻ってきた。
倒れていた彩華の胸が、ゆっくりと上下する。
彼女は、苦しげにひとつ咳き込み──そして、静かにまぶたを開いた。
「……ん……」
瞳はまだぼんやりしていたが、そこには確かな光が戻っていた。
彩華は陽菜とエレナを見つめ、かすかに微笑む。
そして、まるで赤子のようにすやすやと眠りについた。
陽菜が、静かに立ち上がる。
「沙耶さん、蓮、これでもう大丈夫」
その言葉に、皆がほっと息をついた。どこかで風が、緩やかに吹き抜けていった。
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彩華は陽菜の部屋のベッドに寝かされていた。布団の中で静かに眠っている。
陽菜は部屋着に着替えて、ベッドのそばに座っていた。沙耶も同じ部屋にいる。
蓮はというと、自分にできることは限られていると悟っていた。いまは、陽菜の腫れた頬をどうにかしてあげたい──
そう思って、ドラッグストアへ薬を買いに出ていた。
母・結衣には陽菜と沙耶が事情を説明した。
最初は陽菜の顔の腫れに驚いた結衣だったが、二人の話を聞いて、すぐに落ち着きを取り戻した。
そして微笑んだ。まるで、自分の青春時代を思い出すように。
沙耶は陽菜の部屋の隅に座り、ぽつりと呟いた。
「お母さん、強いのね」
陽菜は少し驚いて、苦笑する。
「そうですかね? 事件のときは、泣いてましたけど」
沙耶は軽く首を振った。
「それは、相手が得体の知れない連中だったからよ。怖くて当然だもの」
そんな他愛もない会話をしていたとき、インターホンが鳴った。
蓮が帰ってきたのだろう。
下から結衣の声が届いた。
「陽菜ー、蓮くん来たよー」
だが、陽菜は立ち上がろうとしなかった。部屋にこもったまま。
沙耶が小さく尋ねる。
「いいの?」
エレナも心配そうに顔を寄せる。
「陽菜。会いにいってきたら?」
陽菜はゆっくり首を横に振った。
「んーん。今はちょっと……頭の整理がつかない」
沙耶はその様子を察して、優しく頷いた。
「そうね。今はやめておいたほうがいいかもね」
そのとき、結衣が二階まで上がってきて、そっとドアをノックし、顔を出した。
「陽菜、蓮くん来てるよ」
沙耶がすかさず立ち上がり、結衣に向かって頭を下げる。
「すみません、少しだけ……」
結衣は沙耶の言葉を受け取って、やさしく微笑み、そっとドアを閉めた。
階下に戻った結衣は、玄関先に立つ蓮に声をかけた。
蓮は心配そうな顔をしていた。
「ごめんね。陽菜、お風呂入ってるみたいで……」
蓮はその言葉の裏にある気遣いをすぐに感じ取った。
──陽菜は今、会いたくないんだろう。
けれど、それでも伝えなければならないことがある。
結衣に頭を下げて、蓮は口を開いた。
「お母さん……陽菜ちゃんを叩いたの、自分なんです。本当に、すみませんでした」
叱られて当然だと思っていた。けれど、結衣の返事は意外だった。
「うん。陽菜から全部聞いたよ」
「気にしなくていいよ。人間なんだから、ムカつくことだってあるじゃん」
「陽菜はまだ子どもなの。だから、多感なのよ。でもね、蓮くんの気持ちは、きっと伝わってる」
「嫌いにならずに、待ってあげて」
蓮は、その言葉に少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、後悔の念が消えるわけではない。
結衣はそんな蓮の肩を、ぽん、と叩いた。
「男が、ヘナヘナしてどうするの。びしっとしなさい」
「……陽菜に、また会ってあげてね」
蓮は大きく頷き、深々とお辞儀をして帰っていった。
――その会話を、陽菜は部屋でそっと聞いていた。
クッションを胸に抱えて、じっと耳を澄ませていた。
やっぱり、どこかで気にしていたのだ。
そのとき、彩華が目を覚ました。
ベッドの上で、ゆっくりと身を起こす。
沙耶がすぐに駆け寄る。
「大丈夫?」
彩華は、少しだけ俯きながら答えた。
「……はい。大丈夫です」
陽菜は、目を合わせないまま黙っていた。
だが、彩華はまっすぐに彼女を見て言い放つ。
「……一応、礼は言っとく。助けられたのは事実だから」
陽菜は少し間を置いてから、静かに返す。
「……礼なら、ウチじゃなくて、沙耶さんとエレナに言って。あんたが生きてようがどうでもよかったし」
彩華は深く頭を下げた。沙耶はやさしく笑って受け止め、エレナは腰に手を当てて、ふんっと鼻を鳴らした。
「陽菜、もういいでしょ。仲直りしなよ」
エレナはそう言って、彩華と陽菜の手を取り、間に割って入った。三人の手がつながる。
陽菜は驚いたようにエレナを見たが、何も言わなかった。彩華も、目を伏せて吐き捨てる。
「……こんな茶番、二度はごめんよ」
「こっちも、次は助けない」
二人の間に、ピリッとした火花が散る。
だがその張り詰めた空気を、沙耶がふいに破った。
「なにそれ、どっちも素直じゃないくせに、仲良さそう」
エレナも笑いながら頷く。
「ほんっと、めんどくさい二人だよね~」
慌てて二人が否定した。
「はあ!? ウチのどこが!」
「やめて。そういうの一番ウザいんだけど」
エレナがゲラゲラと笑い出し、沙耶もつられて吹き出す。
二人の笑いに、彩華と陽菜も思わず視線をそらし、小さく肩を震わせた。
──二階から聞こえるその笑い声を、結衣は階下でそっと聞きながら、安心したように息を吐いた。
その後、彩華は自宅へ帰ることになった。
結衣に丁寧にお礼を言い、玄関を出る。陽菜は門のところまで見送りに出た。
しばし沈黙のあと、彩華がぽつりと呟く。
「……その……そんな傷まで負わせちゃって……ごめん……」
陽菜は少しだけ微笑みながら答えた。
「もう気にしなくていいよ」
「……いつか借りは返すから」
彩華はそう言いながら、手を差し出す。陽菜も手を伸ばし、ふたりは握手を交わした。
部屋に戻ると、沙耶も帰る支度をしていた。エレナが名残惜しそうに言う。
「沙耶さん、帰っちゃうんだって。ごはん一緒に食べればいいのにって話してたのに」
沙耶は笑いながら断る。
「これ以上、ご迷惑はかけられないわよ」
陽菜は改めて頭を下げた。
「本当にすみません。沙耶さんにはご迷惑かけっぱなしで……服にまで血をつけてしまって……」
沙耶は首を横に振って、陽菜の言葉を遮った。
「こんなの、大丈夫よ。それより──陽菜ちゃんのほうが、ずっとつらかったはず」
陽菜は少し目を伏せて、黙って頷く。
沙耶はそっと微笑んで、肩にバッグの紐をかけた。
「……じゃあ、行くね」
陽菜は玄関まで見送ろうとして、ふと足を止めた。
「沙耶さん」
呼び止める声に、沙耶がくるりと振り返った。
陽菜は少しだけ視線を落としたあと、ぽつりと呟いた。
「……なんか、いっぱい助けてもらって……ごめんなさい」
沙耶は、ふっと柔らかく笑った。
「謝ることなんて、ひとつもないわよ」
二人はそのまま玄関へ向かい、陽菜は門の前まで出て見送る。
沙耶の背を見送りながら、陽菜は静かにその場に立ち尽くした――。




