第22話:エレナの危機……そして①
雨宮彩華は、陽菜とエレナの前に立ちはだかっていた。
彼女の全身を覆うように、青い“揺らぎ”がゆらり、ゆらりしている。明らかに人ならざる気配。それを、二人は肌で感じ取っていた。
蓮が声を荒げた。
「彩華、やめろ!彼女たちは無関係だ。エレナは俺たちの味方なんだ!」
その言葉に、陽菜の眉が動いた。
(味方……?)
彩華の視線が、陽菜へと鋭く向けられる。
「佐藤陽菜は関係ないと思っていた。だが、今は違う」
陽菜は一歩前に出て言った。
「何が『今は違う』んだよ。どういう意味?」
「そこにいる者は妖の眷属。時と想いの狭間で力をつけた“もののけ”の化身」
彩華のその声には、断罪者のような冷たさが宿っていた。
「最初はアンタが操られてると思った。でも、違う。お前が、その下僕を操っている」
陽菜の声が低くなる。
「はぁ?……エレナが、下僕? ざけんなよクソが。エレナは妖精。ウチの家族だ。そんな呼び方、二度と言うな」
だが彩華は、言葉を振り払うように言った。
「妖でも妖精でも同じだ。それは見る者の主観にすぎない。だが、日本に巣くうものなら、日本の術で浄化できる」
そう言うと、彩華は九字を切り、空へと手を翳した。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前・行……急々如律!」
その瞬間、空気が震え、周囲の空間が軋むように歪んだ。空が裂け、夕焼け色の想願空虚が現れる。
陽菜と蓮があたりを見回す。
目に映る光景は、これまでに見てきた想願空虚とはまるで違っていた。周囲をぐるりと険しい山々が囲み、目の前には巨大な岩壁がそびえ立っている。
岩壁には無数のひび割れが走り、ところどころから淡く青白い光が漏れ出していた。
そのとき、不意にエレナが肩を震わせた。
呼吸が浅くなり、不規則に波打つ。その体から、かすかに淡い緑の光が滲み出していく。
「エレナっ!」
陽菜が駆け寄る。
「テメー、何しやがった!?」
すると彩華は一歩前に出て、淡々と告げた。
「ここは、あたしの”帳”。強い妖は暴れれば現実世界に被害が出る。だから、引き込んだ」
そう言うと、彩華の口から異様な呪文が漏れ始めた。
その響きは南無妙法蓮華経や般若心経とは異なり、空気が震え、周囲の空間に重い波動を生み出す。
何か強大な力が世界に作用している感触があった。
エレナは顔を歪め、苦しそうに言った。
「陽菜……気分がよくないよ……」
「エレナ! しっかりして!」
蓮もまた、彩華に向かって叫ぶ。
「やめろ、彩華!! こんなことにしなくていい!」
だが呪文の詠唱は止まらず、エレナの呼吸はますます荒くなった。
宙を浮くエレナの身体は力を失い、ふわりと地面へと落ちていく。
「エレナぁっ!!」
陽菜が滑り込み、彼女の身体を抱きとめる。ベンチまで運び、そっと寝かせた。
「てめー、いい加減にしろよ!!」
陽菜は彩華を睨み、両手を構える。次の瞬間、白い光の帯が閃き、一直線に彩華へと放たれた。
だが彩華はひらりとかわした。白い帯は地面に激突し、粉塵が舞い上がる。
「……デスる前にぶっ潰す!!」
陽菜は構わず帯を繰り出し続ける。だが、そのたびに彩華は最小限の動きで回避する。
やがて、彩華の手からも青い光の帯が放たれた。
「……っ!」
陽菜は紙一重でかわし、交錯する光は想願空虚の岩壁や地面に窪みを刻み、そこから煙が立ち上っている。
それでも彩華は呪文を止めず、詠唱が続くたびにエレナの息は荒くなっていった。
──そのとき。
「陽菜ちゃんっ!!」
駆け込んできたのは、沙耶だった。陽菜の忘れ物の鍵を届けに来た途中で、この異空間を目撃し、走り込んできたのだ。
エレナが見える沙耶もまた想願空虚を認識できる人物であった。
「沙耶さん!?」
蓮が驚いて振り返る。ベンチにはエレナが息を荒くして横たわっていた。
沙耶はすぐさま状況を把握した。
呪文の響きを聞いた沙耶は、低く呟く。
「あの呪文、もしかして……六根清浄?でも……もっと強力で、魂そのものを引き剥がすような……」
眉をひそめながら呟く。
宗派や流派によって表現や解釈は異なるが、響きの根幹には確かに、魂を浄め、分離させる系統の力がある。それが、沙耶の直感だった。
「たぶん、派生形ね。だけど間違いない……」
一拍置いて、彼女は確信を込めて言った。
「エレナちゃんは今、あの呪文で“五感”を奪われつつある!」
やがて、彩華が次の呪文を唱え始めた。
その呪文を聞いた沙耶が声を上げる。
「まずい……これ、光明真言じゃない!?」
エレナの身体が強く緑に輝き出し、その輝きが粉のように空へと散り始める。
「エレナぁっ!!」
陽菜が叫ぶ。
「……ガチでぶっ殺す!!」
その瞬間、陽菜の想いが爆発した。怒りに突き動かされ、光の刃と帯を連続で繰り出しながら宙を駆けめぐる。
崩れた岩壁や岩塊が砕け散り、粉塵が舞い上がって空間を満たした。
想願空虚──想いで形づくられたこの空間では、現実の制約など通じない。
陽菜の“想い”が強ければ強いほど、その動きは加速し、彼女は一気に彩華の懐へと飛び込びこうとする。
対する彩華は、陽菜の攻撃をかろうじてかわしていた。動きには明らかな疲れが見える。
(この妖……なんて凄まじい“力”なの……!)
彩華の胸の奥で焦りが膨らむ。
いくら力を注いでも、エレナを浄化できない。刻一刻と、時間だけが彼女を追い詰めていく。
陽菜の攻撃を見た沙耶は、援護するように手をかざし、彩華に向けて魔法陣を展開した。
「まるで、陰陽道と神道のハイブリットね。でも、今は……そんなことされたら、エレナちゃんが還れなくなるわ」
「時間がない、ちょっと力借りるわ。ここで使えるかはわからないけど」
沙耶はそう言うと、掌から青白い光の矢を放った。彩華に向かって飛んでいく。
「ちっ……新手かっ!」
彩華は回避するが、勢いに押されてよろめき、呪文の詠唱が止まった。
「今だっ!!」
蓮が叫びながら一気に距離を詰め、全力で体当たりを食らわせる。
「やめろっ!!」
肉体同士がぶつかり、彩華はバランスを崩して地面に倒れ込んだ。
その瞬間を逃さず、陽菜の放った光の帯が閃光となって空を裂く。
「いけぇぇぇ!」
彩華の身体が宙を舞い、反動で後方の岩壁へと叩きつけられた。
硬い音とともに、壁面にひびが走る。
それと同時に、想願空虚が崩壊した。
陽菜はすぐにエレナのもとへ駆け寄り、彼女の頬に手を添えた。
「エレナ……っ、大丈夫……?」
エレナは静かに横たわっている。まだ意識はないが、呼吸はある。
沙耶もそばに寄って確かめる。
「……体はしっかりある。想いも残ってる。大丈夫、きっと戻ってくる」
そして、倒れた彩華に向かう。血を流しているが、致命傷ではなかった。だが、意識がない。
蓮も駆け寄り、焦りの声を上げた。
「彩華!? おい、しっかりしろっ!」
沙耶が落ち着いた声で言う。
「傷は浅い。でも──この子の“想い”が薄れていってる。魂っていうのは、想いと記憶の集合体だから……消えたら、死ぬのと同じ」
「陽菜ちゃんたちの力で、この子の想いを繋ぎとめないと」
沙耶は、陽菜とエレナを見た。
エレナはまだ眠っている。だが、次の瞬間、彼女の目がうっすらと開いた。
「……陽菜……?」
「エレナっ!」
陽菜は涙を浮かべ、彼女の顔に手を添えた。
エレナは、陽菜の手に頬をすり寄せる。
「……大丈夫、ちょっと疲れただけ。もう、平気」
その光景に、沙耶も安堵の息をつく。
「エレナちゃんは大丈夫そうね。ちゃんと見えてる」
蓮も頷く。
「俺にも、ちゃんと見える」
沙耶は頷き、彩華へと視線を戻す。
「問題はこの子の方ね。いま意識が戻っていないの」
蓮が陽菜に訴えた。
「頼む、陽菜。彼女を助けてくれ!お前の力なら、きっと彼女を助けられる!」
だが、陽菜は──冷静な声で、はっきりと言った。
「……嫌だ」
その言葉は、夕暮れの風に乗り、静かにあたりに響いた――。




