第20話:妖精が見える女性③
沙耶の優しい声に、陽菜はおそるおそる目を閉じた。
(“想いを感じる”ってどうやるのかはわからない。でも……やってみるだけやってみよう)
黒い視界の奥に、やがて、ふわりと白い光が浮かび上がった。
沙耶からにじむ、柔らかな“想いの揺らぎ”。
隣にいるエレナに目を向けると、青と、黄と、白──三つの明るい揺らぎが、ゆらゆらと重なり合っていた。
「……見えた。沙耶さん、見えました!」
陽菜が目を開けて声を上げると、沙耶は微笑んで頷いた。
すると、エレナがすかさず陽菜にすり寄る。
「陽菜~、えらいね~。かっこいいよぉ~~」
「ちょ、エレナ、マジウザっ!」
嫌がりながらも、陽菜の頬はほんのり赤くなっていた。
そのまま三人であれこれと話し込み、沙耶の仕事や趣味の話など、ふたたびいろんな話題で盛り上がっていった。
窓の外には少しずつ夕陽が差し込み、カーテン越しの柔らかなオレンジ色の光が部屋を満たしていた。
ふと、陽菜が立ち上がる。
「あ、そろそろ帰らないと……」
沙耶が声をかける。
「大丈夫? 送っていこうか?」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
陽菜は小さく首を振ってから、遠慮がちに続けた。
「あのー……また遊びに来てもいいですか?」
沙耶はにっこりと笑った。
「うんうん、いつでもおいで」
その言葉を聞いて、エレナが陽菜の腕を揺らしながら嬉しそうに言う。
「陽菜、よかったねぇ~!」
沙耶がふと思い出したように口を開く。
「そういえば今度、花火大会があるの。平日だから打ち上げ数は少ないけど、このマンションの屋上からも見えるのよ。よかったら来ない? どうせひとりじゃつまらないし」
陽菜の顔がぱっと明るくなる。
「えっ、いいんですか!? よかったねエレナ!!」
沙耶は笑いながら頷いた。
「私は在宅ワークだし、全然大丈夫よ」
エレナが少し心配そうに問いかける。
「うんうん……あ! でも、その日って迷惑じゃない?」
すると陽菜が小声で止めに入る。
「それは、内緒にしとこ……」
沙耶がくすっと笑う。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
陽菜が笑顔で返したその瞬間、沙耶が少し茶目っ気のある口調で言った。
「あ、そうそう。よかったら蓮くんも連れてきていいわよ。大丈夫、女子の部屋に入れるわけじゃないし、陽菜ちゃんの彼氏を襲ったりなんかしないから。ぷぷっ」
陽菜の頬がうっすら赤くなる。けれど、ふっと真剣な表情を浮かべ、静かに口を開いた。
「実は……あの日以来、蓮とは連絡をとってないんです」
陽菜は、胸の内にあった想いを、ぽつぽつと語りはじめた。
蓮にどう思われているのか、想像するだけで怖いこと。
自分が“汚れてしまった”、そんなふうに見られているのではないかと悩んでいること。
どうしようもなく、心がしんどいこと──。
黙って聞いていた沙耶が、やさしく、けれどはっきりと言った。
「なら、陽菜ちゃんからちゃんと伝えてあげなさい。……冷たいかもしれないけど、もし彼がそう思ってたとしたら、それまでの男だったってことよ」
陽菜はその言葉に、はっと目を見開き、ゆっくりと頷いた。
「でもね。結果がどうあれ、言わないままよりも、言ってすっきりしたほうがいいじゃない? そのほうが、きっと前を向けるわよ」
その言葉は、まさに陽菜が心のどこかで求めていたものだった。
迷って、踏み出せなかった足を、背中から軽く押してくれるような、あたたかさ。
「ありがとうございます……。エレナ、さっそく蓮にメッセージだ!!」
はにかみながらそう言った陽菜を見て、沙耶も小さく安心の息を吐いた。
この子は、ちゃんと考えている。迷いを振り切るために、最後の一歩を求めてここまで来たのだ。
その手助けができたことに、沙耶もまた、心の奥でほっとしていた。
陽菜とエレナは、丁寧にお礼を言い、沙耶の部屋をあとにした。
沙耶も玄関まで見送り、ふたりと一緒にエレベーターを降りて、エントランスの外までついてきた。
「気をつけて帰ってね」
そう声をかけながら、手を振る沙耶に、陽菜とエレナも笑顔で手を振り返す。
しばらくして、ふたりの姿が見えなくなると、沙耶はゆっくりと部屋へ戻った。
部屋に入ってふと足元を見ると、カーペットの上に小さな鍵が落ちていることに気がついた。
拾い上げると、それは陽菜のものだった……。
帰り道。
陽菜はさっそく、スマホを取り出して蓮にメッセージを送ろうとしていた。
「んー……どんな感じがいいかなー?」
画面を見つめながら唸る陽菜に、隣を飛んでいるエレナがあっさりと言う。
「素直がいちばんだよ」
──たしかに。
エレナのその一言に、陽菜はこくりと頷いた。
あれこれ迷うより、今はシンプルに伝えるのが一番だ。
<ごめん。いろいろ迷惑かけちゃって>
短く、でも陽菜なりの精一杯を込めたその一文を送ると、すぐにメッセージアプリの通話通知が鳴った。
「……っ!」
陽菜の心臓が、ひときわ大きく跳ねる。
表示された名前を見て、深呼吸をひとつ。それから、おそるおそる通話ボタンを押した。
「……陽菜? 大丈夫か。ずっと心配してたんだ」
蓮の声が聞こえた瞬間、胸の奥がふわっとあたたかくなる。
陽菜は思わず笑みをこぼしていた。
「……ありがと」
その一言に、蓮もすぐ返してくれる。
「今、近くにいる。そっち、行くよ」
その言葉に、陽菜の心が一瞬高鳴る。けれど、すぐに不安が顔をのぞかせた。
会っていいのだろうか──そんな迷いが、声にならず胸に引っかかる。
すると、蓮が軽く笑いながら言った。
「来るなって言うなよ?」
陽菜の心の中で、何かがふっとほどける。
そのやりとりを横で聞いていたエレナは、ずっとにこにこと微笑んでいた。
通話を終えると、陽菜は照れくさそうにエレナに言った。
「蓮、近くにいたんだって。今からこっち来るって」
頬を少し赤らめながらそう言う陽菜は、どう見ても嬉しそうだった。
エレナがくすっと笑う。
「うん。でもその“近く”って、絶対、蓮の家からだよね。四十分くらいかかるもん」
「……まったく、バカ」
そう口にしながらも、陽菜の声には抑えきれない喜びがにじんでいた――。




