第19話:妖精が見える女性②
数秒の静寂。
陽菜は、一つ気になっていたことを尋ねた。
「……その、警察からは……どうなったんですか?正直、母はあまり話したがらなくって……」
沙耶は少しだけ視線を伏せてから答える。
「強制性交等未遂と、未成年者誘拐、もしくは未成年者略取を視野に捜査中と聞いているわ、未遂だから、身体的な被害がなかったことが、ほんとに幸いだった。けど、精神的な負担は、充分に“被害”だから。……警察の人たちも、真剣よ」
「……そっか」
陽菜は、静かに息を吐いた。
未遂で済んだ。それは、本当に運が良かったのだ。
もしも、ほんの少しでも、遅れていたら。
もしも、ほんの少しでも、声が届かなかったら。
その”もしも”の隙間をすり抜けて今ここにいられることが、当たり前ではなかったのだと、改めて実感する。
「だからこそ、助けてくれた沙耶さんには……ちゃんとお礼を言いたくて」
そう言って、陽菜はもう一度深く頭を下げた。
横で、エレナも同じように礼をした。静かに、けれど真っ直ぐな感謝の気持ちを込めて。
(それに、あの場に駆けつけてきてくれた蓮にも……)
陽菜とエレナ、そして沙耶は、あえて重い話題を避け、できるだけ明るい話をしていた。
好きなコスメの話や、コンビニスイーツの話、エレナの髪型について……そんな取り留めのない会話が、かえって心地よかった。
そんな中、ふと陽菜が口にする。
「……そういえば、沙耶さん。どうしてエレナのこと、見えるんですか?」
それは、ずっと気になっていたことだった。
沙耶は少し目を細めて、ゆっくりと首を傾げる。
「私もね、妖精が見えたのは初めてなのよ」
それから少し間を置いて、ふっと微笑んだ。
「もし、私が“別の世界にも行ける人間”だったら……怖い?」
唐突な問いかけに、陽菜とエレナは一瞬だけ目を見合わせ、戸惑いを浮かべる。
陽菜は先ほどの写真立てをちらっと見た。
「……うまく言えないけど……」
陽菜は、少し考えてから答えた。
「エレナだってそうだし。そういうこともあるのかなって思います。だから、怖いとは……思わないです」
それは、陽菜の正直な気持ちだった。
「うんうん、陽菜いい子だねぇ~」
エレナがそう言いながら、陽菜の頬にすり寄る。
「ちょ、やめろって……」
二人の様子を見て、沙耶は穏やかに笑う。
「二人とも、仲いいのね。かわいいわね」
陽菜は少し照れたように目をそらし、エレナは得意げに腰に手を当てて、ふんっと鼻息を鳴らした。
その流れで、陽菜がふと尋ねる。
「……あのとき、沙耶さんが使ってた“あれ”も、やっぱり別の世界の力なんですか?」
それは陽菜を助けるために、沙耶が使っていたものだった。
まるで魔法のように、沙耶は三人の男たちを一瞬で倒してみせた。
あの光や、あの動きは常識じゃ説明できなかった。
エレナも頷いて言葉を継ぐ。
「沙耶さん、わたしたち、“想い”を見ることができるの」
沙耶は少し驚いたように目を見開き、すぐに笑顔になった。
「……そう。じゃあ、あのときの“白い光の帯”がそうなのね」
陽菜が小さく頷く。
「あのとき……“蓮が危ない”って思ったら、勝手に体が動いて。気がついたら、椅子が飛んでました」
想願空虚で出来たことが、現実でも起こせた。
あれは、想いが現実に干渉した証だった。
沙耶は、まるで授業でも始めるように言った。
「知ってると思うけど、“想い”は力になるの。強くて、深くて、まっすぐな想いほど、その力は増幅されるのよ」
「だからね、あなたたちの味方がもっと増えて、たくさんの想いが一つになると──もっと大きな力になる。たぶん、想いってそういうもの」
そして、沙耶は微笑みながら付け加える。
「日本ではそれを”気”とも言うけど」
エレナが目をぱちくりさせて尋ねる。
「……“気”? って、あの“元気”の?」
「そう。気はね、“想い”とほとんど同じ。エネルギーの総称みたいなものよ」
沙耶は指を一本立てながら、説明を続ける。
「たとえば、
想いが疲れると“病気”。
勝ちたい想いは“勝気”。
負けたくない想いは“負けん気”。
想いがぴったり合う人を“気が合う人”
想いを伝えたい人を“気になる人”
こういうふうに、ね」
「つまり、”想い”と“気持ち”は、もともと同じものなの。ただ、感情の起伏によって、言葉の使い方が変わるだけ」
その言葉に、陽菜もエレナも、同時に小さく頷いた。
すると沙耶が、にやりと笑って首を傾げる。
「それで、陽菜ちゃんと蓮くんは、どっち? “気になる人”? それとも、“気が合う人”?」
不意を突かれた陽菜は、思わず顔を赤らめた。
すぐに何かを返そうとしたが、言葉が出てこない。
代わりにエレナが、茶化すように口を挟む。
「もちろん、“気が合う人”。……んーん、違うかも。“大好きな人”でしょ?」
「エレナっ……!」
陽菜は、顔をさらに真っ赤にしてエレナをにらむ。
それを見て、沙耶は吹き出すように笑った。
そしていたずらっぽく微笑みながら、テーブルに両肘をつき、手のひらに顎をのせて言った。
「妖精さんが言うんだから、間違いないんじゃない? エレナちゃんのほうが、陽菜ちゃんの心の中、よくわかってそうだし」
陽菜はぷいっとそっぽを向きながらも、耳まで真っ赤だった。
ふと、あのとき目にした“オーラ”のことが胸によみがえり、沙耶に尋ねたくなった。
「……あのとき、想いのオーラみたいなのが見えたんです。白だったり、紫だったり、ふわふわ揺らいでて……」
沙耶が口を開こうとした瞬間、先にエレナがぽんっと答えた。
「たぶん、それ、共感覚だよ。陽菜の場合、“想い”が光になって見えたんだと思う」
沙耶が頷く。
「エレナちゃんの言うとおりね。感受性の相性が高いと、色や音、光として知覚されることがあるの。脳の知覚野がクロスリンクして、感覚が連動しちゃうような状態ね」
陽菜はぽかんとした顔で、それを聞いていたが、次の瞬間、思わず素が出てしまった。
「……マジ。すっげーじゃん! まったく意味わからんけど!!」
沙耶が吹き出すように笑い、エレナが小声でつつく。
「陽菜、言葉。今ちょっと地が出た」
「……あっ、ごめん」
エレナは沙耶のほうを向いて、やれやれと肩をすくめる。
「陽菜、普段はけっこう口悪いの」
「ふふっ、なんか分かるわ。さっきまで“大人ぶってる感”あったもん」
沙耶は楽しそうに笑いながら続けた。
「でもね、こういう感覚って、芸術家とかアーティストにも多いのよ。たとえば音符を楽譜じゃなく“色”で感じる人もいる」
「陽菜ちゃんの場合は、きっと“想い”を色として視覚化してるのよ。たぶん、エレナちゃんと共鳴できているからじゃないかな」
陽菜は素直に感心したように頷いた。
「……なんか、ちょっと納得できました」
「じゃあ、目を閉じて。心で“想い”を感じるイメージをしてみて」
沙耶の優しい声に、陽菜はおそるおそる目を閉じた――。




