第15話:下町の古着屋さん①
夏休みの土曜日。言うまでもなく。学校はお休みだ。
陽菜とエレナは、クラスメイトの梨紗に誘われて、洋服屋さんに出かけていた。
といっても、目的地はハイブランドのショップではない。彼女たちのお財布事情に優しい、古着屋さんなどが主なコースだ。
「……ってわけで、ちょっとだけ見たいの。塾の前の時間つぶしにさ」
梨紗にそう言われて、陽菜はなんとなく断りきれずに一緒に来ることになった。
別に古着屋巡りが嫌いってわけじゃない。でも、わざわざ休日に人混みに突っ込んでいく理由もない。
しかもなぜか、エレナまでついてきている。本人曰く、”街の人間観察は楽しい”のだとか。
「陽菜は、何か買いたいものないの?」
店に入って間もなく、エレナが陽菜の袖をつん、と引っ張った。
その声は、他の人には聞こえない、陽菜だけに届く不思議な響きを持っている。
「んー、別に。欲しいってほどのもの、ないかな」
陽菜は首を傾げる。洋服そのものには、さほど興味がないわけじゃない。
けれど、今日の目的はあくまで梨紗の付き添い。
買う予定もないのに、試着しても仕方ないし──そんな心理が勝ってしまっていた。
一方の梨紗はというと、すでにハンガーラックを掘り起こす勢いで、お気に入りの一枚を探していた。
「ねえ陽菜、これどう思う? ちょっと派手?」
「うーん……てか、それ着るの、勇気いるよ?」
「ほんと? あー、でもこっちは袖がちょっと長いかな……」
そんなやりとりをしながら、梨紗はあれこれ手に取っては鏡に合わせ、時折ため息をつく。
その様子を少し離れて見ながら、陽菜はふらふらと店の奥の方へ歩いていった。
店内には中古とは思えないほど状態のいい服が並んでいて、どれも個性的な色や形をしていた。
そして、ふと気がつくと──
(あれ? ここ、メンズコーナー……)
気づけば、男物のシャツやズボンが並ぶエリアに入り込んでいた。
今さら引き返すのも気まずくて、何気なくハンガーにかけられた一着を手に取ってみる。
そのときだった。
「これは……あいつにいいかも。グヘ、ヘヘヘ……」
すぐ隣で、何やらブツブツと独り言を呟く声がした。
そっと目を向けると、若い女性だった。肩までのきれいな黒髪のストレートヘアで、薄紫の瞳が静かに揺れる。ぴったりとした服で、陽菜も思わず見とれるほどのスタイルの良さだ。
女性は笑いながら手にしたシャツを買い物カゴへ放り込んだ。
そのカゴの中には、アロハシャツ、ハート柄の短パン、“本日の主役”と書かれた一昔前の襷……明らかに普通のセンスではなかった。
(うわ……あれを“いいかも”って言う感性、逆にすご)
陽菜は思わず顔をこわばらせた。
けれど、視線をそらそうとした瞬間、その女性とばっちり目が合ってしまった。
女性はニコッと笑うと、気さくな調子で言った。
「……なあに? 変な服だと思った?」
「え、えっと……その……プレゼント、ですか? 彼氏さんに……とか?」
陽菜は声を震わせながら、なんとか言葉をつないだ。
女性はふふっと笑い、そして妙に含みのある声で言った。
「ちがうわよ。……でも、あいつにはこれがぴったりなの。エヘヘヘ……」
その笑い方が、どこか不気味で、店の照明の下でも空気が少し冷たくなったような気がした。
陽菜はすかさず、エレナの袖をつかんで小声でささやいた。
「エレナ、ちょっとヤバい系かも……」
「うん……でも悪い人って感じはしないなあ。むしろ、“楽しんでる”って雰囲気?」
「楽しむって、何を……?」
困惑する陽菜のもとへ、梨紗が戻ってきた。
「そろそろ塾、行かなきゃ。付き合ってくれてありがとね」
「ヒマだったし。いいよー、がんばれー!」
陽菜が答えると梨紗は手を振り、駆け足で店を出て行った。結局、今日は何も買わなかったらしい。
ぽつんと残された陽菜とエレナ。
すると、また隣の女性が話しかけてきた。
「お友達、行っちゃったのね。大丈夫? ……ふたりで帰れる?」
「あ、はい。……お邪魔して、すみませんでした」
陽菜は少し緊張しながら頭を下げた。
「ふふ。気をつけて帰ってね。……それと、小さなお嬢さんも、またね」
女性は、エレナの方へと視線を向けながら、にこやかに微笑んだ。
陽菜は一瞬きょとんとして、はっと気づく。
「……え? 見えてるんですか? エレナのこと」
「妖精さん、でしょ? ええ、ちゃんと見えてるわよ。その子、自分が見られてるのに気づいてるみたいね」
「うんうん、私のこと、見えてるみたい!」
エレナはぱっと顔を輝かせ、大きく頷いた。
「仲いいのね、ふたり」
女性はやわらかく微笑みながら、カゴの中に収めた個性的な服に目を落とした。
「えぇ……まぁ」
陽菜は少し照れるような仕草で頷いた。
その笑顔を見届けるように、女性はカゴの中の鮮やかな服に目を落とす。
そして、独り言のように、けれどどこか意味深にぽつりと呟いた。
「“見える”人ってのはね、案外、どこにでもいるのかもしれないわね。ちゃんと、目と心をひらいていれば、ね」
「……じゃあ、お姉さんも?」
「さあ? 私はただの、ちょっと変わった趣味の持ち主かもしれないわ。エヘヘ……」
そのまま女性は、また楽しげに服を選び始めた。
その背中は、何事もなかったかのように軽やかだった。
「でも、私も見たのは初めてかな」
陽菜は不思議そうな顔で女性を見つめる。
「びっくりしないんですか? 妖精とか」
陽菜が尋ねると、女性は少しだけ肩をすくめて言った。
「そうね。いろいろ面白いこと経験してるからかもしれないわね」
陽菜とエレナは、顔を見合わせて小さく笑い合う。
「……行こっか、エレナ」
「すいません。お邪魔しました」
陽菜とエレナは、軽く会釈をしてその場を離れた。
「外暑いし、少し休憩して帰ろっか。アイスでも食べようよ」
「やった! アイス? わたしは食べられないけど、見るのは好き!」
陽菜の提案にエレナは手を挙げて賛成した。
近くのアイスクリームショップで好きなフレーバーを購入した陽菜とエレナは
ふたりは近くの公園のベンチに腰かけようとした──そのとき。
──っ、ドンッ!
思わず陽菜の体が揺れた。ぶつかってきたのは、陽菜よりも年上の二十代後半くらいの男だった。
鼻につく香水の匂い。サングラスを頭にかけたまま、男が舌打ちする。
「いてーな!!」
「……すいません」
その背後には、その男の仲間と思われる男が二人いた。
軽く笑いながら、三人は周囲を囲むように立った。
エレナが小さく陽菜の肩にとまり、声をひそめる。
「……なんか嫌な予感がするの」
陽菜のアイスは、暑さで溶けかけていた──。




