第13話:お勉強中の邪魔者
昼休み。陽菜は食堂の隅のテーブルで、カレーとサラダを食べながら、広げた教科書に視線を落としていた。
隣に座るのは蓮。ふたりは化学の期末テストに向けて勉強中……というより、陽菜が蓮に教えてもらっている状況だ。
そんなふたりの様子を、トレイに蕎麦を載せた梨紗と香澄が少し離れた席から眺めていた。
「……あれ、付き合ってんのかな」
「ふふっ、香澄、しーっ。陽菜、まだそこまではいってないってば~」
からかうような笑みを浮かべながら、梨紗と香澄は陽菜たちの近くのテーブルに腰を下ろし、手で口を覆ってクスクスと笑う。
「おふたりさん、相変わらずいい雰囲気だねぇ~?」
香澄の揶揄に、陽菜の顔がぱっと赤くなる。
「う、うっさいっ!」
慌てた様子で言い返すが、その動揺を見逃さなかった香澄が、すかさずニヤリと笑いながら追撃を放った。
「北川先輩~。あんまり無理しないであげてくださいね?陽菜、まだバージンなんで。ぷぷっ」
「て、てめーらー!!」
陽菜と蓮、同時に真っ赤になった。
そのときだった。食堂内がざわつき始めた。
「あれ……誰?」
梨紗が不審そうに眉をひそめ、入口の方へ目を向ける。
生徒たちの視線が一点に集中し、ざわつきながら進路を空けていく。現れたのは制服姿の女子高生が三人。
真ん中の子が、明らかにボスっぽい。両脇の二人は取り巻き、といった感じだ。
「……あれ、制服……うちのじゃなくね?」
香澄が首を傾げた。
その異様な雰囲気に、エレナも気づいた。
彼女は陽菜の肩にそっと手を置き、声をひそめる。
「ねえ陽菜、なんか変な人たちがこっち来てるよ」
陽菜は教科書から目を離さず、ぶっきらぼうに返す。
「ありがと。でも無視しとく」
陽菜は教科書から目を離さず、ぶっきらぼうに返した。
いま、化学で赤点は取りたくない。これが本音だ。
無論、蓮と過ごすこの時間を邪魔されたくない。そういう気持ちもあった。
(パンにすればよかったかな……)
陽菜はそんなことを考えながらも、ページをめくろうとした。
しかし。
三人の女子高生は、ぴたりと陽菜と蓮のテーブルの前で足を止めた。
陽菜は気づかぬふりを続けるが、取り巻きのひとりが隣のテーブルに置かれていたやかんを手に取り、陽菜のコップに水を注ぎ始めた。
ドボドボドボッ──。
勢いよく注がれた水はコップをあふれ、机の上へとこぼれ落ちた
やかんが机に”ドンッ”と乱暴に置かれる音が、耳に響く。
陽菜の眉がぴくりと動いた。
(最悪……せっかくの時間を邪魔されて……イライラマックスだわ……)
当然、蓮の説明は頭に入ってこない。いつもならスルーする場面だが、今日はもう限界だった。
「……食事中にガタガタしないでもらえる」
声を張り上げた陽菜に対し、取り巻きのひとりがにやりと笑いながら教科書を取り上げ、ポイと床に放った。
陽菜はイライラが限界値に達した。
「なにすんだよ!」
椅子を蹴るように立ち上がると、手にしていた箸を取り巻きに向かって思わず投げつけた。
そして床から教科書を拾い上げ、中央の女子──ボスらしき少女と向き合う。
「神聖な勉強中に、行儀悪いぞ!」
相手は銀髪のロングで、瞳は翡翠色の美人だった。身長は一六〇センチくらい。しかし、制服は明らかにこの学校のものではない。
陽菜が警戒の目を向ける中、少女は陽菜をじっと見据えて口を開いた。
(どうやって入ってきたんだ……?)
その女子高生は、陽菜を真っすぐ見つめて口を開いた。
「あんたが……佐藤陽菜、で合ってる?」
ジロジロと陽菜を見定めた後、ふんと鼻で笑う。
「ふーん。見た目は“中の下”ってとこね」
その瞬間、陽菜の横から怒声が飛んだ。
「……なんですってー!? 陽菜が“中”!? どこをどう見ても、この学校で一番かわいいに決まってるじゃない!!」
エレナがグーにした手を震わせながら叫ぶ。
もちろん、その声が聞こえているのは陽菜だけだ。
「アンタなんか、“下の下の下のさらに底辺”よっ!!」
さらに怒りが加速するエレナを尻目に、蓮が低く鋭い声を発した。
「……おい、彩華。何しに来たんだよ」
その言葉に、陽菜は驚いた表情で蓮を見た。
──知り合い? という疑問が浮かぶ。
だが、蓮の言葉を遮るように、その少女・彩華が静かに言った。
「蓮は黙ってて」
すかさず、梨紗と香澄が立ち上がり、陽菜の前に出る。
「おい、他校のバカがよ。何しに来てんだ。うちらのダチになんか用か、ああ!?」
だが、彩華はその挑発すら涼しい顔で受け流し、ふっと鼻で笑った。
「うるさい蠅ね……邪魔しないでくれる?」
「んだとコラァ!!」
香澄が机を叩きかけたそのとき、彩華が再び陽菜に視線を戻す。
「……あたし、雨宮彩華。あんたにはっきり言っておくわ。蓮には、近づかないで」
陽菜は苛立ちを抑えながら、皮肉交じりに返した。
「なんで? 他校のヤツに命令される筋合い、ないんだけど」
彩華はくすりと笑い、挑発するように言った。
「……わからないの? 蓮の“彼女”だからに決まってるでしょ。……んーん、“妻”って言った方が正しいかしら?」
陽菜が絶句すると間もなく、蓮が鋭く声を上げた。
「おい、彩華! 適当なこと言ってんじゃねーよ!!」
「嘘でも夢でも自由でしょ?」
陽菜はイラっとしつつも、極力冷静な声を心がけて言った。
「なるほど。嘘つきな上に、他校から無断で乗り込んでくる神経もお持ちなんですね。勉強になります」
彩華の眉がピクリと動いた。だが、表情は崩さず、むしろ笑みを深めた。
「ふふ……口の立つ子ね。でも、あたし、そういう生意気な子って嫌いなの」
次の瞬間、陽菜の目の前に、彩華の手がスッと伸びた。
そのとき──
「それ以上、やめろよ」
蓮の声は、いつになく低かった。教室や廊下では見せない、まっすぐな怒りのこもった声だった。
一瞬、彩華がピタリと動きを止める。そして、ゆっくりと蓮の方を見た。
「……とっとと帰れよ。ここ、お前の居場所じゃねえから」
蓮の冷たい言葉に、彩華の口元が引きつった。が、すぐにまた余裕を装った笑みに戻る。
「……いいわ。今日はこのくらいにしておいてあげる。忠告はしたわよ、あたしはアンタと妖のこと見てるから」
そして、彩華は取り巻き二人に目配せしながら、くるりと背を向ける。
そう言い残して、三人は来た時と同じように、食堂のざわめきを引き連れながら去っていった。
──静けさが戻る。
陽菜は濡れた机と、救出された教科書を見下ろしながら、ため息をついた。
「……教科書は無事だったけど……ああ、マジ最悪だわ!」
蓮が心配そうに顔を覗き込む。
「ごめん、大丈夫だったか?陽菜」
陽菜は小さく頷き、無理に笑顔を作った。
「問題ナッシング。サンキュ、蓮」
エレナがそっと陽菜の頭をなで、小声で囁く。
「……陽菜は、ちゃんと格好良かったよ。負けてなかった」
梨紗と香澄も、それぞれ陽菜の隣にやってきて、カバンからハンカチやティッシュを差し出す。
「やれやれ、昼休みに修羅場とはね……」
「てかさ、あの彩華っての、ヤベーやつじゃん。絶対また来る気満々っしょ」
陽菜は深く息をつき、覚悟を決めたように小さく頷いた。
「……うん。たぶん、終わってないと思う」
それは、昼休みの出来事としてはあまりにも異質な、火種のようなやりとりだった。
放課後、陽菜は蓮の教室にいた。ふたりきりの“陽菜のための補修授業”。
勉強は本来嫌いだけれど、蓮と過ごすこの時間だけは、なぜか苦じゃなかった。
むしろ、どんなときでも楽しいと思える自分がいることに、陽菜は気づき始めていた。
後ろではエレナが手を後ろで組んだまま、ニコニコと陽菜を見守っている。
静かに時間が流れる中、陽菜はふとペンを置いた。昼の出来事が、やはり胸に引っかかっていた。
「ねぇ、蓮……ごめん。やっぱ昼のこと、ウチ気になる」
陽菜が正直にそう口にすると、蓮は一瞬だけ手を止めたあと、軽く息を吐いて言った。
「ああ、気にするな。……あれは俺の中学のときの同級生だ」
その言葉に、陽菜の目が細くなる。じとっとした視線を向けながら、唇を尖らせた。
「……たんなる同級生が、あんな風に学校乗り込んでくるかー?」
言いながらも、陽菜の頭の中にはもう一つの疑問が浮かんでいた。
(たしかに、あいつは「アンタと妖」って言ってた。エレナのこと……?)
だが、そのことについては敢えて触れず、陽菜は気を取り直して、もう一歩踏み込んだ。
「マジで聞きたいけど……彼女?」
その問いに、蓮は食い気味に、はっきりと否定した。
「ちげーよ。マジで、それはない」
その言葉には、いつになく冷静で真っ直ぐな響きがあった。
嘘の入り込む余地がない。そう思わせるほどの断言だった。
陽菜は、静かに目を伏せた。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
蓮に陽菜は言葉をかけた。
「……蓮」
「ん?」
「カッコよかった。助けてくれて、ありがと」
陽菜が素直な気持ちを口に出すと、蓮はふっと笑って言った。
「じゃあ、これでまた助けたな。廃工場のときの件、達成だな」
あのときの言葉を、陽菜は思い出す。“ウチと付き合うなら、もう一回助けろ”……それを、蓮はこのタイミングで持ち出してきたのだ。
陽菜は、肩の力を抜いて、少しだけ照れくさそうにして言った。
「……考えとく」
そのひと言だけ残して、再び教科書に視線を戻す。ページをめくる指先が、ほんの少しだけ軽やかだった。
その様子を見ていたエレナは、ふたりの距離感にもどかしさを感じていた。
胸の奥にわき上がる感情が抑えきれず、思わず声を上げる。
「もーーっ! わたしがイライラマックスー!!」
勢いで叫ぶエレナだったが、当然ながらその声は蓮には届いていない。
それでも、陽菜の肩はわずかに揺れた。
エレナの叫びは、彼女には届いているのだから──。




