第12話:ひとりぼっちのぬいぐるみ
日曜の午後。
期末テスト期間中の気分転換にと、陽菜はエレナと連れ立って、ぶらりと散歩に出かけた。
駅前のにぎやかな通りを離れ、少し外れた住宅地へと足を向ける。
天気はよく、日差しも穏やかだったが、このあたりは人通りも少なく、どこかひんやりとした空気が漂っていた。
「なんで、こんなとこに来ようと思ったの?」
エレナが陽菜の肩の上で小声で呟く。妖精である彼女は、ふわりとした存在だが、感覚は鋭い。
「さあ……わからない。ただ、なんとなく来てみたんよ」
陽菜はわざとそっけなく答えた。けど、心のどこかで“なんか気になった”のは確かだった。風に押されたような、よくわかんない感覚。
そんな裏路地の、曲がりくねった細道の先、ふと陽菜の目があるものに止まった。
「……あれ?」
植え込みの隙間。そこに、箱が置かれていた。
化粧箱の中からは、白いくまのようなぬいぐるみが入っており、ボタンが付いたかわいいロリ服を着ているのが覗ける。
そのぬいぐるみの目は、まっすぐこちらを見ている気がした。
陽菜はしゃがんで、その顔を見つめた。
「そこまで汚れてはいないようね。しかもこの服、ちょっとアレじゃない?」」
「でも……ただの“ぬいぐるみ”じゃないかも。“想い”が残ってる」
エレナが、そっと耳元でささやく。その声には、普段とは違う確信めいた響きがあった。
「……ふーん」
陽菜はそう言って、箱からぬいぐるみを両手ですくい上げた。その小さな顔にはどこか寂しげな表情があった。
「……いっしょに、帰ろうか、なんか……置いとくとか、無理だし」
ぽつりとそう呟くと、わずかに、きゅっと体を寄せた気がした。
その指先は、そっとぬいぐるみを抱えるように優しかった。
家に戻ってから、陽菜は古いタオルと洗面器でぬいぐるみを丁寧に拭いてやった。赤黒い洋服も色あせてはいたけれど、水で湿らせた布を使うと、少しだけ鮮やかさを取り戻したように見えた。
手足の綿は少しへたっていたけれど、目はきれいなままだった。
「名前……どうしよう。なんか、寂しそうな顔してるね……」
ひとりごとのように陽菜が呟くと、エレナがぼそっと言った。
「“ミミ”ってどう? そう呼んでほしいって、なんとなく聞こえた気がするの」
エレナは人の“想い”のこだまに触れることができる。それは妖精としての力。目には見えなくても、心にふれる力だ。
いわば、エレナは”想い”の送受信機であり、陽菜はそれを制御するコントローラのようなものだ。
「ミミ……うん、いいんじゃない」
そう言って、陽菜はミミの頭を優しくなでた。
そのとき、ぬいぐるみの目がほんの一瞬、細く笑ったように見えた。
「……お礼、言った? いま」
……ありがとう、って。
陽菜にはそんな声が、かすかに聞こえた気がした。
その夜、ミミは棚の上に座っていた。
陽菜は布団に入って、天井をぼーっと見ていたけど、なんとなく視線がミミに吸い寄せられた。
(……見てる。気のせいじゃない)
誰にも言えないけど──陽菜は、ときどき感じていた。
誰かがそこにいる。誰かが、自分をじっと見守っている。
電気を消したあと、暗がりのなかでふわっと何かが届く。
ふと視線を向けると、ミミの目がやわらかく光っている気がする。
そして、真っ白く、風のない空間──心の奥にふわっと浮かんでくる、誰かの言葉。
──私を、見つけてくれてありがとう。
──ずっと、さみしかったの。
声じゃない。頭の中に、波のように流れ込んでくる。
それを感じとっているのは、きっとエレナの力のおかげだと、陽菜は思った。
「ねえエレナ……ミミって、しゃべれたりするの?」
陽菜は小さく尋ねた。
「言葉は出せないけど、“想い”は届いてる。わたしには、それが伝わってきているよ」
「そっか……」
陽菜は寝返りを打ちながら、天井の影を見つめた。
「……前の持ち主に、大事にされてたんかね?」
「うん。でも、何かあって、突然手放されちゃった。言葉もなく、箱に入れられて……ずっと、暗いとこにいたんだよ」
「……なるほどね」
陽菜はベッドから身を起こし、棚のミミを取って抱きしめた。
「でも、もういいから。ウチがいる。……ってのもなんだけど、放っとけないんだよね、こういうの」
ミミはぬいぐるみなのに、どこかあったかかった。
エレナがミミに向かってささやくように言った。
「出会えてよかったね、ミミ。これからは、ずっとここにいていいから」
その夜、夢を見た。
それは心の中の白い空間。ちょこんと座ったミミが、顔を上げて笑った。
──ありがとう。
声じゃない。でも、ちゃんと伝わった。
夢の奥で、エレナの気配もあった。何も言わずに、ただそこにいる。見守ってくれてる。
翌朝、ミミの顔はほんの少しだけ前よりも柔らかい表情に見えた。
「エレナ、ねえ……ミミ、夢に出てきたよ」
「うん。ちゃんと、お礼言えたんだね。想いが、ちゃんと届いたから」
エレナの声はやさしく響き、そっと陽菜の胸をあたためる。
陽菜はミミを見つめながら、小さく微笑んだ。
「ミミ。これからも、よろしく」
東京の、ちいさな裏路地。
誰にも気づかれずに捨てられていたぬいぐるみが、もう一度、誰かの“想い”を受け取った。
そして三日後、ミミはリビングに移動していた。
悠真が”これ、ここに置きたい!”と、言い出したのだ。
……が、そのミミは、ある意味“魔改造”されていた。
ミミの腕には、どこからか調達してきたRPGゲームの剣と盾がセロテープでくっつけられている。
騎士風、というよりは……ごっこ遊び中の犠牲者に近い。
それを見た陽菜は、思わず声を上げた。
「ええ……マジ? なにコレ……っつーか、どこから持ってきたんだよコレ!」
「ふふん、秘密兵器!」
悠真が得意げに笑う。
陽菜はあきれつつ、エレナに視線を送る。
「ミミ、どう? 病んでるんじゃね?」
エレナはミミを見つめたあと、ゆるく笑って言った。
「だいじょぶそう。ミミ的には気に入ってるみたいだよ~」
「“新しい使命を受けた”って思ってるみたい……案外、悠真と相性いいのかも」
そう言われて、陽菜は少しだけ、ほっと息をついた。
ミミは、今日もリビングの一角で、剣と盾を手にどこか誇らしげにたたずんでいる──。




