【第一章―六】 「背徳の盟約」
場所は、ノルド帝国中央魔導府・深宵議殿。
冷たく滑らかな黒大理石の円卓。その周囲には、エルフたちが整然と座っていた。
この会議には、ノルド帝国魔導軍の最高幹部、いわゆる“四柱”のうち三名が出席していた。
その中央――仮面をつけたエルフが、抑揚のない声で語り始める。
「守霧島の侵攻計画に、遅れはない。
魔導艦隊は霧の結界外周まで進出済み。今夜にも先鋒が“触れる”」
「ふふ……我らに不可侵条約を信じていたとは、滑稽の極みだな」
端に座る長髪の青年エルフ、アゼル・レヴァインがくつくつと笑う。
若く見えるが、その齢は既に三百を越えている。
「“人間の知恵”など、たかが百年で何を築ける。
ツラギ・カナメとかいう哀れな政導官……あれは我らの外交官が“軽く握手”しただけで勝手に信じ込んだ」
「今や完全に我らの下僕よ」
斜め向かいに座る女性エルフ――魔兵開発局の責任者リュシア・ヴェルメルが鼻を鳴らす。
「報告によれば、あの男、未だに“和平提案書”を持って動いているらしいわ。
しかも、先方から“停戦の仲介を依頼してくる”だなんて──」
「馬鹿の極み」
「哀れというより……都合が良い」
三人は微笑みを交わした。
エルフたちの“真の目的”
「守霧島は霊脈交差点にして、“大戦後の世界魔素の残響が最も濃い土地”だ。
占領すれば、我らの魔導力は半世紀分の蓄積を得る」
「しかも、あの島の住人たちは、もう“本国から捨てられている”。
正規軍が救援を送る見込みはない」
「ならば、無血で制圧しよう。武力を振るう前に、敵の“名誉”を削り取る」
ツラギに向けた冷笑
「ところで……ツラギ・カナメには、もう“帰還勧告”は送ってあるのか?」
「一応形式的には送ったが、どうせ“交渉成立のためには現地視察が必要”などと抜かして島に残るだろう」
「愚かにも程がある。
……まるで、犬が自ら鎖を噛みに来るようなものだ」
「せめて……その屍を盾に、後から口実だけ作ってやればよい。
“和平を望んだ人間がいたが、我らは裏切られた”──とね」
円卓の空気が、冷笑と策略で満たされる。
「名もなき騎士たち、霊巫女、魔導騎士、老将。
すべて歴史から削られた存在たち……消えるには、丁度よい名簿だ」
その時、ひとりの影が口を開いた
円卓から少し離れた場所に立つ、白銀の鎧を纏った男――
ノルド帝国近衛第四部隊長、ヴァルド=ゼルギウス。
寡黙で知られるこの戦士が、低い声で言った。
「……ひとつ、警告だけを述べておこう。
“将軍”と呼ばれるあの男……ジェネラル・オルデンは、ただの老将ではない。
俺は十年前、北境の戦線で彼の布陣に一度敗北している」
「敗北? 君が?」
アゼルが眉を上げた。
「正面からの戦いではない。だが、こちらが仕掛けた三方向陽動の裏を一瞬で読み、
我が魔導中隊を“魔法を一切使わず”壊滅させた。あれは……“魔法より怖い男”だ」
会議室に一瞬の沈黙が落ちる。
「面白い……ならば、その伝説、終わらせてやろう。
歴史に残らぬ英雄など、真の力の前には塵にすぎぬ」
ノルド帝国の侵攻は、すでに始まっていた。
霧の奥で静かに、牙を研ぎ澄ませて――