第一章―四 巫女が見た背中(過去の救い)
守霧島に夜が訪れる。
霊脈塔の奥――白い帳を下ろした神域にて、巫女ナガト・ヒメカは静かに火を灯していた。
霊の声が、今夜は妙に騒がしい。
北の風が乱れ、古い結界が軋んでいる。
「……また、あのときと同じ匂いがする」
ヒメカは目を閉じた。
記憶の奥底に、決して忘れられない“あの日”がある。
数年前、神聖評議国領・北方宗教自治区
かつてヒメカは、「旧霊脈信仰」の巫女たちと共に暮らしていた。
だが大戦末期、評議国が禁術根絶政策を強行したことで、旧信仰に属する者たちは“禁霊派”として追放の対象となった。
巫女たちは追われ、国境を越えることも許されず、逃げ場を失いながら飢えと寒さに沈んでいた。
そんな彼女たちを、密かに救った一人の軍人がいた。
――それが、ジェネラル・オルデンである。
「命を捨てるな。信仰を失っても、人として生きろ。
この許可証を見せろ。私は“帰属者移動”として処理する。……だがこれは命令違反だ。言うな」
そのとき、彼は数十枚の“亡命証書”を偽造し、評議国の目をかいくぐって巫女たちを北の孤島へと導いた。
正規の命令ではなかった。
むしろ軍法では“利敵行為”にも見なされかねない行動だった。
だが、彼はそれを迷わず実行した。
そのおかげで、ヒメカを含む霊巫女たちは今も生きていた。
現在──守霧島・霊脈塔
ヒメカはそっと結界を張り終えると、隣の通路に立つオルデンに気づき、静かに頭を下げた。
「将軍。あのとき、あなたが命令に背いてまで救ってくださったこと……私たちは忘れておりません」
「私は命を助けたのではない。
“可能性を捨てなかった”だけだ。
巫女がいなければ、今この島の霊脈は守れなかった」
オルデンはヒメカの目を見て、そう言った。
その声音に、感情の揺らぎはない。だが、それがヒメカにとって何よりも重かった。
「……ならば今度は、私が可能性を捨てません。
霊の声が言っています。“この戦は名を遺さぬ。だが、魂を試す”と」
「名は要らん。命だけ、繋いでくれ」
ヒメカは頷いた。
あの日救われた巫女が、今度はこの島を守る一柱として立つ。
それが、彼女の誓いだった