第一章―三 霧に消えた騎士たち(回想)
静かな夜だった。
守霧島の指令室。
地図の上に置かれた小さな碁石が、無言の緊張を放っていた。
ジェネラル・オルデンは腕を組みながら、戦術配置表を見つめていた。
セイラン・カミヤはその隣に立ち、何も言わずに待っていた。
「……思い出すな。あの夜を」
オルデンがぽつりと呟く。
「あの夜……“霧迷域”での撤退戦か」
「そうだ。あれが、騎士団を“守り抜いた”最初の仕事だったな」
回想:三年前・霧迷域(旧西方戦線)
「撤退せよ」と命じられたとき、すでに騎士団は包囲されていた。
敵は魔族との混血兵、魔眼を持ち、霧の中でも正確に追尾する暗殺型兵部隊。
逃げ道はないと思われていた。
セイラン率いる第七騎士団は、壊滅を覚悟して最後の陣形を組もうとしていたそのとき――
「“全軍、撤退陣形へ”。霧に紛れ、島影へ移動。騎士団は戦うな、逃げろ」
それは、司令部から届いた異例の命令だった。
「これは……将軍の、判断か?」
伝令からそう聞いたセイランは、目を見開いた。
霧に紛れる“完全撤退”作戦
その夜、ジェネラル・オルデンは、撤退中の騎士団を“霧の幻術”と“魔力反応の分散符”によって完全に隠蔽する策を講じていた。
複数の焚き火を囮に設置し、敵に“残存部隊”の存在を誤認させる。
魔導機兵を逆方向に進ませ、敵の追尾を誘導。
騎士団には“武器を抜かせない”ことで、魔力探知から除外。
こうして霧の中、まるで影が溶けるようにして、三百名を超える騎士たちが一人の犠牲もなく戦場から姿を消した。
「おかげで、あの時の騎士たちは皆生き残った」
セイランは静かに言った。
「だが、もしあの時……“戦って名誉を守れ”と命じていたら、我々は今、ここにはいなかったでしょう」
オルデンは目を細める。
「名誉とは、命あってこそ残せるものだ。
……君が“騎士団を逃すために剣を収めた”あの決断があったからこそ、今の島を守れる」
セイランはわずかにうつむき、苦笑した。
「……私が剣を納めたのではない。“信じて従った”のです。
――あなたという将軍を」
外では、また霧が深くなっていた。
だがその霧の奥には、再び戦いが訪れようとしていた。
そして今度は、逃げるための撤退ではない。
守るための“最後の布陣”だった。