第一章―その1 沈黙の兵器
守霧島の北西端――霊岩岬。
濃霧の彼方に崖が続き、視界は悪く、風も強い。だがこの地こそ、かつて人族が魔法と科学を融合して作り上げた長距離攻撃装置、《雷閃砲陣》が設置されていた場所だった。
今は封鎖され、使用禁止となっている。
本国から正式に“解体命令”が下っていた。
理由は「降伏条約に反する攻撃的兵装」「外交上の刺激を避けるため」。
だが。
「──解体作業は中止だ。むしろ、起動準備に入れ」
灰色のマントを風になびかせながら、ジェネラル・オルデンは霊岩岬の警備兵に命じた。
傍らには、整備班の技術将校たちが顔を青くして立っている。
「じ、ジェネラル。これは本国の正式命令です。中央評議会の命令を無視するというのは――」
「無視ではない。延期だ」
「で、ですが! 書類には“全解体、部品は本国回送”と明記されており……!」
オルデンは静かに、だが鋭く整備将校を見た。
「……“戦わずして勝つ”というのは、外交官の幻想だ。
戦を知る者は、備える。撃たずとも、狙えるという事実が戦争を止める。
この砲陣は、ここにあるだけでいい。撃たぬならば、条約違反ではない」
整備班の者たちは、互いに顔を見合わせる。
そのとき、別の軍務官が肩をすくめながら口を開いた。
「まあ……砲陣が“完全に解体された”という報告書は、まだ提出していませんでしたからな。
“作業中の誤送信”という処理も可能かと」
「ならば進めろ」
オルデンは即答した。
「照準は北の海。最大射程、精霊波準拠で第三層まで対応。
起動術式は中枢霊術師ナガト・ヒメカの監修を受けろ。もしこの砲が必要になるときが来れば……それは、最も避けたい状況のときだ」
数時間後、霧に紛れるように《雷閃砲陣》の再起動準備が始まった。
砲塔に接続された霊脈安定装置が、低く脈打つ音を立て始める。
中央からの監査が入らぬこの島だからこそ成せる、ギリギリの“裏の動き”。
オルデンは完全にそれを読んでいた。
その様子を、高台から一人の男が眺めていた。
赤黒い外套、魔導回路が刻まれた金属の義手――イケナ・ダイスである。
「……将軍がこうもあからさまに準備に走るとはな。
俺たちが無茶して動いていた頃と、少しも変わっちゃいねえ」
イケナは煙草のような魔法草を口に咥え、乾いた笑みを浮かべる。
やがてオルデンの背後に現れると、声をかけた。
「兵器ってのは、使わないまま終わるのが理想って、あんた昔よく言ってたな」
「ああ。だがそれは、“使える状態”にしておいた場合に限る」
「……本国からは、完全に“見限られてる”って自覚はあるのか?」
「ある。だがあのツラギという男が、ノルド帝国を信じ切った時点で、ここは“国の外”になった」
オルデンは、遠く北の海を見つめる。
霧の向こうに、気配があった。確信ではない。だが直感が告げていた。
「来るぞ、イケナ。奴らはすでに“条約”という皮を脱ぎ捨てている。
私たちは――それに気づかぬふりをして見殺しになるか、
あるいは、名も残らぬままでも、島を守る者で在るかだ」
イケナは苦笑いを浮かべた。
「しんどい方ばっか選ぶ将軍だな。
……けどまあ、そういう将軍じゃなきゃ、俺はついてこなかったよ」
「兵器というのは、“信頼”で撃つものではない。
この砲も、私たちの判断も、霧を晴らすためにある」
魔力制御塔の灯が、静かに青白く点灯した。
霧の中で、無音のまま、その光が“狙いを定める者の目”のように輝いていた。