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第一章 霧の中の違和感

霧が深い朝だった。

いつものことだ。守霧島において、霧が晴れる日など年に数度もない。

空も海も、何もかもが灰色のヴェールに覆われ、視界は五十メートル先で飲まれる。


「なあ、マジで帰れるんだろ? 本国の命令、正式なんだよな?」


兵舎の食堂で、若い兵士たちが湯気の立つパンをかじりながら笑い合っていた。

終戦から三日。もう銃を持って立つ理由もなくなり、肩の荷は下ろされた。


「なあんだよお前、今さら怖いのか? ノルド帝国とは“条約”があるんだぜ? 不可侵!不可侵!」


「わはは、そうだよな! あいつらが攻めてくるわけないじゃん。

それにさ……俺、こないだ後方勤務の女の子に手紙出したんだよ。帰ったら会う約束してんだ」


「おおお、やるじゃん!」


場は笑いに包まれていた。

疲弊と緊張がほどけ、ようやく訪れた平和の錯覚。

そこには、かつての戦場の空気など微塵も残っていない。


だが。


「その笑い声、今のうちにな」


低い声が背後から飛んだ。


全員が一斉に背筋を伸ばした。振り向くと、黒の軍衣をまとった男が立っていた。

軍帽の下の瞳は鋭く、しわ一つ動かさぬ顔に、凍てついた重みがある。


ジェネラル・オルデン。


「お、おはようございます……!」


誰からともなく敬礼が始まり、兵士たちの背中が次々にピンと伸びていく。

オルデンはゆっくりと歩き、壁の地図に貼られた“撤退計画案”を睨みつけた。


「全線縮小、二十四時間以内の装備整理……」

彼は呟くように言い、パンをかじる兵士に目をやった。


「胃袋が緩むのは結構だが、腰まで緩めるな。霧の向こうに、まだ敵はいないと思っているか?」


「え……あ、はい。終戦ですし……」


「敵は、霧の中にこそいる。霧は“隠す”ために存在していると、まだ知らんのか」


静かな言葉だったが、その場の空気は瞬時に凍った。


その日の昼。

島の司令部では、各部隊の代表が集まり、“帰還準備”の最終確認が行われていた。


「我が騎士団も、本国からの通達に従い、武具の封印を開始しております」

蒼炎の楯・騎士団長、セイラン・カミヤが淡々と報告した。


鍛え抜かれた若き剣士で、軍帽の代わりに赤い羽飾りを差した金の髪を揺らしている。

だがその言葉とは裏腹に、彼の瞳は鋭く、オルデンの顔をじっと見据えていた。


「……本当に、これでいいのですか? 将軍」


セイランの問いに、オルデンは無言で首を振った。


「答えを言えば、本国は何も見ていない。

ツラギ政導審官が“ノルドは味方だ”と信じ込んでいる限り、我々には自由などない。

だが、兵の命を預かる者として、可能性を捨てるわけにはいかん」


「では……」


「騎士団には“形式上の封印”だけを進めておけ。だが、霊脈の巡りを忘れるな。

いつでも“霧を斬れる”状態にしておけ」


セイランの口元に、かすかに笑みが浮かんだ。


「了解。将軍も相変わらずですね。言外に命令を詰め込むところとか」


「お前も変わらんな。やる気は隠しておけと言っておいただろうが」


「やる気ではありません、“準備”です」


二人のやり取りに、場の緊張が微かに緩む。


だが、その瞬間、霊脈塔を担当する巫女の一人が飛び込んできた。


「報告……北の霧に、“揺れ”があります。魔素濃度が急上昇……これは、ただの自然現象では――!」


場が再び凍りついた。


「セイラン。非常連絡網を展開。

イケナには“装甲機”の起動準備を。霊巫女には式盤の再調整を命じろ。敵は――来るぞ」


ジェネラル・オルデンは立ち上がり、司令部の全員を見回した。


「これはもう、防衛ではない。

これは“記録に残らぬ戦い”だ。

だが――俺たちは、負けん」

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