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時は戻ったけど、もう疲れたので全て傍観します。  作者: アムリ


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2/2

後編

 ――きらびやかなシャンデリアが輝く、王宮の大広間。


 楽団による控えめな演奏が流れ、着飾った貴族たちが談笑している。一周目に来た時と同じ光景のはずなのに、セドリック様が隣にいるだけで、全く違う場所のように感じられた。


 私たちは、国王陛下と王妃陛下へ挨拶を済ませた後、他の貴族たちからの挨拶を受けた。

 セドリック様が事前に根回ししていたおかげか、あるいは私の「良い噂」が広まっていたおかげか、一周目のような侮蔑や好奇の視線はほとんど感じられなかった。むしろ、どこか敬意のこもった、あるいは好意的な視線さえ向けられている気がした。


(本当に……違う……)


 セドリック様は終始、私をエスコートし、他の男性が近づこうとするとさりげなく牽制し、私の飲み物がなくなりそうになるとすぐに新しいものを用意してくれた。その完璧なまでのエスコートぶりは、周囲の令嬢たちの羨望の的となっているようだった。


 しばらくすると、会場の一角が少しざわついた。

 見ると、そこには淡いピンク色のドレスを着た、可憐な少女が立っていた。間違いない、リリア・ウッドワードだ。


(……来た)


 私の体が、また無意識にこわばる。

 リリアはこちらに気づくと、少し緊張した面持ちで、しかし真っ直ぐに私たちの方へ歩いてきた。セドリック様が、私の前に半歩進み出る。


「セドリック殿下、オリヴィア様。ごきげんようございます」


 リリアは深々とカーテシーをした。その所作は、貧乏貴族 (という設定になっている) とは思えないほど洗練されているように見えた。これも、一周目とは違う点だ。


「ウッドワード嬢。息災そうで何よりだ」


 セドリック様は、穏やかではあるが、どこか壁を作るような口調で応じた。


「オリヴィア様。先日は突然のお手紙失礼いたしました。今夜、こうしてお目にかかれて光栄ですわ」


 リリアは私に向き直り、柔らかな笑顔を向けた。その笑顔には、一周目の時に感じたような棘は、不思議と感じられなかった。


「……こちらこそ」


 私はなんとか、それだけを返した。


「オリヴィア様は、本当に慈悲深い方だと伺っております。教会へのご寄付、心より感謝申し上げます。おかげで、たくさんの子供たちが助かりましたの」


「……そう」


「もしよろしければ、今度、子供たちの様子をご覧になりませんか? きっと、オリヴィア様もお喜びになると思いますわ」


 リリアは、純粋な好意から誘っているように見えた。

 けれど、私は警戒を解けなかった。一周目の経験が、どうしても彼女を信じさせてくれない。


 私が返答に窮していると、セドリック様が割って入った。


「オリヴィアはまだ本調子ではないのでね。遠出は難しいだろう。気持ちだけ、有り難く受け取っておこう」


「……さようでございますか。残念ですわ」


 リリアは少ししょんぼりとした顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「ですが、また機会がございましたら、ぜひ!」


 その時だった。

 一人のウェイターが、トレイに乗せたグラスを持って、私たちのすぐそばを通りかかった。そして、まるで何かに(つまづ)いたかのように、大きくバランスを崩したのだ。


(――っ!? まさか!)


 一周目と同じだ! あのウェイターが持っているのは、赤いワイン!

 このままだと、リリアに――いや、今回は私のドレスにかかるかもしれない!


 咄嗟に身を引こうとした、その瞬間。


 セドリック様が、私を庇うように前に立ち、素早くウェイターの腕を掴んだ。

 音を立てていくつかのグラスが床に落ちて割れたが、幸いなことに、ワインが誰かのドレスにかかることはなかった。


「……大丈夫か、オリヴィア」


 セドリック様は、私を振り返って心配そうに尋ねた。


「え、ええ……ありがとうございます、殿下……」


「……も、申し訳ございません!」


 ウェイターは真っ青になって平謝りしている。周囲の注目が一気に集まる。


「怪我はないか?」


 セドリック様はウェイターにも声をかけた。


「は、はい……誠に申し訳ございません、殿下……!」


「……ふむ。テーブルに手をついたつもりが、少し飲みすぎたかな? 急に腕を掴んでしまいすまなかった。下がって休むといい」


 セドリック様は、特に咎める様子もなく、それどころか自分が失態を被ったうえでウェイターを下がらせた。


 何事もなかったかのように、場はすぐに落ち着きを取り戻した。

 しかし、私の心臓はまだ、バクバクと音を立てていた。


(……助けてくれた……)


 セドリック様が、私を守ってくれた。

 一周目の、あの悪夢のような瞬間とは、全く違う結果になった。


「……大丈夫ですか、オリヴィア様?」


 リリアも心配そうに声をかけてきた。


「ええ……ありがとう、ウッドワード嬢」


 私は呆然としながらも、礼を言った。

 彼女の瞳には、やはり悪意のようなものは感じられない。ただ、純粋に心配しているように見えた。


(一体、どうなっているの……?)


 混乱する私を、セドリック様がそっとバルコニーへと誘った。



 ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よかった。


「……驚かせてすまなかった」


 セドリック様が、申し訳なさそうに言った。


「いえ……殿下のおかげで、助かりましたわ」


「……君を、危険な目に遭わせるわけにはいかないからな」


 彼は夜空を見上げながら、静かに言った。

 その横顔は、どこか張り詰めていたものが解けたように、穏やかに見えた。


「……殿下は、まるで知っていたかのようでしたわ。ああいうことが起こると」


 私は、思い切って揺さぶりをかけてみることにした。

 セドリック様は少し驚いたように私を見たが、すぐに諦めたように小さく頷いた。


「……ああ。……いや、正確には、起こる可能性が高いと、思っていた」


「それは……どういう」


 予想以上に核心に迫る物言いに、私のほうが口ごもってしまった。

 沈黙が流れる。


「……オリヴィア」


 先に口を開いたのは、セドリック様だった。


「私は……」


 彼は何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込んだ。そして、決意したように、真っ直ぐに私を見つめた。


「私は、オリヴィア。君を心から愛している」


「………………え?」


 予想していなかった言葉に、私の思考は完全に停止した。


「『前回』から……いや、もっと前から、ずっと君のことを見ていた。君の不器用さも、強がりも、本当は優しいところも、全部知っていたつもりだ。それなのに、私は……」


 彼の声は、痛切な響きを帯びていた。


「私が愚かだったせいで、君を……。だが、今度こそ……この機会を、絶対に無駄にはしない」


 彼は私の両手を取り、その青い瞳で、私の心を射抜くように見つめた。


「私が君を守り、幸せにしたいんだ」


(……彼も、やっぱり……)


 確信した。彼も、私と同じなのだ。

 あの断頭台の記憶を、あるいはそれに至るまでの苦しみを、共有しているのだ。


 涙が、勝手に溢れてきた。


 彼は私の涙を、指でそっと拭った。


「オリヴィア。……私と共に、未来へ歩んではくれないだろうか? 二人で、幸せな結末を掴み取りたいんだ」


 彼の真剣な告白。

 一周目では考えられなかった、優しい眼差し。

 そして、彼もまた、私と同じ痛みを抱えているのかもしれないという事実。


 私の心は、大きく揺れていた。

 傍観すると決めたはずなのに。もう疲れたと、諦めたはずなのに。


(……信じても、いいのだろうか)


 この温かい手を。この真摯な言葉を。


「……私、は……」


 答えを、すぐに出すことはできなかった。

 けれど、彼の申し出を、頭ごなしに否定することも、またできなかった。


「……少し、時間をいただけますか?」


 そう言うのが、精一杯だった。


 セドリック様は、私の返事に少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐに力強く頷いた。


「ああ、もちろんだ。君が納得できるまで、いくらでも待つつもりだ。……だが、私の気持ちは変わらない」


 そう言って、彼は私の手の甲にもう一度、優しく口づけた。


 その夜、私は久しぶりに、悪夢を見ずに眠ることができた。

 セドリック様の温かい手の感触と言葉が、私の心を穏やかに包んでくれていたからかもしれない。


 しかし、彼の口ぶりからすると、彼は彼で一周目に動いてくれていたようだ。

 それではなぜ、一周目があのような結末を迎えたのか。


 いくら考えてもその答えは出なかった。



 *



 あの夜会から、私の日常は少しずつ変わり始めていた。

 完全にベッドに引きこもることはなくなり、天気の良い日には庭園を散策したり、図書室で静かに本を読んだりする時間が増えた。侍女たちは私の変化を喜び、父や母も安堵しているようだった。


 もちろん、根本的に私がこの世界に()んでいることに変わりはない。けれど、セドリック様の存在が、澱んでいた水面に小石を投げ込んだように、小さな波紋を広げていたのだ。


 彼は、変わらず頻繁に私を訪ねてきた。

 以前のような一方的な語りかけではなく、私たちの間には少しずつ、自然な会話が生まれるようになっていた。


「その本は、古代魔法に関するものか? 興味深いな」


「ええ。……少し、気分転換に」


「そうか。……無理はするなよ」


 彼は私の体調を常に気遣い、決して急かすようなことはしなかった。その穏やかさが、かえって私の心を解きほぐしていく。


 庭園を散策している時も、彼は黙って隣を歩いてくれた。私がふと立ち止まって花を眺めれば、その花の名前や逸話を教えてくれる。私が疲れた素振りを見せれば、すぐに近くのベンチに座るよう促してくれる。


 その細やかな気遣いは、一周目の彼からは想像もできないものだった。そして、彼の言動の端々から、やはり彼も知っている(・・・・・)のだという確信が深まっていく。


「この白い薔薇、見事だな。……君は、派手な赤い薔薇よりも、こういう清楚な花の方が似合うと思う」


「……殿下は、本当に私の好みをよくご存じですわね」


 私が少し意地悪く言うと、彼は一瞬言葉に詰まり、そして照れたように笑った。


「……君のことだからな。当然だろう?」


 そんな風にはぐらかされても、もう私は騙されなかった。彼は、一周目の記憶を持っている。そうでなければ、説明がつかないことが多すぎる。


(でも、どうして……? どうして、一周目の彼は……)


 あの冷淡さの理由が、どうしても分からなかった。私と同じ記憶を持っているのなら、なぜあの時、私を助けてくれなかったのか。むしろ、突き放すような態度を取ったのか。


 疑問は募るが、それを直接彼にぶつける勇気はまだなかった。


 もし、彼が記憶持ちであることを否定したら? あるいは、私が記憶を持っていることを知られたら、彼はどう思うだろう?



 *



 この頃の私の頭の中では、もしかしたらこのまま穏やかな日々が送れるのではないか、なんて淡い期待が首をもたげていた。


 慢心が……油断があったのだと思う。


 そんなある日、いつものようにセドリック様と図書室で過ごしていた時のことだ。


 私たちは、とある歴史書を一緒に読んでいた。


 それは過去に起こった王位継承争いに関する記述で、そこには濡れ衣を着せられて処刑された王族の話も含まれていた。


「……ひどい話だわ。何の罪もないのに、周囲の陰謀だけで断罪されるなんて」


 思わず、私は呟いていた。一周目の自分の姿が、その記述に重なって見えたのだ。


「ああ、全くだ。歴史には、時として非情な一面がある」


 セドリック様も、静かに同意した。


「断頭台の露と消えるためだけに、生まれてきたようなものじゃない。まるで、私みたいに……」


 そこまで言って、私はハッとした。

 断頭台――その言葉は、あまりにも生々しすぎた。一周目の、あの最後の瞬間の記憶。だから思わず口を衝いて出てしまった。


 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 隣にいたセドリック様が、息を呑む気配がした。


 彼がゆっくりと、私の方を向く。その青い瞳が、信じられないものを見るように、大きく見開かれていた。


「……オリヴィア……? 君、今……なんと……?」


彼の声は、震えていた。


「断頭台……? 私みたい(・・・・)……? 君も……まさか、君も……覚えているのか……?」


 彼の動揺は、尋常ではなかった。顔は青ざめ、その体は微かに震えているようにさえ見える。

 いつもの穏やかで自信に満ちた姿は、そこにはなかった。


(……ああ、やっぱり……)


 彼の反応を見て、私は全てを悟った。

 彼もまた、あの瞬間を知っている。そして、私がそれを覚えていることに、今、気づいたのだ。


「……ええ」


 私は、静かに頷いた。もう、隠す必要はないと感じた。


「覚えていますわ。あの冷たい刃の感触も、嘲笑う民衆の声も……そして、あなたの冷たい瞳も」


 私の言葉に、セドリック様は打ちのめされたように、がくりと肩を落とした。彼は両手で顔を覆い、絞り出すような声を漏らした。


「……ああ……! なんということだ……! 君も……君まで、あの地獄を……!」


 彼の指の間から、苦悶に満ちた表情が覗く。

 そして、突如「そうか!」と、何か確信に至ったかのように背筋が伸びた。


「そうだったのか……! ああ……私が……私が至らなかったばかりに……! 君に、あんな……あんな思いをさせていたなんて……!」


 罪悪感と後悔。彼の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちるのを見て、私は驚いた。

 彼が、こんな風に感情を露わにするなんて。


「どうして思い至らなかった!! くそっ……知らなかったんだ……! 君も記憶を持っているなんて、考えもしなかった……! ただ、私だけが……私だけがあの悲劇を知っていて、今度こそ君を救わなければと……そればかり考えて……!」


 彼は嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。

 その姿は、あまりにも痛々しく、私の胸を締め付けた。


(……この人も、苦しんでいたんだ……)


 私と同じように、あるいはそれ以上に、一周目の記憶に苛まれていたのかもしれない。

 そして、私を救えなかったことを、ずっと悔いていたのかもしれない。


 私はそっと、彼の震える肩に手を置いた。

 彼はびくりと体を震わせたが、私の手を振り払うことはしなかった。


「……殿下」


「……っ」


「もう、いいのです。終わったことですから」


「だが……!」


「ええ、辛かった。苦しかった。……死ぬ瞬間まで、あなたのことを恨んでいたかもしれません」


 私の言葉に、彼はさらに深く顔をうずめた。


「でも……今のあなたを見ていると……なんだか、もう、どうでもよくなってしまうのです」


 それは、私の本心だった。

 彼の涙を見て、彼の苦しみを知って、一周目の彼への恨みは、不思議と薄れていくのを感じた。


「……オリヴィア……」


 彼はゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた瞳は、深い後悔と、そして私への強い想いを映し出していた。


「違う……私の……君の苦しみは……私のせいなのだ……」


「え……?」


「……許してくれとは言わない。だが、これだけは信じてほしい。私は、決して君を憎んでいたわけではない。むしろ……」


 彼は言葉を切り、私の手を強く握りしめた。


「君を、誰よりも大切に思っていた。だからこそ……あんなにも、すれ違ってしまったんだ」


「……すれ違い?」


「そうだ。前回……「一周目」としようか。私が君に冷たくしていたこと……いや、結果的にそうなってしまったことには、理由があったんだ。……私が気づいてしまったこと、すべて説明しよう」


 私は息を呑んだ。彼が隠していた秘密。その核心に触れる時が来たのだ。


 セドリック様は深呼吸を一つすると、意を決したように語り始めた。


「私は……『異世界の記憶』……君が悪役として断罪されるという知識を持っていた。だから、必死だったんだ。どうにかして、君をその運命から救い出さなければ、と」


「……!」


「私は君自身も記憶を持っているとは、夢にも思っていなかった。だが……今わかった。君は、いや君()、運命に抗おうと、独自に行動していたんだな」


 彼の声には、深い悔恨の色が滲んでいた。


「私は、君が筋書き通りに『悪役令嬢』として動いてしまうことを恐れていた。だから、君の行動を監視し、危険な芽を事前に摘もうとしていた。君がリリア嬢に近づこうとすれば、それを阻止しようとした。君が誰かと親しくなれば、その相手を調べ上げ、君を唆していないか警戒した」


「……それが、あの冷たさの理由……?」


「ああ……。君から見れば、私が君を疑い、距離を置いているようにしか見えなかっただろう。だが、私は君を守りたい一心だったんだ。……しかし、それが間違いだった」


 彼は唇を噛みしめた。


「君は筋書き――シナリオに抗おうとしていた。善行を積み、ヒロインとの接触を避けようとしていた……そうだろう?」


 私は、黙って頷いた。


「君のその真意を、私は汲み取れていなかった。君が貧しい人々に寄付をしていたことも、陰で人助けをしていたことも……私は、君自らが破滅を回避しようと必死だったことに、全く気づけていなかったんだ」


 彼は、苦々しい表情で続けた。


「そして、最悪なことに、私たちの行動は、ことごとく裏目に出てしまった。互いの行動が、互いの足を引っ張り合う結果になったんだ」


「……どういうことですの?」


「例えば……君が侯爵家の令息と親しくしていた時期があっただろう? 私は、その令息が君を利用しようとしているのではないかと疑い、彼の身辺調査をしていた。だが、君からすれば、私が君の交友関係に口を出し、邪魔をしているようにしか見えなかったはずだ」


 言われてみれば、そんなことがあった気がする。あの時、私はセドリック様の干渉に腹を立て、彼への不信感を募らせたのだ。


「君が教会へ多額の寄付をした時もそうだ。私はちょうど、その教会が関与していると噂された貴族の不正を探っていた。君の寄付が、私の知らないところで行われたために、私は一瞬、君がその不正に関わっているのではないかと疑ってしまった……。もちろん、すぐに誤解だと分かったが、その時の私の冷たい態度を、君は感じ取ってしまったかもしれない」


 あの時の、彼の探るような視線。理由が分からず、ただただ傷ついた記憶が蘇る。


「極めつけは、リリア嬢とのことだ」


 苦しそうに、彼は言葉を続ける。


「君は彼女を避けようとしていた。だが、私はシナリオの進行を把握するため、彼女の動向を探っていた。その結果、君がリリア嬢を避けようとすればするほど、なぜか私と彼女が一緒にいる場面に遭遇してしまう……そんな状況が生まれてしまった。君には、私がリリア嬢ばかりを気にかけ、君を蔑ろにしているように見えただろう。そして、私には……君が異常なまでにリリア嬢に執着し、嫌がらせをしようとしているように見えてしまったんだ……」


「セドリック様……」


「愚かな私はそのとき、私が何をしても君は『悪役』になってしまうのか、などと、無様に苦しんでいたのだ……!」


 セドリック様は、頭を抱えるようにして呻いた。


「良かれと思ってしたことが、全て逆効果だった。君の善行は、私の知らないところで『偽善』や『計算』だと噂された。君がシナリオを回避しようとする行動は、私がそれを阻止しようとする行動と衝突し、君をさらに孤立させた。挙げ句、私が君を守るために取った距離は、君の心を深く傷つけた……! 私は運命を変えようとしながら、結局君を破滅へと追いやってしまっていたんだ……!」


 衝撃的な告白だった。


 世界の強制力や、見えない介入者がいたのかどうかは、今もわからない。


 だが一番の原因は、私たち自身の、不器用で、独りよがりな行動が引き起こした、すれ違いの連鎖。それこそが、私を断頭台へと導いた真実だったのだ。


(……なんて、皮肉な……)


 胸の奥にあったわだかまりが、完全に消え去っていくのを感じた。恨みも、怒りも、今はもうない。

 ただ、深い悲しみと、そして、目の前で苦しんでいる彼への、抑えきれないほどの愛しさがこみ上げてきた。


「……もう、いいのです、セドリック様」


 私は、彼の涙をそっと指で拭った。


「お互い様、ですわ。私も、あなたの真意に気づけなかった。自分のことばかりで、あなたの苦しみに思い至らなかったのですから」


「オリヴィア……」


「でも、今は違いますわ。私たちは、もうすれ違ったりしない」


 私は、彼の手を強く握り返した。


「今度こそ、二人で、ちゃんと前を向いて歩いていきましょう? あなたを信じます。だから、あなたも私を信じてください」


 私の言葉に、セドリック様は驚いたように目を見開いた後、ゆっくりと、しかし力強く頷いた。彼の瞳に、再び強い光が宿る。


「……ああ、信じるとも。オリヴィア。君となら、どんな運命だって変えられるはずだ」


 私たちは、しっかりと互いの目を見つめ合った。

 過去の過ちと痛みを乗り越え、ようやく手を取り合えた瞬間だった。



 *



 それからの日々は、穏やかでありながらも、どこか決意に満ちたものだった。

 私たちは、互いに隠し事をせず、これから起こりうる原作イベントについて情報を共有し、対策を練った。


「現状、イメージアップ作戦が功を奏している。君を取り巻く環境は大きく改善しているはずだ。だが()はゼロというわけではない。君の家、地位が要因の場合、どんなに人柄が良くとも関係がないからね。むしろ、より危険視されるかもしれない」


 私は静かに頷いた。


「卒業記念パーティーでは、確か私がリリア嬢を転ばせたという濡れ衣を着せられるはずですわね。そしてそこから()の断罪劇が始まる……」


「ああ。だが、心配はいらない。今回は私が常に君のそばにいるし、万が一に備えて、信頼できる護衛も配置しておく」


「王宮での裁判……あれが一番の難関でしょうか」


 原作では卒業記念パーティでの断罪を逆恨みしたオリヴィアが、食事に毒を盛ることでヒロインの殺害を試みるのだった。

 しかしオリヴィアに愛想を尽かしていた彼女の家の者の密告により、すべてが表沙汰になる。


 多くの者の身を危険に晒したとして、オリヴィアは処刑されることになってしまうのだった。


「そこが正念場だろうな。そもそも裁判にかけられることが無いようにしたいが……備えあれば憂いなし、だ。一周目の反省を生かして、今回はあらゆる証拠を集めてある。君の無実を証明する準備は万端だ」


 セドリック様の周到な準備と、私の記憶。そして何より、互いへの揺るぎない信頼。それが、私たちの最大の武器だった。


 やがて、卒業記念パーティーの日がやってきた。

 会場の雰囲気は、夜会の時よりもさらに華やかで、そしてどこか張り詰めているように感じられた。これが、原作における断罪への序章となる場所なのだ。


 セドリック様は宣言通り、片時も私のそばを離れなかった。リリア嬢も会場にはいたが、彼女は友人たちと談笑しており、特にこちらに絡んでくる様子はない。

 二周目の彼女は、本当に原作とは違う道を歩んでいるのかもしれない。


 しかし、原作の強制力なのか、あるいは単なる偶然か。

 パーティーの中盤、予想していた「事件」は起こった。


 一人の貴族令嬢が、まるで示し合わせたかのように私にぶつかり、大きくバランスを崩した。

 咄嗟に私は彼女の腕を取って抱きとめる。


「きゃっ! ご、ごめんなさい、オリヴィア様!」


 令嬢はわざとらしく悲鳴を上げた。周囲の視線が一斉に集まる。


 しかし、私は冷静だった。隣にいるセドリック様の存在が、私に落ち着きを与えてくれていた。


「まあ、大丈夫ですわ」


 私は穏やかに微笑み、侍女にハンカチを持ってくるよう目配せした。


 私の予想外の反応に、ぶつかってきた令嬢は一瞬戸惑ったような顔を見せたが、すぐに気を取り直して、なおも騒ぎ立てようとした。


「でも、大切なドレスが……! 私の不注意で……!」


 たしかに、彼女が握るように掴んだせいで、生地がほんの少し裂けてしまったようだ。


 だが、首を刎ねられることに比べれば些細な問題だった。


 穏やかな表情を崩さない私に、令嬢は訝しむような視線を向けてくる。


 その時、セドリック様が静かに前に出た。


「気にする必要はない、令嬢。これはただの事故だ。それより、君こそ怪我はないかな?」


 彼の落ち着いた、しかし有無を言わせぬ声に、令嬢は怯んだように口をつぐんだ。

 周囲の貴族たちも、「なんだ、事故か」「オリヴィア様も寛大だな」と、すぐに興味を失った様子で散っていく。


 あっけないほど簡単に、最初のフラグは回避された。

 私とセドリック様は、小さく目を見交わし、安堵の息をついた。



 しかし、本当の戦いはこれからだった。


 パーティーの後、私に対する様々な誹謗中傷が流れ始めた。


「オリヴィア嬢が下位貴族の娘を脅迫していた」、「オリヴィア嬢が不正な手段で富を得ている」、しまいには「オリヴィア嬢が劇物の流布を目論んで国家転覆を図っている」など、根も葉もない噂ばかりだ。一周目ならば、これらが断罪の根拠として利用されただろう。


 そして、ついに王宮から召喚状が届いた。名目は「王国の秩序を乱す疑いのある者への事情聴取」。事実上の、断罪裁判の始まりだった。



 裁判の日。私はセドリック様と共に、王宮の広間へと向かった。傍聴席は貴族たちで埋め尽くされ、重苦しい空気が漂っている。国王陛下が玉座に座り、その隣には宰相や大臣たちが並んでいる。


 告発役の貴族が、次々と私に対する罪状を読み上げていく。しかし、私の心は不思議と落ち着いていた。隣にいるセドリック様の存在が、私を支えてくれていたからだ。


 全ての告発が終わると、国王陛下が私に発言を促した。

 私は立ち上がり、傍聴席と玉座を真っ直ぐに見据えた。


「陛下。並びに、ご列席の皆様。わたくし、オリヴィア・ヴァーミリオンにかけられております嫌疑は、全て事実無根でございます」


 凛とした声で、私は言い切った。ざわめきが起こる。

 一周目のように、怯えたり、取り乱したりする私を予想していたのだろう。


「脅迫? 不正な蓄財? 挙句の果てに国家転覆ですって? 全て、何の証拠もない、悪意ある憶測に過ぎませんわ」


「証拠がないだと?」告発役の貴族が声を荒らげる。「ここに、証人がいる!」


 数人の男女が証言台に立ち、私がいかに横暴で、悪辣な人間であるかを語り始めた。しかし、その証言は曖昧で、矛盾点も多い。


 全ての証言が終わった時、セドリック様が静かに立ち上がった。


「陛下、よろしいでしょうか」


 国王陛下が頷くと、セドリック様は用意していた書類の束を手に、証言台の前に進み出た。


「ただいまの証言には、いくつかの看過できない矛盾と、そして明白な虚偽が含まれております」


 彼は落ち着いた声で、一つ一つ証言の矛盾点を指摘し始めた。そして、用意していた証拠――アリバイを証明する書類、金の流れを示す帳簿、そして証言者たちの裏の顔|(借金、個人的な恨みなど)を示す調査報告――を次々と提示していった。


 彼の緻密な反論と、揺るぎない証拠の前に、告発者たちの顔はみるみる青ざめていく。傍聴席の雰囲気も、明らかに変化していた。


「そして何より」セドリック様は、会場全体を見渡して言った。


「オリヴィア――私の婚約者が、そのような卑劣な行いをする人間ではないことを、この私が誰よりもよく知っております」


 彼は私の方を向き、優しい眼差しを送った。


「彼女は、不器用で、誤解されやすいところはありますが、その心根は誰よりも優しく、高潔です。そのような彼女が、謂れのない罪で断罪されることなど、断じてあってはなりません」


 彼の言葉は、強い説得力を持って広間に響き渡った。

 もはや、誰も私を疑う者はいなかった。


 最終的に、国王陛下は私の無罪を宣言した。

 そして、偽証を行った者、悪意ある噂を流した者たちには、厳しい処罰が下されることになった。


 広間が安堵と祝福の空気に包まれる中、私はセドリック様の隣で、静かに涙を流していた。

 それは、悲しみや悔しさの涙ではなく、安堵と、そして込み上げてくる喜びの涙だった。


「……終わったのですね」


「ああ、終わったんだ、オリヴィア」


 セドリック様は、優しく私の肩を抱き寄せた。


「もう何も心配いらない。君の未来には、幸せしかないよ」





 王宮での裁判から数ヶ月後。

 私とセドリック様の婚約は、国王陛下からの祝福を受け、正式なものとなっていた。


 かつての悪役令嬢という不名誉な噂は完全に払拭され、私はセドリック様の献身的な愛に支えられ、穏やかで幸せな日々を送っていた。


 あんなに嫌で、逃げ出したかったはずの生活も、今は悪くないと思える。セドリック様が隣にいれば、どんなことも乗り越えられる気がした。



 ある晴れた日の午後、私たちは庭園のテラスで、お茶を飲んでいた。


「それにしても、不思議なものですわね」


 私がカップを置きながら言うと、セドリック様が「何がだい?」と微笑みながら尋ねた。


「一周目のこと……。あんなに必死だったのに、どうしてあんなにも上手くいかなかったのかしら、と」


「……そうだね」セドリック様も、少し遠い目をして頷いた。「今思えば、まるで何かの力が働いて、私たちをわざとすれ違わせていたかのようにも感じる」


「ええ。良かれと思ったことが、ことごとく裏目に出て……」


 私たちは顔を見合わせ、小さく笑い合った。

 あの頃の必死さ、愚かさ、そして痛みが、今はどこか愛おしい記憶になっていた。


「まあ、原因が何であれ、もう関係ありませんわね」


「ああ。大事なのは、今、こうして君が隣にいることだ」


 セドリック様は、私の手をそっと握った。その温かさが、私の心を満たしていく。


「……もしかしたら」セドリック様は、空を見上げながら呟いた。


「私たち以外にも、この世界を見守っていた……あるいは、必死に何かを変えようとしていた誰かが、いたのかもしれないな」


「……そうですわね」


 彼の言葉に、私は静かに頷いた。


 真相は分からない。けれど、もしそうだったとしても、その誰かもまた、それぞれの理由で必死だったのかもしれない。


 そういえば。私たちは示し合わせたように「前世」――いや、「前々世」については語っていない。

 それでいいのだと思う。私は「オリヴィア」で、彼は「セドリック」なのだ。


 今はただ、この手の中にある幸せを、大切にしていきたい。

 隣にいる、愛しい人と共に。


「セドリック様」


「なんだい?」


「……愛していますわ」


 少し照れながらそう言うと、彼は一瞬驚いた顔をし、そして、今まで見た中で一番優しい笑顔で、私の額にキスを落とした。


「私もだ、オリヴィア。心の底から、君を愛している」


 私はもう「疲れた」なんて言わないだろう。

 愛する人と共に歩む未来は、きっと、輝かしいものになるだろうから。




ここまでお読みいただき本当にありがとうございます。

本作で書き溜めが無くなりました(一番新しい話になります)ので、また書き溜めに入りたいと思います…

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― 新着の感想 ―
ここまですれ違うのも何かの動きがあったのか偶然にしては出来過ぎだけど
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