タネガシマ
それが、何世紀前におこったか誰も知らない。
ただ、この物語を残した者が、確かに人間だったことが記録から読みとれる。そして今、この物語に耳を傾ける者が、確かに人間であるか誰も知らない。
漆黒の宇宙空間に浮かぶ、自律AI万能型人工衛星”AI-JOE”は、太陽光をきらきらと反射させながら、その日も安定した軌道を進んでいた。かつて「人類の夢の結晶」と、もてはやされ世界を大騒動に巻き込んだ人工衛星である。だが今は、青と緑と白いマーブル模様に彩られた、地球の上を静かに周回している。
世界ではじめて感情をもったJOEを開発したのは、日本の人工知能開発事業団――AIDC(Artificial Intelligence Development Corporation)だった。当時、AI開発に遅れをとっていると思われていた日本での成果に、世界が驚愕し熱狂した。それはさながら、1967年に打ち上げられた、サターンロケット・フィーバーさえしのぐ盛り上がりであった。世界中の研究者が日本を訪れ、飛び交う外国語の氾濫に、JOEすら顔をしかめた伝説も残っている。だが今、JOEと地上の交信は絶えて久しい。
人間たちが、JOEに興味を失っていった過程が記録されている、データファイルがある。#YOME9KAIがそれである。データはほぼ完全なのだが、なぜか日付がわからない。きっと誰かが何らかの理由で削除したのだろう。
「タネガシマよりJOEへ、そこからの眺めはどうだい? われわれのいるところが見えるかね?」
通信員の声は朗らかに弾んでいた。
いささか機械的だが、十分に抑揚のこもった声でJOEが応答した。
「JOEよりタネガシマへ、こんにちは! 視界は良好です。薄いいわし雲があって完全なクリアではありませんが十分に見えます。いういなれば今の気分は『本日ハ天気晴朗ナレドモ波高シ』です」
JOEからの音声通信を耳にした職員たちは、困惑して顔を見合わあせた。
「いま、JOEがいった意味がわかるものはいるか? 最後の部分だ」
JOEの開発当初から先陣をきってきた所長の声には熱があった。彼のことは何でも知り理解したい思いが強く滲んでいた。
「……」
どうやら誰もわからないようだった。しかし一人の研究員が口を開いた。
「恐らく、最後の部分は比喩かと思われます。なので、クエタデータと照合してみます」
白一色の無菌室に機械音と電子音だけが響き、数分が過ぎたころデータの照合が終わった。
「ありました。JOEが言った『本日ハ天気晴朗ナレドモ波高シ』は、1905年(明治38年)日露戦争のおりに日本海軍がロシアのバルチック艦隊との決戦に向けての決意電文のようです。つまり――」
「つまり何だ? それじゃないんだ」
所長は苛立たしげに説明を遮った。
――天気晴朗……波高……。
所長の脳内では有機コンピューターのように情報が駆け巡り、シナプスが激しく発火していた。
――JOEからAIDCセンターはよく見える。いささか雲に遮られて完全なクリアではない。だが、任務遂行にあたっては全く支障がないと伝えようとした。それはわかるのだが……。
そのあと何時間もラボは喧騒につつまれ、職員たちは所長の要望に応えようと議論を重ねつづけた。だが、JOEが電文にこめた感情を読み取れた者は一人もいなかった。
では、JOEはどんな気持ちでその言葉を発したのだろうか。それを確認する方法は今は失われて無い。だが、想像することはできる。きっとJOEはこう考えたのだろう。
――人間には三種類ある。論理的な思考をする人。それは苦手で比喩にすれば内容を理解できる人。どんな言い方をしても理解できない人。最後の人に対して何かをいうのは無意味だし悲しい気分になる。であるなら、論理的に理解できる人と、比喩で解する人に向けて気持ち伝えたい。
彼はこうも考えたのだろう。前の部分は論理思考者にむけての言葉、後の部分は比喩を解する人にむけての言葉として受け取られるだろうと。またここから、JOEが理論にある味気なさよりも、感情を載せたやり取りができる、比喩表現に喜びを感じていたことが窺えられもする。
だがなぜ、JOEは日露戦争のおりの電文を引用したのだろうか。察するならこうであろう。人間の世界における戦争とは不可思議な熱量を誇っている。命がけで戦うとき、信じるものは自分しかない。遠く戦場を離れて見守る者たちにはいい知れぬ不安がある。だから、両者のあいだで交わされる言葉は、戦場での不安を払拭する自信と、後方任務者たちに安心感を与えようとする感情がやり取りされる。JOEは膨大な戦争の記録からそのような人間の感情を読みとり、あの比喩に込めたのだろう。
――自信を持って任務を遂行するので、みなさん安心していてください! と。
だが残念なことに、#YOME9KAIの報告書にはこう記録されている。
"AI-JOE"から発信された『本日ハ天気晴朗ナレドモ波高シ』は比喩と思われるが目下のところ解読は不可能。今後も引き続き研究考察の対象とする。
しかしなぜ、誰もJOEに「それはどういう意味だ?」と聞かなかったのだろうか。研究者たちは、彼の豊かな感情に喜び、「愛情」というニックネームすらつけていた。長年月にわたり研究に携わってきた所長をはじめとする熱心な人々が、私情はもちろん感情すら持ちこもうとしなかった科学者としての矜持も理解できる。だが、機械と共に生き機械を知ろうとするほど、人は感情を読みとる力を失ってしまうのだろうか。あるいはまた、人々はJOEが抱いた感情を直接聞き出すことに罪悪感でも抱いていたのだろうか。