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寿司日記2  作者: Yazi
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寿司処 凪

寿司は、どこから来るのだろう。

店のカウンターに並ぶ一貫の向こう側には、どんな景色があるのだろう。

今回、たかしとたいしが訪れるのは、港町にある「寿司処 凪」。

そこでは、自ら魚を獲り、その魚を寿司として味わうことができます。

海から寿司になるまで。

そんな少し特別な一日を、どうぞお楽しみください。

ある日の講義終わり。


次の講義まで少し時間がある。俺は、いつものようにスマホを取り出し、寿司屋リサーチを始めた。最近は有名店だけでなく、少し変わった店を探すのも楽しい。今日は趣向を変えて、旅行サイトを眺めてみることにした。観光地の紹介ページを見ていると、意外と地元の人しか知らないような穴場の店が見つかることもあるからだ。画面をスクロールしながら、港町や温泉街の記事を眺めていると、一つの写真が目に留まった。


青い海を背景に、大きな魚を掲げる客の姿。

その下には、こんな説明が書かれていた。

『自分で釣った魚を、その場で寿司に。体験型寿司店「寿司処 凪」』


……なんだこれ。


少し気になって、詳細ページを開こうとしたその時だった。

「お前、また寿司見てんのか(笑)」

後ろから聞き慣れた声が飛んできた。

たかし「えっ、たいし……いたのかよ」

たいし「さっきからいたわ(笑)。で、何見てんの?」

たかし「あー、これ。なんか港町にある寿司屋らしいんだけど、自分で釣りした魚をそのまま寿司にしてくれるらしい」

たいし「……なにそれ」

たかし「体験型の店みたいだな」

たいし「めっちゃ面白そうじゃねぇか!!」

周りの学生が振り向くくらいの声量だった。

たかし「声でかいって」

たいし「いや、だって自分で釣った魚が寿司になるんだろ!? 絶対楽しいじゃん!」

たかし「まあ、確かに気にはなってる」

たいし「なあ、俺も連れてけよ」

たかし「えー……」

たいし「頼むって! 釣りとかやったことないし!」

たかしは、もう一度スマホの画面を見る。

一人で行くつもりだったが、たいしがいた方が面白いかもしれない。

たかし「……まあ、いいけど」

たいし「よっしゃあ!」

たかし「でも、朝早いらしいぞ。港に集合だから、前泊になるけど大丈夫か?」

たいし「まぁ、なんとかするよ(笑)」

たかし「おいおい、本当にか?」

たいし「大丈夫だって。寝坊したら海に投げ込んでくれ(笑)」

たかし「むしろ、その前に置いていくわ」

たいし「ひでぇ!」

そんなやり取りをしながら、俺たちは店の予約ページを開いた。どうやら体験は早朝から始まるらしい。少し悩んだ末、前日の夜から近くの旅館に泊まることにした。旅館の予約を済ませると、たいしはすでに旅行気分らしく、港町の観光スポットを調べ始めている。一方の俺は、「寿司処 凪」のページをもう一度開いていた。写真には、朝日に照らされた海と、一隻の漁船。そして、寿司を握る女性と、魚を抱えた男性の姿が写っている。

——どんな店なんだろう。

期待は、日に日に大きくなっていった。


金曜日の講義終わり。

俺たちは荷物を持って、そのまま高速バスに乗り込んだ。窓の外を流れる景色は、ビル群から住宅街へ、そして少しずつ田園風景へと変わっていく。

目的地は、地方の小さな港町。レビューサイトで見つけた「寿司処 凪」だ。港町が近づくにつれて、車窓の向こうに海が見えるようになった。夕日に照らされた海面が、きらきらと揺れている。

たいし「おい、見ろよ! 海だ海!」

たかし「さっきから見えてるだろ」

たいし「いや、でもテンション上がるって!」

その後も、たいしは窓際に張り付いてはしゃぎ続けていた。そして、旅館に着く頃には完全に絶好調だった。

たいし「いやぁ、楽しみすぎて寝れねぇわ」

たかし「明日早いんだから、はよ寝ろよ」

たいし「分かってるって。……でも、自分で釣った魚が寿司になるんだろ? めっちゃワクワクするじゃん」

たかし「まあ、それは俺も楽しみだけどな」

部屋の窓を開けると、どこからか潮の香りが漂ってきた。遠くから、波の音がかすかに聞こえる。いつもの大学生活とは、まるで違う空気だった。明日は、どんな一日になるのだろう。そんなことを考えながら、俺たちは布団へと潜り込んだ。


翌朝。

まだ日が昇りきらない頃、スマホのアラームが部屋に鳴り響いた。

たかし「おーい、行くぞ。起きろ!」

たいし「うぅーん……まだ眠いなぁ……」

布団にくるまったまま、たいしがうめき声を上げる。

たかし「だから、早く寝ろって言ったじゃん」

たいし「楽しみすぎてさ。結局、寝たの十二時だぜ(笑)」

たかし「それ、自業自得だからな」

たいし「でも、ちゃんと起きただろ?」

たかし「起こしたのは俺だけどな」

そう言いながら、俺は着替えを済ませる。窓の外は、まだ薄暗い。旅館の廊下も静まり返っていて、昨日の賑やかな雰囲気が嘘のようだった。

たかし「ほら、早く着替えるぞ」

たいし「はーい……」

眠そうに返事をしながらも、たいしの表情には隠しきれない高揚感が浮かんでいる。簡単な朝食を口に入れ、身支度を整える。そして俺たちは、潮の香りが漂う港へと向かった。外に出ると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。空は少しずつ明るくなり始めている。遠くから聞こえる船のエンジン音。

頭上を飛ぶカモメの鳴き声。今日の寿司は、いつもとは少し違う。そんな予感がしていた。


港に着くと、一人の男性が漁船の上で準備をしているようだった。日に焼けた腕。作業着の上からでも分かるたくましい体つき。黙々と網を確認する姿は、いかにも「海の男」という感じだった。

たいし「おはようございまーす! 今日の体験を申し込んだ者です!!」

港中に響きそうな声だった。さっきまで眠そうだったのに、もういつもの調子を取り戻したらしい。男性はこちらを振り返ると、少し目を細めた。

漁師「ああ、おはようございます。本日は朝早くから、ありがとうございます」

漁師「えぇ……本日は、定置網漁の体験をしていただきます。危ないこともありますので、説明はしっかり聞いてくださいね」

たかし「よろしくお願いします」

たいし「よろしくお願いします!」

漁師「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。魚が逃げるわけじゃありませんから」

たいし「いやぁ、初めてなんで(笑)」

漁師は小さく笑いながら、船のロープを外した。

その後、丁寧な説明を受け、俺たちは漁船へと乗り込んだ。船が岸を離れる。エンジンの振動が足元から伝わり、港の景色が少しずつ遠ざかっていく。

たいし「おぉ……なんか、すげぇな」

さっきまで騒いでいたたいしも、目の前に広が海を見て思わず声を漏らした。朝日に照らされた海面は、どこまでも静かに揺れていた。

漁師「それでは、出港します。えー……多分、十分くらいで着くと思いますので、しっかりつかまっていてくださいね」

たいし「はーい!」

エンジン音とともに、船がゆっくりと港を離れる。

そして——。

次の瞬間、船は全速力で早朝の海を駆け抜けた。

たいし「うぉぉぉ!! 速ぇぇぇ!!」

たかし「ちょっ、落ちるなよ!」

潮風が頬を叩く。眠気なんて、とっくに吹き飛んでいた。ふと前を見ると、水平線の向こうから太陽が顔を出し始めていた。少しずつ明るくなる空。オレンジ色の光が海面に反射し、一本の道のように伸びている。

たいし「……すげぇ」

さっきまで騒いでいたたいしが、珍しく静かだった。俺も、思わず見惚れてしまう。こんな景色を見るのは、初めてだった。しばらくして、船の速度がゆっくりと落ちていく。

漁師「到着しました。ここが今日の漁場です」

漁師は、海上に浮かぶ黄色いブイを指差した。

漁師「この黄色いブイに囲まれた範囲、全部が網なんですよ」

たいし「おぉー、すげぇ……めっちゃ大きいんですね」

漁師「はい。今回は小型の定置網ですが、本来は一トン近く獲れることもあります」

たいし「一トン!?」

たかし「そんなに……」

漁師「今日は多分、三百キロくらいでしょうかね」

たかし「三百キロですか……」

今まで、寿司は店で食べるものだった。けれど、その一貫の向こうには、こんな仕事があったのか。

目の前に広がる海を見ながら、俺は改めてそのことを実感していた。

漁師「それじゃあ、始めましょうか」

そう言うと、漁師は網を引き上げる準備を始めた。

漁師「では、先ほど説明したように、網を手前から引き寄せていきます。中央に魚を集めていきますので、無理はせず、自分のペースでお願いします」

たかし「はい!」

たいし「頑張ります!」

俺たちは、ロープに手を掛けた。

たかし「……せーのっ!」

一気に引く。だが——。

たいし「うおぉっ!? めっちゃ重い!!」

たかし「よし……! 一気に抜くぞぉぉ!」

濡れたロープが手に食い込む。海水が跳ね、足元を濡らしていく。何度も引いているうちに、網は少しずつ狭まり、中央へと魚が集まっていった。網の中を覗き込む。だが、海面は暗く、何がいるのかまではよく見えない。ただ——。そこには、無数の影が蠢いていた。

たいし「……なんか、すげぇな」

漁師「それでは、ついに引き上げです」

漁師はクレーンの前へと歩み寄った。

漁師「このクレーンで、一気に持ち上げます」

そう言うと、慣れた手つきで巨大な網をクレーンに固定していく。機械音が響く。

ゆっくりと——。

網が海面から姿を現した。

ばしゃっ!!

次の瞬間。銀色の魚たちが、朝日を反射させながら一斉に跳ねた。

たいし「うわぁっ!!」

アジ。鯛。イサキ。名前も知らない魚たち。数えきれないほどの命が、目の前で暴れている。

たいし「すっげぇ……こんなに獲れるんだ……」

さっきまで興奮していたたいしの声は、どこか驚きに満ちていた。

たかし「……これが、いつも食べてる魚なんだな」

魚が跳ねるたび、海水が飛び散る。その光景から、目を離すことができなかった。

漁師「これでも、今日は少ないほうですよ」

漁師はそう言って、小さく笑った。だが、その表情には、海への敬意のようなものが滲んでいるように見えた。

漁師「さて、ここから選別をしていきます」

漁師はそう言うと、甲板の上に網を広げた。さっきまで勢いよく跳ねていた魚たちが、朝日に照らされて銀色に輝いている。

漁師「小さい個体はリリースして、乱獲を防ぐんですよ」

たいし「えっ、全部持って帰るわけじゃないんですか?」

漁師「そうですね。もちろん、生活のために獲ることは大事です。でも、獲りすぎてしまえば、来年も、その先も漁ができなくなってしまいますから」

たかし「なるほど……」

漁師「基準が分からなかったら、私に聞いてください。最初はみんな迷いますから」

たかし「はい、お願いします」

たいし「頑張ります!」

俺たちは、魚を一匹ずつ手に取っていった。

「これは大丈夫」

「これはまだ小さいかな」

漁師に教わりながら、選別を進めていく。

たいし「おっ、これどうですか?」

漁師「うーん、それはもう少し大きくなってからですね」

たいし「じゃあ、またな」

そう言って、たいしは海へと魚を戻した。小さな魚は、一瞬だけ水面に姿を見せると、すぐに海の中へ消えていった。

たかし「こういうこと、考えたことなかったな……」

漁師「そうでしょうね。スーパーや寿司屋に並んでいる魚を見る機会はあっても、その前を見ることはなかなかありませんから」

たかし「……はい」

俺は手の中の魚を見つめた。いつもは「寿司ネタ」として見ていた魚。けれど今は、一つの命としてそこにあった。甲板の上では、魚が跳ねる音と、カモメの鳴き声が響いている。寿司になるまでには、こんな時間があったのか。俺は、初めてそのことを実感していた。

漁師「よし、選別はこんなところですかね」

甲板の上には、出荷用の魚が入ったケースがずらりと並んでいた。

たかし「選別したとはいえ……すごい量ですね」

漁師「多分、これで二百キロくらいはあると思います」

たいし「二百キロ!? 俺ら、さっきまでこれ引っ張ってたのか……」

漁師「もちろん、全部を人力でやるわけではないですけどね(笑)」

そう言って、漁師は別のケースへ視線を向けた。

漁師「さて、お待ちかねの時間です」

たいし「おっ!」

漁師「今日食べる魚を選びましょう」

ケースの中には、さっきまで海を泳いでいた魚たちが並んでいる。

漁師「今日獲れたのは、アジ、サバ、それからイカですね」

漁師「お一人につき、一匹ずつ選んでいただいて構いませんよ」

たいし「マジで!? 自分で選べるんですか!」

漁師「ええ。せっかくですからね」

たかしは、ケースの中を覗き込む。銀色に輝くアジ。ふっくらとしたサバ。そして、透き通るようなイカ。いつもなら寿司ネタとして見るだけだった魚たち。けれど今日は違う。

たかし「……悩むな」

たいし「俺、こういうの即決タイプなんだけど(笑)」

漁師「ははは。じっくり選んでください」

目の前に並ぶ魚を見ながら、俺たちはそれぞれの"今日の一匹"を探し始めた。

たいし「よし!! 俺は、このイカにするぞ」

たかし「イカ?」

たいし「ああ。あんまり食べたことないからさ。今日はこれでいく!」

漁師「おっ、いいですね。今朝獲れたばかりですから、甘みも強いと思いますよ」

たいし「マジっすか!? 楽しみだなぁ」

たかし「うーん……」

俺は、ケースの中の魚を見つめる。どれも魅力的だ。

けれど——。

たかし「俺は、アジにしようかな」

たいし「おっ、意外と渋いな」

たかし「シンプルだからこそ、新鮮さが分かるかなって思ってさ」

漁師「なるほど。良い選択ですね」

漁師は小さく頷いた。

漁師「それでは、これで帰港したいと思います。本日はお疲れ様でした」

たかし&たいし「ありがとうございました!」

漁師がエンジンをかける。

ドドドドド……

再び、船が海の上を走り始めた。さっきよりも高く昇った太陽が、海面を明るく照らしている。冷たかった朝の空気も、いつの間にか心地よい暖かさへと変わっていた。

たいし「……」

たかし「どうした?」

たいし「……疲れた」

さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。たいしは、ぐったりと座り込んでいた。

たかし「そりゃ、あんだけ騒いで網引いてたからな」

たいし「いやぁ……漁師さんって、毎日これやってるんだろ?」

漁師「そうですね。天気の悪い日なんかは、もっと大変ですよ」

たいし「すげぇなぁ……」

そう言いながら、たいしは海をぼんやりと眺めていた。その横顔は、少しだけ真剣だった。俺も、自分で選んだアジの入ったケースへ目を向ける。寿司屋のカウンターでは見えなかった景色。それを知れただけでも、この旅に来た意味はあったのかもしれない。やがて、遠くに港の姿が見えてきた。

漁師「もうすぐ着きますよ」

その言葉に、たいしは再び顔を上げた。

たいし「ってことは……次はいよいよ寿司か?」

漁師「ええ。妻が店で待っていますよ」

たいし「よっしゃあ!!」

……やっぱり、元気なやつだ。

港に着くと、漁師さんは手際よく出荷用の魚を船から下ろし始めた。市場へ持っていくための準備らしい。

漁師「今日はありがとうございました。寿司、楽しんでくださいね」

たかし「ありがとうございました」

たいし「めっちゃ楽しかったです!」

漁師「それは良かったです。それじゃあ、店で妻が待っていますので」

そう言って、漁師さんは魚を載せた台車を押しながら市場のほうへ歩いていった。

たいし「いやぁ……疲れたけど、すげぇ楽しかったな」

たかし「だな。まさか、ここまでガチの漁をすることになるとは思わなかった」

港には、漁船のエンジン音と、カモメの鳴き声が響いている。朝の慌ただしい空気の中、俺たちはベンチに腰掛けて待っていた。

すると——。

白いワゴン車が、俺たちの前で静かに止まった。

運転席の窓が開く。

???「もしかして、今日の体験のお客様ですか?」

そこには、白衣の上からエプロンを身につけた女性が座っていた。髪を後ろでまとめ、どこか優しそうな雰囲気をまとっている。

たかし「あっ、はい。そうです」

女性「良かった。主人から聞いています」

女性「『寿司処 凪』の寿司職人をしています。よろしくお願いしますね」

たいし「あっ、よろしくお願いします!」

女性「さぁ、せっかくの魚が待っていますから。お店へ行きましょうか」

そう言って、女性はにこりと笑った。俺たちは顔を見合わせる。

たいし「……いよいよ寿司か」

たかし「ああ」

さっき、自分たちで選んだ魚。あの魚が、どんな一貫になるのか。期待を胸に、俺たちは車へと乗り込んだ。俺たちは、奥さんの運転する車に乗り込んだ。車内には、ほんのりと出汁のような香りが漂っている。

たいし「おぉ……なんか、もう寿司屋の匂いがする」

奥さん「あはは、それよく言われるのよ。朝から仕込みしてきたからかな」

たかし「今日は、ありがとうございました」

奥さん「こちらこそ。うちの人、ちゃんと案内できてた?」

たいし「すごかったです! めっちゃ魚獲れました!」

奥さん「そう? でも、あの人あんまり喋らないでしょ?」

たかし「確かに、必要なこと以外はあまり……」

奥さん「昔からああなのよ。悪い人じゃないんだけどね」

そう言って、奥さんは楽しそうに笑った。

たいし「でも、めちゃくちゃかっこよかったです!」

奥さん「本人に言ったら、照れて仕事増やしそうだから内緒ね(笑)」

車内に笑いが広がる。窓の外を見ると、昔ながの港町の景色が流れていく。漁具店。小さな商店。潮風に揺れるのぼり旗。観光地というより、人が暮らしている町という印象だった。

奥さん「この辺りも、昔はもっと賑やかだったんだけどねぇ」

たかし「そうなんですか?」

奥さん「ええ。うちは元々、普通の地元のお寿司屋さんだったの」

たいし「じゃあ、今みたいな体験はやってなかったんですか?」

奥さん「全然。近所の人が来てくれる、昔ながらのお店だったわ」

少しだけ懐かしそうな声だった。

奥さん「でも、だんだん町の人も減ってきてね。どうしようかなぁって悩んでた時に、息子が『せっかく漁師なんだから、それを活かしたら?』って言ってくれたの」

たかし「それで、この体験を?」

奥さん「そう。最初は『絶対無理だ』って主人も言ってたんだけどね」

たいし「えっ!? あの漁師さんが?」

奥さん「今でもたまに言ってるわよ? 『俺は魚獲る係なんだが……』って(笑)」

たいし「ははは!」

たかしも思わず笑ってしまう。でも、そのおかげで。

俺たちは、海の上に立つことができた。

奥さん「でもね」

赤信号で車が止まる。奥さんは、少し前を見ながら言った。

奥さん「皆さんが『美味しかった』って帰ってくれるのを見ると、やって良かったなって思うの」

たいし「……なんか、いいですね」

奥さん「だから、今日はたくさん楽しんでいってね」

そう言って、奥さんはいつもの明るい笑顔に戻った。車は、海沿いの道を曲がる。すると、その先に。

木造の落ち着いた建物が見えてきた。入口には、大きくこう書かれていた。

『寿司処 凪』

奥さん「はい、到着!」

たいし「おぉー!」

たかし「ここが……」

さっきまで海の上にいたとは思えないほど、穏やかな空気が流れていた。車を降り、暖簾をくぐる。

店内に足を踏み入れた瞬間、思わず足が止まった。

たいし「うわぁ……」

たかし「すごいな……」

大きな木製のカウンター。磨き上げられた白木は、朝の光を受けてやわらかく輝いている。

そして、その奥には——。

一面に広がる大きな窓。

その先には、さっきまで俺たちがいた海が見えていた。青く穏やかな海。遠くには、小さな漁船の姿も見える。

たいし「オーシャンビューの寿司屋って、初めて見たわ」

奥さん「うふふ。この景色、うちの自慢なの」

奥さんはそう言って、カウンターの向こうへ回った。

奥さん「じゃあ、調理を始めますか」

奥さん「さっき獲った魚、見せてもらえる?」

たいし「はい!」

俺たちは、それぞれ選んだ魚を手渡した。俺のアジ。そして、たいしのイカ。

奥さん「おぉ、立派じゃない!」

奥さん「これだけあれば、いろんな食べ方ができるわよ」

たいし「やった!!」

たいし「まずは何でいくんですか?」

奥さん「そうねぇ……」

奥さんは少し考えるように魚を見つめた。

そして、にっこりと笑った。

奥さん「まずは、シンプルにわさび醤油でいきましょうか」

たいし「王道だ!」

奥さん「結局ね、新鮮な魚はシンプルなのが一番だったりするのよ」

そう言うと、奥さんは大きな出刃包丁を手に取った。先ほどまでの柔らかな雰囲気とは違う。そこには、職人の顔があった。包丁が魚に入る。迷いのない動き。無駄のない手さばき。あっという間に、アジとイカは美しい三枚おろしになっていた。

たいし「はっや……」

たかし「すごい……」

さっきまで海を泳いでいた魚が。今、目の前で寿司へと変わろうとしている。

奥さん「ほら、ぼーっとしてないで」

奥さん「今日は特等席なんだから、ちゃんと見てなきゃ損よ?」

そう言って、奥さんは楽しそうに笑った。俺たちは、思わずカウンターへ身を乗り出した。

そこから奥さんは、身を美しく切り分けていく。斜めに包丁を入れるたび、魚の断面が艶やかに光った。

たかし「……」

つい、見入ってしまう。さっきまで、一匹の魚だった。

それが今、俺たちの知っている"ネタ"の形へと変わっていく。

奥さん「はい」

握られたシャリの上に、そっとネタがのせられる。軽く形を整える。それだけで、見慣れた寿司になった。

奥さん「お待たせ!」

奥さん「まだまだ切り身はたくさんあるから、いっぱい食べてね」

たいし「うひょー!! うまそう!!」

たかし「いただきます」

恐る恐る、一貫を手に取る。

——アジ。

そして、イカ。

さっき、自分で選んだ魚だ。醤油を少しだけつけて、口へ運ぶ。

……。

たかし「……っ」

新鮮な旨味が、口いっぱいに広がった。噛むたびに、上品な甘みが溢れてくる。臭みは一切ない。それでいて、しっかりとした魚の味がある。

たいし「うっま!!」

たいしは、目を丸くしていた。

たいし「何これ!? いつもの寿司と全然違う!!」

たかし「……うん」

もちろん、鮮度の違いもあるのだろう。でも、それだけじゃない気がした。朝早く起きて。海へ出て。網を引いて。魚を選んで。そして今、この一貫になっている。その過程を知ったからこそ。普段よりも、ずっと美味しく感じるのかもしれない。

奥さん「どう?」

たいし「めちゃくちゃうまいです!!」

たかし「……なんか、いつもより味わって食べちゃいますね」

奥さんは、少し嬉しそうに笑った。

奥さん「それなら、今日の体験は大成功ね」

カウンターの向こうには、穏やかな海が広がっている。その海を眺めながら、俺たちはもう一貫へと手を伸ばした。

奥さん「よし、じゃあ次は炙りにいこうかしら」

たいし「うおぉー!! やった!! 新ネタだ!」

奥さんは笑いながら、カウンターの奥から小さな火鉢を取り出した。

たかし「本格的ですね」

奥さん「ふふ。昔ながらで良いでしょ?」

炭の赤い火が静かに揺れている。そこへ、先ほど切り分けたアジを並べる。

パチッ。

脂が炭に落ちる。すると香ばしい煙が立ち上り、店内へと広がっていった。

たいし「うわぁ……もう絶対うまいじゃん」

奥さん「まだよ、焦らないの」

表面に軽く焼き色がつく。生の時とは違う香り。どこか力強く、食欲を刺激する匂いだった。

奥さん「はい、お待たせ」

炙られたネタが握りの上にのせられる。表面はほんのり狐色。それでいて中心は生のままだ。

たいし「いただきます!」

一口で頬張る。そして——。

たいし「うまっ!!」

思わず声が漏れた。たかしも続いて口へ運ぶ。まず感じたのは炭火の香りだった。鼻へ抜ける香ばしさ。その後から、魚の旨味が一気に押し寄せてくる。

たかし「……すごい」

生で食べた時とは、まるで別の魚のようだった。

奥さん「炭火はね、不思議なのよ」

奥さんは炭を見つめながら言った。

奥さん「ただ焼くだけじゃなくて、香りもごちそうになるの」

たいし「なるほど……」

そう言いながらも、たいしの手はもう次の寿司へ伸びていた。

奥さん「あはは。説得力ないわねぇ」

店内に笑い声が広がる。窓の向こうでは、穏やかな海が光っていた。

奥さん「じゃあ次は、たいしくんが選んだイカだけ使おうかしら」

たいし「おっ、やったぜ!」

奥さんは、残しておいたイカを手に取る。

そして、丁寧に肝を取り出した。

たかし「それが肝ですか?」

奥さん「そうよ。イカの旨味がぎゅっと詰まってるの」

たいし「なんか見た目はすごいな……」

奥さん「あはは、最初はみんなそう言うのよ」

奥さんは肝を小さな器に移し、味を整える。そこへ細く切ったイカを加え、ゆっくりと和えていく。白く透き通った身に、濃い飴色の肝が絡んでいった。

奥さん「はい、お待たせ」

カウンターに置かれた小皿からは、磯の香りがふわりと立ち上る。

たいし「おぉ……なんか大人の料理って感じだな」

たかし「確かに」

奥さん「まずは一口食べてみて」

たいし「いただきます!」

たいしは恐る恐る箸でつまみ、口へ運んだ。

そして——。

たいし「……おぉ」

たかし「どうだ?」

たいし「なんか……すごい」

いつもなら真っ先に感想を叫ぶたいしが、珍しく言葉を探している。俺も一口食べてみる。ねっとりとしたイカの甘味。そのあとから、肝の濃厚なコクがゆっくりと広がる。炙りのような力強さとは違う。生の握りのような爽やかさとも違う。同じイカなのに、まるで別の料理だった。

たかし「これは……旨味がすごいですね」

奥さん「でしょ?」

奥さんは嬉しそうに笑った。

奥さん「イカは身だけじゃなくて、肝も美味しいのよ」

たいし「なんか、酒飲む人が好きそうな味だな」

奥さん「正解(笑)」

たかし「確かに」

たいしはもう一口食べる。さっきまで珍しそうに見ていたのに、今ではすっかり箸が止まらなくなっていた。

奥さん「魚もイカもね、使えるところはできるだけ使うの」

奥さんはそう言いながら、残ったアジの皮や骨をまとめ始めた。

たいし「それも食べるんですか?」

奥さん「もちろん」

にやりと笑う。

奥さん「じゃあ最後に、うちの〆を作ろうかしら」

奥さんは鍋の蓋を開ける。ふわりと湯気が立ち上った。その瞬間、魚の優しい香りが店内に広がる。

たいし「うわぁ……」

奥さん「今日使ったアジの皮と骨で出汁を取ったの」

たかし「朝まで泳いでた魚が、ここまで使われるんですね」

奥さん「せっかくいただいた命だからね」

そう言いながら、奥さんは茶碗にご飯をよそう。その上に、ほぐしたアジの身を乗せる。刻み海苔。少しのわさび。

そして——。

透き通った黄金色の出汁を静かに注いだ。さらさらと流れる音が心地よい。

奥さん「はい、お待たせ」

たいし「うわぁ……なんか落ち着くな」

派手さはない。けれど、なぜか目を引く一杯だった。

たかし「いただきます」

まずは出汁を一口。

——優しい。

口の中にじんわりと旨味が広がる。濃いわけではない。けれど、確かに魚の味がする。さっき食べた握りや炙りの余韻を、静かに包み込むような味だった。

たいし「はぁー……」

思わずため息が漏れる。

たかし「どうした?」

たいし「いや、なんか……安心する味だな」

たかし「分かる」

ご飯をかき込む。出汁が染みた米がほどけるように口の中で広がった。

奥さん「漁師町だとね、こういうのが最後のごちそうなのよ」

たいし「確かに、締めにぴったりですね」

奥さん「魚は身だけじゃないからね」

そう言って、奥さんは窓の向こうの海を見た。

奥さん「皮も骨も、工夫すれば美味しくなる」

奥さん「だから、できるだけ最後まで食べてあげたいの」

店内が少し静かになる。窓の外では、昼の海が穏やかに光っていた。たかしは茶漬けを口に運びながら、今朝のことを思い出していた。

まだ暗い港。網を引く重さ。跳ねる魚。選別作業。そして今。その魚は、一杯の茶漬けになっている。

たかし「……なんか、いつもより大事に食べられた気がします」

奥さんは優しく笑った。

奥さん「それなら、この体験を始めた意味があったわね」

たいし「俺も!」

たいしは空になった茶碗を見せる。

たいし「魚を獲るのって大変なんだな」

奥さん「ふふ、それを知ってもらえるだけでも嬉しいわ」

最後の一口を飲み干す。体の中に、出汁の温かさがゆっくりと染み渡っていく。窓の向こうには、朝出た海が変わらず広がっていた。その海を眺めながら、俺は思った。寿司はただの料理じゃない。海があって。漁師がいて。職人がいて。そして、ようやく一貫になる。今日食べた寿司は、きっと忘れないだろう。

お茶を飲みホッと一息をつく。

たかし「そろそろ、出るか。」

たいし「おう。」

たかし「今日はありがとうございました。旦那さんにもよろしくお願いします。」

奥さん「うん、来てくれてありがとね」

店を出る。

たいし「いやー、今までで一番疲れた寿司だったな(笑)」

たかし「でも、一番思い出に残ったかもな」

たいし「だな」

俺たちは、そう言いながら帰路についた。潮の香りはもう遠くなっていた。けれど、今朝見た海の景色だけは、しばらく忘れられそうになかった。

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