9.巡り合いは突然に
『契約妹』としての私の日々は、意外にもやることが盛りだくさんで充実している。
お義母様と外出したり、マナーや読み書き計算の勉強をしたり、年の近いメイドさん達に交じっておしゃべりを楽しんだり。あ、それと「パパって呼んでよリリーちゃ〜ん!」と懐いてくるアレックス様を適当にあしらったり。
何だかんだで、毎日賑やかなことこの上ない。
そして時間を見つけては、ダレル様の魔導研究所へと足繁く通っている。
「お兄様、お弁当を持ってきましたよ〜。お天気もいいですし、中庭で一緒に食べましょう!」
研究室の扉を開け放てば、ダレル様が血走った目で振り返る。
「そんな無駄な時間はありませんよ! 今ちょうど作業が佳境で、わたしは忙し」
「食・べ・ま・しょ?」
「………………ハイ」
可愛い妹のお願いは絶対です。
お弁当の入ったバスケットをダレル様に持たせ、食堂に寄って熱い紅茶を大きなマグカップになみなみと注いでもらう。こぼさないよう気をつけて、二人で魔導研究所の中庭へ。
おしゃれなベンチに並んで腰掛けて、早速バスケットからパンを取り出した。
パンにはたっぷりの新鮮野菜とローストビーフが挟まっている。他にはほうれん草のキッシュ、ミートパイ、デザートにはりんごのケーキまで。お屋敷の料理人さんに感謝!
「お庭、いつ来てもすごく気持ちがいいですね。花と緑でいっぱいだぁ」
私の手渡したパンを頬張りながら、ダレル様がこくりと頷いた。
「ええ、どうも我々研究員は殺伐としすぎているようで。国が危機感を覚え、研究狂の集まりに癒しと健康を与える、という名目の下で整備されたのですよ。あいにく利用者はほとんどおりませんが」
国の真心、一方通行。
苦笑しながら私もパンを手にする。
閑散とした庭に二人きり、太陽がぽかぽかと暖かい。散々文句を言っていたくせに、ダレル様も目を和ませて風に揺れる花を見つめていた。
のんびり食べて、思いつくままにぽつぽつおしゃべりをする。バスケットがすっかり空になり、私は大きく伸びをして立ち上がった。
「さてと、それじゃあそろそろ帰ります。随分忙しいみたいだけど、今日は定時上がりは無理そうですか? 夜ご飯は一緒に食べられないかな?」
「そうですね。ですが遅くなっても帰宅はしますので……そのう、明日の朝食は……」
ダレル様が赤くなって口ごもる。
私は笑って彼の言葉を引き取った。
「じゃあ、朝ご飯は一緒に食べましょうね! ダレル様の好きなふわふわオムレツ、シェフさんにリクエストしておきますから」
「そ、それはどうも」
ツンとそっぽを向いて、ダレル様も立ち上がる。
そのまま研究室の方ではなく門に向かって歩き出したので、私は慌てて彼の手からバスケットを奪い返した。
「見送りはいらないですよ、それより早く仕事に戻ってください。休憩はしっかり取ったんだから、集中してがんばって! それで、なるべく早く帰ってきてくださいね?」
「わっ……わか、わかりました」
またもどもり、ダレル様はせかせかと後ろを向く。気をつけて帰りなさい、と早口で呟くなり、逃げるようにして行ってしまった。
よし、今日も食事を抜かずに取ってもらえたぞ。夜もちゃんと帰ってくる、って約束してくれたし。研究一筋な兄の体調を、家族としてきちんと気にかけてあげないとね。
微笑ましく後ろ姿を見送っていたら、不意にダレル様がつんのめるようにして足を止めた。ん?
「お兄様――……んんん?」
回れ右して、一直線にこちらに向かって走ってくる。しかもなんだか鬼気迫る形相で。ど、どした?
「リリー! 大変です、招かれざる客が研究所の受付で騒いでいるっ」
「招かれざる客?」
首をひねる私に険しい顔を向け、ダレル様は用心深く視線を走らせた。私の肩を抱き寄せ、すばやく木陰に引っ張り込む。
「クラリッサ・フォレット侯爵令嬢です! あの金食い虫の!」
「ああ、昨日言ってた金食い虫の」
早口のささやきに、私も手を打って頷いた。
そうか、めちゃくちゃ美人でお金遣いが荒くて……ダレル様と婚約したがっている? え、てことは、わざわざ研究所までダレル様に会いに来たってこと?
「ええ、おそらくは。婚約の断りは書面でしたのですが、その後もなかなかにしつこくて。最近ではフォレット家仕様の定型文のみを送り返していたので、業を煮やしたのかもしれませんね」
「定型文って、どんな?」
「『妹を引き取るにあたり巨額の経費が発生いたしました。残念ながら今のわたしに結婚費用を捻出する甲斐性はございません』です」
「…………」
あからさま過ぎるだろ。
あきれていたら、研究所の方からぎゃんぎゃんと甲高い叫び声が聞こえてきた。
「まったく、このわたくしを誰だと思っているのかしら! 関係者以外立入禁止だなんて、未来の夫の職場を訪問して何が悪いと言うの!?」
「…………」
私は無言でダレル様を見上げた。未来の夫の顔は虚無になっていた。
よしよしと肩を撫でてなだめていると、今度はまた別の女性の声が聞こえてくる。
「お嬢様、ここは諦めましょう。受付に差し入れは託せたのですから、少なくとも良妻アピールには成功したと思いますわ」
「駄目よ、先を越されておりますものっ。聞いたでしょう、妹を名乗るずうずうしい居候女が昼食を持ってきたと! 受付のあの男、半笑いを浮かべておりましたわキーッ!!」
キー。
つられて思わずイーッとダレル様に歯を突き出せば、ダレル様がグッとむせた。「あら?」なんて、不思議そうな声がする。
「あちらの木陰から、何やら変な音が……?」
(やばいやばいやばいっ)
慌てて手を伸ばし、お互いの口をふさぐ。
そのまま息をひそめていると、気のせいだと思ったのか、やがて金食い令嬢とお付きの人は去っていった。やれやれ。
二人同時に安堵の息を吐き、体から力を抜く。
ダレル様の胸にぽすんと頭を預ければ、ダレル様の体が硬直した。私は慌てて彼から離れる。
「あ、すみません。なんだか気が抜けちゃって」
「い、いいいいえ」
ぎくしゃくと首を横に振って、ダレル様は研究所の方に戻ろうとした。が、すぐにまた戻ってくる。
「リ、リリー。今帰ればご令嬢に遭遇してしまうかもしれません。ですから、あなたさえ良ければ、わたしの研究室でゆっくりしていただいても……」
「ああ、はい。じゃあお邪魔しちゃおうかな。横で研究の応援をしてればいいですか?」
「はい。ぜひ」
照れたみたいに微笑んで、ダレル様は手を差し伸べた。私も笑って彼の手を取る。
そうしてその日の午後は、和やかに過ぎていったのであった。