3.どかんと一発
「……っ」
ナイフとフォークを持つ手が宙で止まり、驚愕に目を見開く。
ダレル様とナタリア様が怪訝そうにこちらを見るが、私はとても答えるどころではなかった。次の一口、そしてまた次の一口と、急かされるようにして料理を口にしていく。
これ、何て名前の料理だったっけ。なんとか肉のうんちゃら風かんちゃら、って言ってたっけ。
(ああ、とにかく……)
――めっちゃくちゃ、美味しいっ!
感激に打ち震える私を、ナタリア様が冷ややかに睨み据えた。
「おやおや、これだから品のない平民は。ダレル、どうしてこのわたくしが、マナーも知らぬ下賤な娘と夕食を共にせねばならないのかしら?」
「申し訳ありません、母上。ですがリリーは紛れもなく、我がハイラント家の血を引く――」
「ねえお兄様、これびっくりするぐらい美味しいですねっ! もしや今日って特別なパーティだったりするんですか!?」
演技ではなく大興奮で割り込めば、ダレル様とナタリア様が唖然とした。しばし固まり、ややあってダレル様は深くうつむいた。ふるふると小刻みに肩を震わせる。
「ま、まあぁ……! 何という無作法な娘でしょうっ」
ナタリア様もまた震えていた。
その顔は怒りのためか真っ赤になっていて、私はようやく我に返る。やば。あまりの美味しさにはしゃぎすぎちゃった、みたい。
「ご、ごめんなさい。私ってばお行儀が悪くって――」
「ダレルッ! わたしの娘を見つけたというのは本当か!?」
突然、食堂の扉が開け放たれた。
転がるように中に駆け込んできたのは、顔面を蒼白にした壮年の男。ダレル様がそのまま年を取ったような、まさに彼の生き写しの美貌だった。もしかして、この人が……?
「おお、娘よッ! わたしが君のパパのアレックスだよ!!」
男の顔が歓喜に輝き、飛ぶように私に駆け寄ってくる。
ぽかんとするばかりの私を無理やり椅子から立ち上がらせて、まじまじと顔を覗き込んだ。
「あ、あのぉっ?」
近、近すぎるってば!
とっさにぐぐぐと腕を突っ張るのに、アレックス様はお構いなしにさらに距離を詰めてきた。そうして、ぱあっと破顔する。
「そうか、君はきっとパメラの娘なのだな! 髪の色が彼女にそっくり……そっく、り……。うん? うん?」
不意に眉をひそめ、口をつぐんだ。
もしやバレたか、と焦りまくる私を目を細めて観察し、パチッと高らかに指を鳴らす。
「違った、さては君はエミリアの娘だな!? その眉の形は彼女そのもの……いや待て。君は間違いなくヒルダの娘だ! 鼻筋がまさしく彼女と同じだからな、わたしにはわかるともっ!」
「…………」
容疑者何人いるんだよ。
思わず半眼になる私をよそに、アレックス様は上機嫌だ。私の頭を撫で、ダレル様と同じ空色の瞳を潤ませる。
「ああ、今日は何と喜ばしい日なのだろう! 君という可愛い娘がいたと知れて、わたしは感無量だよ! これまで寂しい思いをさせた分、パパがたくさん愛してあげるからね!」
私はちらりとテーブルを振り返った。
ダレル様もナタリア様も、何の感情も感じさせない醒めた目を私達に向けている。けれどナタリア様の手が、きつく握られているのに気づいてしまった。
(……そう、だよね)
私も彼女と同じように、爪が食い込むほど強く手を握り締める。呼吸を整え、両足を思いっきり踏ん張った。
――浮気男、許すまじ。
「でぃやあぁっ!!」
「ごふぅッ!?」
渾身の頭突きは、過たずオッサンの胸を直撃した。「はああっ!?」と驚くダレル様とナタリア様の叫び声を背に、私は尻もちをついた男を冷たく見下ろす。
(ここで、涙をいっぱいためて……)
十六年間、世間の荒波に揉まれまくって生き抜いてきた。こう見えて演技力にはちょっと自信がある。
食いしばった歯の隙間から、震える声をしぼり出した。
「今さら、何よ……っ」
「……え?」
「――何が『パパ』よっ! 私がこれまで、どれだけ苦労して生きてきたと思ってるの!? 多重浮気サイテードクズ野郎の分際で、今さら父親ヅラなんてしないでよっ!!」
口汚く罵り、わあっと大声で泣いて食堂から走り去る。
私を呼ぶ焦ったような声が聞こえたが、無視して全力疾走で自室に戻った。悲しい、美味しいご馳走を残して去るの本当に悲しい……!!
それでも、女には戦わねばならない時があるのだ。
あんな頭突き一発で、ナタリア様の敵が討てたとは思わないけどね。
しょんぼりとベッドに座り込んでいると、扉がノックされた。返事をする前に扉が荒々しく開かれ、目を吊り上げたダレル様が入ってくる。
「一体何の真似ですか、リリー!? ハイラント伯爵家の娘として認められるためには、まず父に取り入る必要があるというのにっ」
「――おどきなさい、ダレル」
落ち着き払った声が割って入り、ダレル様が慌てたみたいに道を開けた。
強ばった表情のナタリア様が、カツカツとヒールの音を立てて私に歩み寄る。
「リリー」
いかめしく私の名を呼ぶなり、ナタリア様はベッドに座る私の前にひざまずいた。へっ?
「は、母上!?」
「でかしました、リリー。よくぞわたくしに代わり、あの浮気夫に鉄槌を下してくれましたね」
私の手を取り、何度も優しく撫でてくれる。
出会ってから初めて見る、ナタリア様の心から嬉しそうなお顔。ふんわりした穏やかな微笑みは、すぐに邪悪なものへと変貌した。
「ふ、ふふふふ……っ。娘から手酷く拒絶されたものだから、さすがの浮気夫もおおいに絶望しておりましたわよ。わたくし胸がすっとして、寿命が数十年は延びた心地ですわっ!」
立ち上がり、おーっほほほほと高笑いする。
ダレル様が目を剥いた。
「は、母上!?」
「さあリリー、明日から忙しくなりますわよ! テーブルマナーに淑女の立ち居振る舞い、覚えることは山程ありますわ! わたくしは甘くなくってよ、あなたに付いてこられるかしら!?」
「は、はいっ! 気合いと根性でがんばります!」
「おーっほほほほ、その意気やよし! それではこれより、わたくしのことはお義母様とお呼びなさいな!」
「はぁい、お義母様!」
「…………」
盛り上がりまくる私達を、ダレル様が呆気にとられて眺めていた。