【番外編】一方そのころ、金食い令嬢さんは。
「ああもう、忌々しいッ!!」
首から下げた極太のネックレスをむしり取り、思いっきりソファに叩きつけた。すかさず侍女のエミリが進み出て、うやうやしくネックレスを回収する。
きちんと宝石箱に片付けるのを横目に、わたくしは夜会のドレス姿のまま荒々しくソファに腰を下ろした。
「本当に最悪よ、何なんですのあの変態は! 思い出しただけで背筋がぞっとしますわキーッ!!」
「まあまあ、お嬢様。結婚する前にド変態と発覚して良かったではありませんか」
エミリは苦笑するが、わたくしの苛立ちはおさまらない。
「笑い事ではありませんわ! あんな男にかまけて、貴重な時間をどれだけ無駄にしたと思っていますの! 一刻も早く次の獲物……いえ、新たな婚約相手を探さなくてはっ」
綺麗に手入れされた爪を噛み、じっと考え込む。わたくしのこの美貌だもの、きっとどこかにいるはずよ。いつも笑顔でわたくしを褒めたたえ、際限なく(主に金銭面で)甘やかしてくれる理想の旦那様が……!
わたくしに着替える気がないと悟ったのか、エミリが背後からショールを掛けてくれた。髪飾りを丁寧に抜き取り、いたわるように肩を撫でる。
「お嬢様、いっそお祖父ちゃんぐらい年の離れたお方を選んでみては? 孫を可愛がるみたいにして貢いでくれますよ、きっと」
「そうねぇ……いいえ、やっぱり駄目よ。結婚して即、未亡人なんてごめんですもの」
ああ。変態性にさえ目をつぶれば、あの男は完璧だったのに。尊大で自信家で、ずうずうしく長生きしそうだったじゃない?
湿っぽくため息をついていると、自室の扉がノックされた。イライラと応答すれば、予想通りお父様が秘書を従えて入ってくる。
「クラリッサ、あの男はいかん。とんだ眼鏡違いだった。この婚約はなかったことにしよう」
「ええ、そうですわねお父様。謹んでお断り申し上げましょう」
沈痛な表情でうんうんと頷き合った。
ささっとエミリと秘書の男が顔を寄せ合い、「断ったのは先方では?」「振られたのはお嬢様だよな」と囁きを交わす。うっさいわよそこ。
ギッと秘書を睨み据える。
くるりと長いまつ毛に縁取られた、わたくしの切れ長で理知的な眼差し。美貌と同じく、目力だって誰にも負けない自信がある。
しかし、秘書は平然としていた。
エミリの頭を撫で、「お前も苦労するよな」などとうそぶいている。どういう意味よっ!
「ちょっとエミリッ! お前の兄、失礼すぎやしないかしら!?」
「申し訳ありません、お嬢様。兄は昔からこんなもんなんです」
エミリが困ったように眉を下げ、無礼な男を健気にかばった。
そう、お父様の秘書であるジェイクはエミリのすぐ上の兄なのだ。ちなみに本当に兄。紛れもなく兄。血縁鑑定の魔導具の試運転で確かめたから、こちらに関しては間違いない。
ふんっと鼻を鳴らして足を組み直すわたくしを、お父様が「まあまあ」となだめてくる。
「そう怒るな、クラリッサ。ジェイクは有能だし、何よりわたしの大親友の息子なのだ。仲良くしてやってくれ」
「旦那様のおっしゃる通りです」
「お兄ちゃん、そこはちょっとは遠慮しようよ」
エミリが肘でジェイクをつついた。
ジェイクとエミリの父親は平民ながら非常に目端の利く男で、一代で財を成した大富豪だ。
お父様とは若い頃に商談で知り合って、あっという間に意気投合。花嫁修業と称してエミリをわたくしの侍女に、三男のジェイクをお父様の秘書にした。
お父様がチラリとジェイクに目配せすると、ジェイクは心得顔で大きな封筒をエミリに手渡す。
「クラリッサや、我らの次の獲物……もといお前の夫候補のリストを持ってきた。すぐにそんな気にはなれんだろうが、落ち着いたら確認してみてくれ」
「はあ……。仕方ありませんわね」
さも面倒くさそうに答えながらも、その実わたくしはめらめらと燃えていた。
伊達に何度も婚約の破談を経験していない。今回が駄目だったのなら次がある、そして次こそがきっとわたくしの運命の相手なのだ!
腹心のエミリは、そんなわたくしの胸の内をちゃんとわかってくれていた。お父様が退出すると同時に、即座に封筒を開く。
エミリと二人、かぶりつくようにして中の書類を覗き込んだ。
しかしすぐにエミリは頭を抱え込み、わたくしも脱力してしまう。
「これは……なかなかに壮絶ですね、お嬢様……」
「まったくですわ……。四度の離縁を経てなお真実の愛を探求中の六十二歳伯爵に、女性恐怖症でまともに会話もできない五十歳子爵……」
「愛人が五人いる七十歳さんもいらっしゃいますよ。確かにお金は持ってそうですけども」
はああ、と二人同時に重いため息。
これは駄目だわ、妥協するにも程がありますもの。
書類を封筒に戻し、エミリが気を取り直したようにわたくしに笑顔を向ける。
「お嬢様、ここは条件を少し下げてみられてはいかがでしょう。お嬢様にとってこれだけは譲れない、というものは?」
「金と贅沢」
「絶望的!!」
エミリが激しく崩れ落ちた。あらそう?
「まだまだありますわよ。年の差は十歳まで、だってお父様みたいに伴侶に先立たれては寂しいでしょう? それからそれから、わたくしの美貌を一筋に信奉してくれるお方がよろしいわ。あ、それに記念日の高価なプレゼントは必須ですわね」
「お嬢様、いくら何でもそれは」
「無理だよなぁ」
『……っ!?』
突然のほほんとした声が割って入り、わたくしとエミリは慌てて顔を上げた。お父様と一緒に出ていったと思っていたジェイクが、壁にもたれ掛かり楽しそうにわたくし達を見物している。
「お、お兄ちゃんっ。なんでいるの!?」
妹の叱責を無視して、ジェイクは封筒をその手に取り戻した。ピンと指で弾き、不遜に微笑んでわたくしを見下ろす。
「お嬢様、僭越ながら申し上げても?」
「……ええ。許すわ」
むっとしつつも、わたくしは何とかそう返した。平民風情に気圧されているなど、悟られてはならない。わたくしのプライドがそう答えさせた。
ジェイクは芝居がかったお辞儀をすると、「では」と口を開く。
「そもそもお嬢様はお相手のことなど少しも考えず、ご自分の都合を押しつけてばかりですよね? 今日の夜会だってそうです。公衆の面前でハイラント様を試すような真似をして、彼の愛が得られるはずないではありませんか」
「そ、それはっ。だってあの場でなら、ダレル様も断れないだろうと」
「それで結果、どうなりました? 確かにお嬢様の望み通り、妹様と血の繋がりはありませんでしたがね。それでハイラント様が喜んでお嬢様に求婚しましたか? 違いますよね、彼がお嬢様にぶつけたのは軽蔑と憎しみの感情だ。愛にはとても程遠い」
「……っ」
わたくしはただ唇を噛む。
……そうだ。ダレル様はそれまでは礼を持ってわたくしに接してくださっていたのに、あの時の彼の目は――……
ぽろっと涙がこぼれ落ちる。
エミリが慌ててハンカチを差し出そうとしたが、ジェイクがかぶりを振ってそれを制した。懐から取り出した自分のハンカチを、わたくしの手に握らせる。
「お嬢様は心の奥底では、お金だけでなく愛も得たいと願っているのでしょう? ならば相手のお気持ちも考えないとね」
「……っ、ええ……」
「きっと次は大丈夫。お嬢様なら間違えずにできますよ。俺が保証します」
偉そうに告げ、飄々と肩をすくめた。わたくしは思わず噴き出してしまう。
金の巻き毛を払い、しゃんと背筋を伸ばした。
「ふふん、当然だわ。目に物見せてやるんだから、覚悟しておきなさいよジェイク!」
自信満々に宣言すれば、ジェイクが楽しそうに声を上げて笑った。エミリも安堵したように頬をゆるめる。
そうね、とりあえずこの夫候補達は全員却下だわ。こうなったら腰を据えて、運命の相手を探してやろうじゃない!
ジェイクが封筒をぐしゃりと丸め、扉へと歩み寄った。ノブに手を掛け、いたずらっぽくわたくしを振り返る。
「ま、せいぜい頑張ってくださいね? どうしてもお相手が見つからないようなら、幼馴染のよしみで俺が嫁にもらってあげてもいいですから」
「は、はああッ!?」
突然の爆弾発言に目を剥くわたくしを、ジェイクは面白そうに眺める。
「俺は余り物の三男坊だけど、ねだれば親父も爵位を買う金ぐらい融通してくれると思うんですよ。で、いかがです?」
「ひぇっ、いか、いか、いかがですって、いかがですって言われてもっ」
頭の中は大混乱。頬がカッと熱くなる。
え、え? ジェイクってばわたくしのことが好きだったの? そんな素振り、今まで全く見せなかった癖に。全然気づかなかったじゃない!
でもでも、考えてみたら悪くないかもしれないわ。平民相手じゃお父様も渋るでしょうけれど、下位でも爵位さえ買ってくれれば。まして大親友の息子ですもの、お父様だってきっと納得して――
どきどきと高鳴る胸をなだめていると、不意にジェイクが「ああ」と手を打った。
「ただしその場合は、お嬢様も清貧な暮らしを覚悟してくださいね? 親父は甘い親じゃないし、単に無利子で貸し付けてくれるだけだと思うんで。せいぜい二人で節約生活に励みましょうや」
「…………」
顔から一気に血の気が引いていく。
にやっと笑って去っていくジェイクの背中に、わたくしはソファのクッションを力任せに投げつけた。
「お、おおお、大金持ちになってから出直して来やがれですわっ!! この大馬鹿者ーーーっ!!」
ぜいはあと肩で息をするわたくしを、エミリは生温かい目で見守っていた。べ、別に? 求婚されて嬉しかっただなんて、これっぽっちも思ってないんだからねっ?
(……まあ、でも……)
お金より先に、条件をひとつ付け加えてもいいのかもしれない。
ダレル様が『彼女』に向けていたような目を、わたくしに向けてくれる人。間違ってしまったら、きちんと正してくれる人。
――悔しいから、絶対口に出しては言ってあげないけどね!
金食い令嬢・クラリッサさんのその後でした☆
いただいたご感想から、ふと思いついたお話です。ありがとうございました!




