14.どんなに荒唐無稽でも
大広間が水を打ったように静まり返る。
クラリッサ様は余裕しゃくしゃくの顔で、ようやく口元から魔導具を離した。最早これの助けを借りずとも、自分の声は広間中に響くと確信したのだろう。
「さあ、ダレル様。使い方は簡単ですわ。赤い宝玉に二人の人間の血を垂らし、混ざり合うのをしばし待ちますの。その後、明るいファンファーレが鳴れば血縁関係が証明され、悲壮な鎮魂歌が響けば無関係の他人であったということ。決してお時間は取らせませんわ」
「…………」
「ああ、どうぞご安心くださいませ。血はほんの数滴で構わないそうですから。針とナイフを用意してあります、お好きな方をお選びくださいまし」
製作者が他でもないダレル様だとも知らず、クラリッサ様はうわずった調子でペラペラと説明する。言葉通り、侯爵家の使用人から針とナイフを差し出され、私は思わず後ずさりした。
(ダ、ダレル様……っ)
「……富豪の話は真っ赤な嘘、でしたか」
ダレル様が低くうめいた。
きつく目を閉じ、必死で考え込んでいる。
お義母様も顔色を変えていて、アレックス様だけが戸惑った様子で私達を見比べていた。無理もない。
(アレックス様にとっては、これは窮地でも何でもないんだから)
アレックス様だけは、私を本物の娘だと信じきっている。
だけど私は、本当は単なる孤児の平民で。どこの馬の骨ともわからなくて、だから私は――私は――……
(……本当に、アレックス様の娘である可能性はないのかな?)
不意に、稲妻が走るみたいにしてそんな考えがひらめいた。
希望と呼ぶにはあまりに荒唐無稽な、独りよがりの願望が。
だって考えてみれば、私は生まれてすぐに捨てられた天涯孤独な身の上なのだ。
そしてアレックス様は、華々しい経歴を持つ多重浮気男。実際、過去の恋人達の面影を私の中に認めたみたいだし。
(万が一……ううん。億が一だって構わない)
もしも私が本当に、アレックス様の娘だとしたら?
ダレル様は正真正銘私のお兄様で、私は堂々とハイラント伯爵家にいられる。これからもずっとずっと、お義母様やみんなと仲良く過ごしていける。
爪が食い込むほどきつく、私はぎゅっと手を握り締めた。
「クラリッサ様。生憎ですが――」
「ダレルお兄様。やりましょう」
平坦な声が喉からすべり出す。
驚いたように振り返るダレル様に、深く頷きかけた。
「だって私も、知りたいです。本当に私はハイラント伯爵家の娘なのか。ずっと皆さんのお側にいて、いいのかを」
「リリー……!?」
ほんのわずかの可能性でも、ゼロじゃないなら賭けてみたい。
それにもし、もし負けてしまったとしても――
「大丈夫ですよ、お兄様。最初に迎えに来てくださった時、お兄様おっしゃっていたじゃありませんか」
強ばりながらも笑う私に、ダレル様が戸惑った顔を向ける。
だけど、ダレル様は確かにこう言っていた。この魔導具で血縁関係を否定した後は、絶望に打ちひしがれた演技をして縁談を遠ざけるのだ、と。
だからここで私が妹ではないと証明されたとしても、大丈夫。傷心の振りをして、クラリッサ様から逃げればいいのだ。
「ね、やりましょうお兄様? ここで断れば、クラリッサ様もきっと納得されないでしょうし」
さばさばと笑い、クラリッサ様に向き直る。
差し出されたナイフを引っ掴み、魔導具の元へと歩み寄った。
「……っ。リリー!」
「私が、先に。もうお一人はお兄様でもお父様でも構いません。お好きにどうぞ」
そっけなく告げ、人差し指にナイフを押し当てた。「リ、リリーちゃんが初めてお父様って呼んでくれたぁ!」と歓喜するアレックス様は、この際放置。
「リリー! お待ちなさ」
――えいっ!!
一息に指を切り、玉のような血を宝玉に落とす。真っ赤な宝玉がゆらゆらと揺らぎ、一瞬にして血液を吸い込んだ。
「わ、すごい。……うん、これで私は完了です」
笑顔で振り向けば、すぐさまダレル様が私の指にハンカチを押し当てた。汚れるのも構わず、きつく押して止血してくれる。
「お、お兄様。そんな大した怪我じゃあ」
「怪我の大小が問題じゃない!……ああリリー、本当に申し訳ありません。わたしが不甲斐ないせいで、あなたに辛い思いをさせて」
苦しげに顔を歪ませる。
お、大袈裟だなぁ。この程度の怪我なんて、子供の頃からしょっちゅうだったし。働き出してからだって、女将さんから折檻されることだって珍しくなくて――……
(……ああ。嫌だなぁ……)
この温もりを、手放したくない。
ずっとずっと、ダレル様の側にいたい。ダレル様の妹でいたい。
どれだけ分不相応な願いだとわかっても、願わずにはいられない。
涙を浮かべる私の肩を、ダレル様が抱き寄せる。彼の胸に頬を寄せ、私はぎゅっと目をつぶった。
「――ちょっと! 早くしてくださらない!?」
クラリッサ様が苛立ったように叫ぶ。
イライラと足踏みして、魔導具を私達に突き出した。
「よ、ようし。ではここは、パパが勇気を出して針をこの指に」
「いいえ結構です、父上。わたしがやりますので」
冷たく遮ると、ダレル様もナイフを手に取った。
ためらいなく指を切り裂き、宝玉にボタボタと血を垂らす。ちょっ、切りすぎ切りすぎっ!?
大慌てで自分の手からハンカチを剥ぎ取り、今度はダレル様の止血をする。
けれどダレル様は気にした様子もなく、憎悪の眼差しをクラリッサ様に向けた。クラリッサ様がヒッと息を呑む。
「――これで、ご満足いただけましたでしょうか? フォレット侯爵令嬢」
「わ、わたくしは」
「さあ、我らの血が混ざり始めました。後は黙して結果を待ちましょう」




