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11.勝利を掴み取れ!

 それからの日々は、特に波風もなく穏やかに過ぎていった。


 私は相変わらずダレル様の『契約妹』で、魔導研究所で彼のお手伝いをさせてもらっている。

 クラリッサ様の突撃はだんだんと間遠になっていき、最近では彼女からの差し入れを目にすることもほとんどなくなった。


 一日の仕事を終えた帰りの馬車の中、ぼんやりと茜色の街並みを眺めていると、ダレル様が改まった様子で私に向き直った。


「リリー、毎日わたしの仕事に付き合わせて申し訳ありません。……ですが、正直助かっています。あなたが細々とした雑用を引き受けてくれるお陰で、今まで以上に研究がはかどるようになりましたよ」


 そう言って、照れたように笑う。


「以前は自分の研究室に他者が入るのを嫌って、掃除すらも断っていたのですがね。あなたなら一緒の空間にいても気にならないというか……むしろ、落ち着くというか……」


「ええ!? そ、それ本当ですかっ!?」


 思わず食い気味に身を乗り出すと、ダレル様がぎょっとした様子でのけ反った。赤くなって口をぱくぱくさせるが、私は構わず彼との距離を一気に詰める。


「私、役に立ってます!? ダレル様にとって、なくてはならない存在ですか!?」


「ち、近い! 近いですリリー!」


 両肩を掴んで力ずくで引き離された。

 答えを求めてじっと上目遣いに見つめれば、ダレル様はますます顔を赤らめる。


「え、ええもちろん。リリーの助けなしでこれまでどうやって仕事をしていたのか、わからなくなる程ですよ」


 目を逸らし、しどろもどろにそう口にした。

 最大級の賛辞に私の心がぱあっと明るくなる。


(そっか、そっか……!)


 こうしてダレル様のお役に立てるなら、『契約妹』が終わってしまっても大丈夫かもしれない。今後は雑用係として、ダレル様の側に置いてもらえるようお願いすればいいのだ。


(お屋敷を出て、『お兄様』と『お義母様』から離れちゃうのは寂しいけど……)


 それでも、この関係が切れてしまうよりずうっとマシだ。


 先程までとは一変して、私はうきうきと車窓を眺める。

 ここ最近ずっと私を苦しめていた悩みに、かすかな光明が見えた瞬間だった。



 ◇



「ダレル、夕食が終わったら話がある。わたしの部屋に来て……あ、もちろんリリーちゃんも一緒に来ていいでしゅからねぇ〜?」


「旦那様。リリーにはわたくしから話します。そしてその喋り方は不快を通り越して不潔です」


「不潔ッ!?」


 アレックス様が絶望に打ちひしがれた。


 私は戸惑いながら、淡々とフォークを口に運ぶお義母様を、それから隣に座るダレル様を窺った。ダレル様も不審そうに眉をひそめている。


 お義母様もアレックス様も、それほど深刻そうな様子ではない。かと言って、楽しそうでもない。


 首をひねりつつ夕食を終え、私とダレル様はそれぞれお義母様とアレックス様の元へと向かった。


「――お入りなさい、リリー」


 先に部屋に戻ったお義母様が出迎えてくれる。

 私は一礼して部屋に入り、そして目を丸くした。


「わっ、綺麗なドレスがたくさん!」


「ふふ、どれもわたくしが若い頃に愛用していたものよ。手直しすれば今でも充分に着られると思いますの。ほら、そこにお立ちなさいな」


 私を誘導し、華やかなドレスを肩に当ててくれる。

 姿鏡に自身の姿を映し、まじまじと見つめた。


「わあ……。すっごく、素敵です」


「ええ、ですがリリーにはちょっと大人っぽすぎるかもしれませんわね。……そうね、でしたらこちらを――」


 お義母様が今度は薄いピンクのドレスを選ぶ。

 最初のドレスよりフリルなどの装飾は控えめで、その分生地も軽やかだった。肩に当てたまま一回転すれば、ドレスの裾がふんわりと揺れる。


 お義母様が満足気に頷いた。


「大変よろしくてよ。丈を詰める必要はありそうですから、すぐに侍女を呼んで採寸させましょう。パーティには、ぎりぎり間に合うと思いますわ」


「パーティ? 一体何の……というか、私が出るんですか?」


 ぽかんとする私に、お義母様は一転して苦虫を噛み潰したような顔をする。

 大きくため息をつき、頷いた。


「クラリッサ・フォレット嬢を知っているでしょう。あの方のお父上である、フォレット侯爵の誕生日パーティが来週開催されるそうで、我が家にも招待状が届いておりましたの」


 当初、パーティにはアレックス様とお義母様だけが参加するはずだった。

 けれど今日になって、突然侯爵家から手紙が送られてきたそうなのだ。「御子息と御息女の、ダレル様とリリー様にお会いできるのを楽しみにしております」とわざわざ名指しで書かれた手紙が。


 お義母様が顔を曇らせる。


「婚約の打診をお断りした以上、ダレルを参加させる気はなかったのですけれどね。こうあからさまに要求されてしまっては、あなた達を連れて行かないわけにいかなくなりました。何せあちらは侯爵家、我が家より格上なのですから」


「そ、そうですか。でも――」


 ……パーティの席上で、まさか直接婚約を申し込まれたりしないかな?


 低い声でそう問えば、お義母様も深刻そうに首肯した。


「まさにわたくしも旦那様も、それを心配しておりますの。……ですからリリー、よろしくて?」


 私の手を取り、お義母様がずずいっと顔を近づける。


「あちら様には誕生祝いのお言葉だけを述べ、すぐさま離れる。常に緊張感を忘れず、一定の距離を保つ。婚約の『こ』の字でも出ようものなら、すかさずお天気やお料理の話にでもすり替える――……。我がハイラント伯爵家一丸となって、ダレルを金食い令嬢の魔の手から守り抜くのです」


「な、なるほど。――わかりました、お義母様! そういうことなら任せてください、私が率先してダレル様の盾になりますっ」


 お義母様やアレックス様、そしてダレル様では身分が邪魔をして動きにくいかもしれない。

 その点、私は元が孤児の平民。どれだけ空気の読めない振る舞いをしたとしても、「これだから卑しい出の者は」と先方もきっと諦めてくれるに違いない。ならば私は、喜んで道化を演じようじゃないか!


 身振り手振りで熱く語れば、お義母様が感極まったように目を潤ませた。


「ああリリー、あなたったらなんて男気にあふれておりますの!」


「えへへ。雑草根性ってやつですよ、お義母様!」


 照れ笑いする私を、お義母様がじっと見つめる。

 本当に、と噛みしめるようにして呟いた。


「契約ではなく、あなたが本物の娘になってくれたら全ての問題は解決しますのに。……ダレルったら何をグズグズしているのかしら本当にもう……っ。温かく見守るにも限界がありますわよあの愚息っ!」


「お、お義母様?」


 だんだんと声が低くなり、最後には忌々しげに吐き捨てる。何なにっ?


 硬直する私にはっと気がつき、お義母様は「あらいやだ」とホホと笑う。すぐに取り澄ました表情を取り戻し、にっこりと淑女の笑みを浮かべた。


「ともかく、頼みましたわよリリー。男共は頼りになりません。ここはわたくしたち女の力で勝利を手にしますわよ!」

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