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10.冷水を浴びせられる

「うおおっ、これって王都の行列店のドーナツじゃん! 午前中には売り切れるってあの噂の! なあなあ、オレも食べていい!?」


「どうぞどうぞ。根こそぎ持っていってください」


 ダレル様が愛想よく頷いた。

 研究室に遊びに来たエドワードさんが、わーいと両手を上げて大喜びする。

 大口を開けてかぶりついたのを見届けて、ダレル様がにやりと口角を上げた。


「クラリッサ嬢からの差し入れです」


「ぶうっ!!」


 エドワードさんが激しくむせこむ。

 首を押さえて赤くなったり青くなったりしていたが、私が見ているのに気がつき口の中のものを飲み下した。私の目の前で吐くわけにはいかないと思ったのだろう。


 気の毒になって、私は苦しむ彼の背中をぽんぽんと優しく撫でる。


「大丈夫ですよ、エドワードさん。何も変なものは入っていませんから」


「ほ、本当に!? 怪しげな惚れ薬とか入ってない!?」


「本当ですよ。薬物鑑定の魔導具で確かめましたから」


 不機嫌そうに吐き捨てると、ダレル様は私の手を掴んだ。「喉が渇きました」と低く呟くので、私は笑って腰を上げる。


「はいはい、手の掛かるお兄様ですね。すぐに食堂からもらってきます」


 身軽に立ち上がって部屋から出て、研究所の食堂へと向かった。


 ――クラリッサ様はあれ以来、頻繁に魔導研究所を訪れるようになった。


 幸いなことに、事情を了解している受付の皆さんが彼女の突撃を防いでくれている。

 なので今のところ、私もダレル様も直接彼女に会わずに済んでいた。実害としては度重なる差し入れくらいなのだけれど、それでもダレル様が心配なので近頃の私は彼の研究室に入り浸りだ。もはや妹というより、ダレル様専属の秘書かお手伝いさんと化している。


(お義母様が寂しがるかな、って思ってたけど――)


 意外とそうでもなかったみたい。


 以前はよく私を社交界に誘ってくれていたけれど、最近ではそれもなくなった。

 家族みんなでご飯を食べて、二人でお菓子を作って、一対一で勉強を教えてもらう。それだけで今のわたくしは充分に満足なのよ、と意味ありげに微笑んでいた。


(お嫁には行かなくていいのよ、って意味かな?)


 契約妹を続けるのに賛成してくれてるってことなのかも。

 もしそうだったら嬉しい。この先もお義母様の娘で、ダレル様の妹でいられるってことだから。


 うきうきと軽い足取りで部屋へと戻る。

 扉を細く開いた瞬間、エドワードさんの声が耳に飛び込んできた。


「――で、どうするんだ? まだリリーちゃんに『契約妹』続けてもらうのか? クラリッサ様は論外として、お前も伯爵家の後継として結婚しなきゃいけないだろうに」


 反射的に背筋が伸びてしまった。

 慌てて扉を閉め、耳をぴったりとくっつける。盗み聞きなんてマナー違反だとわかってはいても、話題が話題だけに知らぬ振りをすることができなかった。


「オレは平民だからともかくとしてさぁ、お前は貴族な上、将来有望な魔導技士なんだから。そのうち国王陛下とかからも、縁談が持ち込まれてきちゃうかもよ? ずーっと独身を貫くつもりなのか?」


「……わたしは……」


 ダレル様がためらうように言葉を切る。

 しばし沈黙が満ち、ややあってうめくようにして言葉を続けた。


「恥を忍んで告白しますが、どうやら宗旨替えしてしまったかもしれなくて……。心安らげる相手と共に人生を歩むのも、素晴らしいことなのではないか……と、近頃しみじみ思うようになりました」


「ええっ、マジでぇ!?」


 マジでぇっ!?


 頬がカッと熱くなり、心臓が早鐘を打つ。

 うそ、うそ。ダレル様、もしかして結婚したい誰かがいるの……?


(じゃあ『契約妹』は、もうおしまい……?)


 お腹の奥がぎゅうっとなるような、嫌な感覚がして足がふらつく。お盆が傾きかけて、私は慌てて体勢を立て直した。落ち着け、まだそうと決まったわけじゃないんだから。


 必死で自分に言い聞かせ、深呼吸。


 ようやく気持ちが持ち直し、私は笑顔で扉を開く。ダレル様とエドワードさんが、はっとした様子で口をつぐんだ。


「はいっ、お兄様! エドワードさんの分もありますからね!」


「あ、ありがとう。けどオレはそろそろ自分の研究室に戻ろうかな、作業も途中だし――……ああっ!?」


 突然の大声にびっくりして、危うくお盆をひっくり返しそうになる。

 ダレル様がさっと私を支えてくれて、エドワードさんに非難の眼差しを向けた。


「エド、何ですか騒々しい」


「いやごめん、すっかり忘れてた! オレはドーナツを食いに来たわけじゃなくって、ダレルの魔導具を借りに来たんだよ!」


「わたしの?」


 瞬きするダレル様に、エドワードさんはせかせかと説明する。


「何でも、どこぞの富豪が余命いくばくもなくて、後継争いで揉めてるらしいんだ。富豪自身には子どもがいないんだけど、血縁を名乗る奴が何人かいるんだと。それで魔導研究所に、血縁関係を鑑定する魔導具開発の依頼があったらしい」


 それで魔導研究所の所長さんから、ちょうど手の空いているエドワードさんに担当が任されたのだそうだ。

 エドワードさんは思わずにやりとしてしまったという。そんな魔導具は新たに開発するまでもなく、すでに存在することを知っていたからだ。


「ダレル、契約妹ちゃんの件でそんな魔導具作ってたろ? 作者はお前だってちゃんと伝えとくからさ、そのまま所長に渡していい?」


「ああ、別に構いませんよ。裏工作の手紙やら、今回の件ではエドにも色々と手伝ってもらいましたからね」


 気前よく了承すると、ダレル様は引き出しから箱を取り出した。最初の日に見せてもらった、血縁関係を証明する魔導具だ。


(……あれ? でも、確かこれって……)


「おーっ、ありがとなダレル! 今度お礼に奢るわ」


「ま、待ってエドワードさん!」


 箱を抱え、うきうきと出て行こうとするエドワードさんを引き止めた。


 驚く彼に、大急ぎで()()の欠点を説明する。すなわち、血縁鑑定の判定が白なら『ピンポーン!』、外れれば『ブッブゥ〜』と間抜けに鳴り響くということを。


「誰が跡を継ぐのか深刻な状況下で、しかも富豪さんは今病床なんでしょう? ちょっとその音は相応しくないかなぁ、なんて思うんですけど」


 眉を下げて訴えれば、エドワードさんもすぐさま同意してくれた。


「なるほど、確かに。ダレル、その辺うまいこと改良できないのか?」


「ああ、そういえばそうでしたね。――わかりました、一両日ほど待てますか?」


 事もなげに答えると、ダレル様は魔導具をその手に取り戻した。

 そんなに簡単に直るものなのか、と私は目を丸くする。知ってはいたけど、ダレル様って本当に有能なんだ。


(……きっと)


 ダレル様が結婚したいと思う相手も、同じくらい才能があって凄い人なんだろうな。隣に立つのに引けを取らないどころか、むしろダレル様の助けになってくれるぐらい。


(……だったら、家族としてちゃんと祝福してあげなきゃ、ね……)


 寂しい気持ちを押し殺し、私はぎゅっとこぶしを握り締めた。


 ――たとえ期間限定の偽物であっても、それが妹として私がすべきことだから。

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