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1.降って湧いた儲け話

「契約結婚、ですか?」


「いいえ。『契約妹』です」


 私の問い掛けを、目の前の男が間髪入れずに訂正した。

 男は艶めいた黒檀のような長髪を、首筋で束ねて優雅に肩に流している。理知的な切れ長の目に、瞳の色は透き通るように美しい空の色。


 向かい合わせのソファに腰掛けて、私は返す言葉もなく男を見返した。豪奢な部屋にしんと静寂が満ちる。


(けいやく、いもうと……。契約、妹?)


 無知な私が知らないだけで、世間にはそんな言葉があるのだろうか。


 難しい顔をして腕組みする私を、男はただ冷ややかに眺めていた。返事を急かされないのをいいことに、私はこれまでの彼の説明をじっくりと反芻してみる。


(ええと、このお方は王立魔導研究所に所属する優秀な魔導技士様。ハイラント伯爵家の嫡男であるダレル様)


 弱冠二十四歳にして、その魔導技術は天才的であると国中に知れ渡っている。


(ここ十年で一気に発達した魔導技術、確かダレル様はその立役者の一人って言われてる)


 研究所で生み出された魔導具は王侯貴族だけでなく、今や私たち庶民にとってもなくてはならない社会基盤(インフラ)だ。

 魔導具のお陰で蛇口をひねれば水が出て、コンロのスイッチを入れれば炎が燃える。光の魔導具を灯せば、真夜中であってもまるで真昼のように明るくなるのだ。


 王都の隣町、労働者向けの大衆食堂で働く私のもとに、ダレル様が突然訪ねてきたのは今朝のこと。

 目立たない暗い色の服を着ていても、その生地が上質であるのは一目瞭然。雇用主であるおかみさんは仰天して、奥にある唯一の個室へとダレル様を案内した。


『失礼。ですがわたしは食事を取りに来たわけではありません。そちらに住み込みの使用人、リリー・エイムズに用があって来たのです』


 おかみさんは目を剥いて、茫然と立ち尽くす私に掴みかかった。


『お、お前っ貴族様に何か粗相をしたのかいっ!?』


 手を振り上げて折檻しようとしたのを、ダレル様がさっと前に出て制してくれた。


『勘違いなさらないで頂きたい、彼女とわたしは初対面ですよ。わたしが一方的に彼女を知り、こちらの店から彼女を引き抜くために伺ったのです』


『は、ええっ!?』


 どうして平民で学もなく、まして天涯孤独である私なんかを。

 はしたなく大声を上げた私に、ダレル様は優しく微笑みかけた。あれ、でも――……


(目が全然、笑ってないような……?)


「――リリー・エイムズ」


 ぴしゃりとした冷たい声音に、はっと現実に引き戻される。

 慌てて顔を上げれば、ダレル様が苛立ったように私を見ていた。私は慌てて勢いよく頭を下げる。


「あ、申し訳っ」


「謝罪は必要ありません。それより早く返答を聞かせなさい。すなわち、わたしと契約する気があるか否か?」


「…………」


 契約。


 私はひくりと顔を引きつらせ、恐る恐る挙手をした。


「あの……、確認、なんですけども」


「よろしい。確認を許可します」


 尊大に頷かれ、私はほっとして姿勢を正す。

 一体何から聞くべきかと迷いつつ、深呼吸して口を開いた。


「ダレル様は、魔導研究一筋である、と」


「その通り。研究以外にかける時間は一切無駄であると言っても過言ではありません」


「そしてダレル様は、結婚にこれっぽっちも興味がない、と」


「その通り。何が悲しくてわたしの貴重で有限な時間を、結婚などという馬鹿げた行為に割かねばならないのか? はっ、想像するだけでぞっとしますね」


 冷笑を浮かべて肩をすくめる。


 私の頭がガンガンと痛んできた。

 そう、つまりダレル様は結婚したくない。でも彼は伯爵家の跡取りだし、優秀な魔導技士で国王陛下からの覚えもめでたいし、このとんでもない美貌(自分で堂々とそう言っていた)のせいで、ひっきりなしに貴族令嬢たちから縁談が舞い込んでくるのだそうな。

 中には格上の貴族からの申し込みまであって、断り方にも気を遣う。業を煮やしたダレル様は、とうとう強硬手段に出ることにして――……


「どうしてだか知りませんけど、私に白羽の矢を立てたんですよね? 虫除け役をやらせるために私を雇うことにした、と。……それってやっぱり、昨今お芝居とかで大人気の『契約結婚』ってやつなんじゃあ」


「だから、契約だろうが何だろうが結婚する気はないと言っているでしょう。同じことを何度言わせるつもりですか、これだから理解力に欠ける人間は困りますね」


 むかっ。


 思わず膝に置いた手に力を込める私を、ダレル様は鼻で笑う。


「いいですか? 先程も言いましたが、わたしの父は若い頃大変な浮気性でした。母と結婚してからも流した浮名は数知らず、どこぞに隠し子がいたとて全くおかしくありません」


 そこでダレル様は考えついた。


 そうだ、本当にいるかいないかはどうでもいい。父の隠し子を見つけたことにして、ハイラント伯爵家の養女にしてしまおう!


 ダレル様はフッと微笑んで長い髪をかき上げる。


「長年存在を忘れ去られ、親の顔も知らず一人きりで生きてきた可哀想な妹……。伯爵家に迎え入れた彼女を、わたしはこれでもかと溺愛します。そして縁談の断り文句として、相手方にこう言い放つのです」



 ――妹がようやく我が家に帰ってきたばかりなのです!


 ――今わたしが第一に考えるべきは妹のみ、自分の結婚など後回しですよ!



「リリー・エイムズ。方方(ほうぼう)手を尽くして調べましたが、あなたほどこの役目にぴったりな娘はおりません。十六年前、孤児院の軒先に置き去りにされた生まれたての赤子。身を包むのはボロ布のみで、身元を探る手掛かりなど何一つ残されてはいなかった。そうですね?」


「は、はい」


 確かに私の出自は、今ダレル様の告げた通りだ。

 リリーという名は孤児院の先生が付けたものだし、エイムズの姓は単純に『エイムズ孤児院』から取ったもの。当然のことながら私も親の顔なんか覚えちゃいない。


「十四で孤児院を出てからは、今の食堂で身を粉にして働いてきた。身辺調査したところ、常連客からのあなたの評判は上々でしたよ。あなたならばきっと、わたしの契約妹の任をきっちり果たしてくれることでしょう」


 手にした書類をめくり、ダレル様は満足気に締めくくった。

 私に視線を戻し、彼は「さあ、どうする?」と問うように私を見つめる。


(ど、どうしよう……?)


 ここまでで、彼の要求は大方飲み込めた。

 提示された報酬も相当なもので、しかも任期は無期限らしい。私が辞めると言わない限り、伯爵家でぬくぬく過ごしていいそうだ。


 私はごくりと喉を上下させ、上目遣いに彼を見上げる。


「でももし、私が途中で嫌になっちゃったら……?」


「その時には、これを使います」


 淡々とした口調で言い放つと、ダレル様は懐から長方形の箱を取り出した。

 箱の蓋には澄んだ赤色の宝玉が嵌め込まれている。


「これは血縁関係を証明するための魔導具です。今回のこの件のため、わたしが急ぎで開発しました」


「ええっ?」


 そんなの急ぎで開発できるものなのか。

 ていうか、世間に発表したら結構需要がありそうだけど?


「使用方法はこうです。中央の宝玉に二人の人間の血を垂らし、宝玉の中で混ざり合うのをしばし待ちます。その後『ピンポーン!』と鳴れば彼らは血縁関係にあり、『ブッブゥ〜』と鳴れば赤の他人ということです。簡単でしょう?」


「簡単だけど、いくらなんでも音が軽すぎません?」


「ふむ、ではそれは今後の改善点といたしましょう」


 ともかく、この魔導具を使えば私とダレル様の間に血縁関係がないことが証明できる。

 私が契約解除を願い出た際は、これを使ってまたダレル様が一芝居うつ。「何ということだ、まさか本当の妹ではなかったとはああああッ!」と叫んで床を殴りつけ慟哭して転がりまくって嘆き悲しむのだという。


「それからしばらくは傷心のわたしに遠慮して、縁談は来なくなると思いますよ」


「単純にやべー奴だと敬遠されるだけでは?」


「それならそれで結構です」


 なんて強いハートの持ち主なんだ。


 感心しつつ、私は唇を噛んで必死に頭を回転させる。


(と、いうことは……)


 無理だと思えば、いつでも引き返せる。

 しかも退職金まで出してくれるそうなので、市井で平民としてやり直す時にも役立つだろう。雇われではなく、自分で店を持つことだって可能になるかもしれない。


 おそらく今、私の目がきらりと光った。

 ダレル様にもそれがわかったのだろう、澄まし顔で立ち上がって私に手を差し伸べる。


「それではリリー・エイムズ。あなたの答えを聞きましょうか?」


「……ええ。もちろん」


 私はガッと両手でダレル様の手を引っ掴んだ。


「ダレル様の『契約妹』、誠心誠意務めさせていただきますっ!」


 こうして、私達は共犯者の笑みを交わし合ったのだった。

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