第03話くん
がちゃり。
職場のドアを開けた瞬間に、上司がぴりぴりしてるのがわかったよ。
真っ黒な雲がちりちりと放電しながら、雷の落としどころを探している。そんな感じだった。
こいつはとんでもない日になりそうだぞ。
案の定、自分のデスクに座るか座らないかのうちに呼び出された。
そうらきた。
それからみっちり、上司にがみがみやられちまったよ。
ごろごろぴかーん。
「君には期待している」とか、「おれがお前くらいの時はどーしたこーした」とか。
くどくどとやられている間、ぼくに許されている行動は「へえ」とか、「はあ」とか、もそもそ相槌を打つことだけだった。
タダ課長みたいないやらしい目つきになってしまうなら、ぼくはシュッセしたくないなとぼんやり考えたよ。
ちゃんと聞いてるのかって言われたけど、そんなの聞くわけが無いじゃないか。
「説教するってぶっちゃけ快楽」って、ぼくだって知ってる。
だいたい話してる本人も、途中から自分が一体なにを喋ってるのか、あんまりわかってなかったと思うよ。
おしまいに「そんなテイタラクだから、彼女に振られるんだ」だってさ。
これにはまいったよ。
いや、たしかにぼくも「失恋休暇」という制度を使って有給取ろうとしたけどさ。
我が社創立以来、誰も申請してないとか聞いてないよ。
「前例が無い」ことで却下されるなんて、リフジンの極みだ。
いいじゃないか。傷ついてるんだもの。休ませてよ。
おかげでぼくのガラスのハートは、より念入りに壊されることになったんだ。
ああ、嫌なことって連鎖的に思い出しちゃうから嫌なんだ。
げんなりして席に戻ったら、サガワさんがコーヒーを持ってきてくれた。
サガワさんの手はなんというか、優しい感じがする。
カップを置くときに、サガワさんはぼくに意味ありげな目配せをしたんだ。
どきっとしたよ。
その目は「トキシゲくん大丈夫?」って言っているような気がした。
「また叱られてばかなやつだなあ」って言ってたのかもしれないけどね。
しょぼくれた気持ちを奮い立たせるために、ぼくは今日5杯目のコーヒーに手を伸ばした。
よしっ。やっちゃるかあ。
ふうふう、ずずっ。
そんな風にしてわっせわっせと働いていたら、朝の出来事はすっかり忘れちゃってたよ。
正直に言えば、その日のお昼に何を食べたかも覚えてないくらいだった。
まあ、それだけ頑張ったってことだよ。
1日分の疲れをしっかり体に蓄えて家に帰ると、郵便受けにどっさり手紙が届いてた。
ぼくへのラブレターじゃないのは間違いないなと思ったよ。
なにせバケツ1杯分くらいあったからね。
こんなにモテるはずないもの。
いくら彼女に振られて独りになったばかりだとは言えね。
ううむ。我ながら女々しいぞ、トキシゲくん。
くたびれてたからそのままほっといちまおうかとも思ったけど、置いといても仕方が無いなと思い直してえっちらおっちら部屋まで運んだ。
ぼくはわりにリチギでキチョーメンなのだ。
愛すべき我が忠犬のゼペットくんはソファでごろりと丸くなってたよ。彼の特等席なんだ。
荷物を抱えてよたよた歩くぼくをちらりと見て、めんどくさそうにぱたぱたと尻尾を2回だけ振ってくれた。
やあやあ、こりゃどうも。ただいま、ゼペットくん。
とりあえずシャワーで汗と疲れを流し、Tシャツとスウェットの部屋着に着替え、よく冷えた缶ビールでひと息ついてから、ぼくは山盛りの手紙に取り掛かった。
えーと。なになに。
なんだ、ゼペットに宛てたものばかりだ。
ぼく宛にきてるのは電気の請求書だけ。
えーと。「ゼペット様」?
なんでこのモップのおばけみたいな犬に手紙が届いてるんだろ。
ぼくは念のため、ゼペットに開封してもいいか訊いてみたよ。
なんたってリチギだからね。
開けてもいいかい?
なんだかワフッと咳払いなのか、鳴き声なのかよくわからない返事がかえってきたから勝手に開けちまうことにした。
オレンジ色の封筒のやつを手にとって、はさみで上の方をちょこっとだけ切る。
じょき、じょき。
中から出てきたのは、しっちゃかめっちゃかなものだった。